【食育クイズ:Vol.1855】「京都府」の「風狂の僧」おさらいクイズ! 「大徳寺」の住持を務め、晩年を暮らした酬恩庵に等身大の像がある禅僧とは?

 

【食育クイズ:Vol.1855】

 

本日も、「関西地方(三重県、滋賀県、

 

和歌山県、奈良県、兵庫県、京都府、

 

大阪府)」の「食文化」や「郷土文化」

 

をテーマとした地域社会の在り方や、

 

昔から先人たちが培ってきた、「文化」、

 

「伝統」、「歴史」等の素晴らしさを、

 

クイズを楽しみながら知見を高め、あ

 

らためて「日本」や「日本人」が培っ

 

てきた「良きところ」を共有化し、次

 

代に継承して参りましょう!

 

さて、本日は、「室町時代」にまつわる

 

「風狂の僧」について、「おさらいクイ

 

ズ(Vol.1055)」にチャレンジ致しまし

 

ょう!

 

 

 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

「平安時代末期」の頃から、日本社会は

 

「末法思想」に塗(まみ)れていき、

 

「政治」は、「貴族統治」から「武家統

 

治」へと大変容しました。

 

その後「鎌倉時代」になると、二度に渡

 

る「蒙古襲来(元寇)」があり、日本中

 

がまさに「末法の世」さながらの恐怖に

 

陥ると言う経緯となった事で知られてい

 

ます。

 

更に「室町時代」になると、「応仁の

 

乱」に代表される、相次ぐ「戦乱」を始

 

め、「飢饉」や「悪疫」、「一揆」等が

 

「日本各地」で沸き起こり、「日本の歴

 

史」の中でも、未曾有の「混乱の時代」

 

に陥ってしまい、まさに「現在の時代」

 

にも重なるような、「為政者」や「権力

 

者」が、困窮する「民」を顧みず、「利

 

権」、「金儲け」、「享楽」に耽ると言う、

 

日本社会の状況になってしまいました。

 

 

 

 

更に、「奈良時代」から「神仏を習合」

 

し、「日本統治の手段」とされていた

 

「仏教の世界」においても、それまでは

 

「末法思想」に困惑する「民」を救済し

 

ていた筈の、「禅林大刹」さえも、「腐

 

敗」や「堕落」を極めると言う、深刻な

 

状況に陥ってしまった事で知られている

 

訳なのです。

 

そんな「カオス」で「破滅的」な「日本

 

社会」の様子を、痛烈に「批判、糾弾」

 

する「反骨の破戒僧)」が登場するに至

 

ったと言う経緯があります。

 

それまでの「仏教」は、「厳しい戒律」

 

を「遵守」する事が至極当然だった訳な

 

のですが、乱れに乱れてしまい、「カオ

 

ス」で「堕落」し切った「社会」におい

 

ては、「正義」や「正論」等と言ったも

 

のは、所詮「為政者」による偽善的な操

 

作に利用されるだけであり、最終的には

 

「無に帰する」ものであるとして、敢え

 

て「戒律を守らない」中にこそ、「真

 

理」や「悟り」の境地があるとする、

 

「破戒の僧」が出現した事によって、世

 

の人々は、まるで「風に吹かれた」よう

 

に「自由奔放」で、「(堕落した)世の常

 

識」に囚われず、「権威」や「権力」に

 

対して真っ向から反抗的な姿勢を示した

 

「破戒の僧」の事を、「風狂の僧」と呼

 

び、「喝采」するようになると言う経緯

 

となった訳なのだそうです。

 

さて、本日は、この「風狂の僧」につい

 

て、おさらいクイズにチャレンジ致しま

 

しょう!

 

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

問題:主だった原因も無く、様々な複合

 

的な「世の中の乱れ」が重なった事で

 

「10年間」も続いてしまった、「未曾

 

有の戦乱」として知られる「応仁の乱」

 

の勃発によって、「京都」を始め、「日本

 

各地」が踏みにじられ、荒廃してしまっ

 

た、「カオスな時代」の中で、「京都、大

 

徳寺」の「住持」を務めると共に、「自

 

由奔放な反骨精神」で、「権威や権力」

 

に徹底的に抗った事から、「風狂の僧」

 

と呼ばれた人物で、その「晩年」を過ご

 

した「京都、酬恩庵」に、「等身大の

 

像」がある事で知られている「僧侶」が

 

いる事で知られています。

 

 

 

 

さて、それでは、この「風狂の僧」と呼

 

ばれた人物とは、誰でしょうか?

 

 

次のうちから選んで下さい。

 

1.一休宗純(いっきゅうそうじゅん)

 

 

2.沢庵宗彭(たくあんそうほう)

 

 

3.春屋妙葩(しゅんおくみょうは)

 

 

4.夢窓疎石(むそうそせき)

 

 

↓↓↓↓↓答えはここから↓↓↓↓↓

 

 

  【解説】

 

「京都、報酬庵」は、「一休宗純和尚」

 

が「62歳」の時、かつて「臨済宗の高

 

僧、大応国師(だいおうこくし)」が

 

「中国」から帰国した後に、弟子達と共

 

に創建した「妙勝寺」が、「応仁の乱」

 

で荒廃してしまっていたのを、尊敬して

 

いた「大応国師」の恩に報いると言う意

 

味を込めて、「報恩庵」と命名し、「修

 

復」し、「再興」した「寺院」として知

 

られています。

 

 

 

 

 

また「一休和尚」は、「81歳」の時、

 

「応仁の乱」で焼失してしまった「大徳

 

寺」の再建の為に、「第83代、後土御

 

門天皇」の勅命によって「白羽の矢」が

 

立てられ、強制的に「第48世、大徳

 

寺、住持」となった時にも、「大徳寺」

 

には住まず、愛する「盲目の瞽女(ご

 

ぜ)、森女(しんにょ)」と住んでいた

 

「酬恩庵」から通いながら、各方面から

 

金を集め、見事「再建」を果たし、「88

 

歳」で「入滅」するまでの「晩年」を、

 

ここで過ごすに至ったと言う経緯となっ

 

た訳なのだそうです。

 

 

 

ちなみに、この「酬恩庵」に安置されて

 

いる、「木造」の「一休和尚、等身大、

 

坐像」は、「和尚」自身の「ひげ」や

 

「頭髪」が植え付けられている事で知ら

 

れているのだそうで、「入滅」後は、

 

「70歳」を過ぎてからの猛烈な「愛

 

人」だった「盲目の琵琶法師、森女(し

 

んにょ)」によって、この「寺」に埋葬

 

されるに至ったそうで、以後、人々から

 

は、「一休寺」と呼ばれるようになった

 

と言う経緯となったのだそうです。

 

 

 

 

この「一休宗純(いっきゅうそうじゅ

 

ん)」と言う「禅僧」は、相次ぐ「戦

 

乱」と「厄災」によって、日本中が「カ

 

オスな世の中」に陥ってしまった「室町

 

時代」において、そのような「社会」を

 

作り上げてしまった「権力や権威」に対

 

して、真っ向から抗った事で知られる、

 

「風狂の僧」として、世の人々からの支

 

持を受けた訳なのですが、その「生誕」

 

は、「第100代、後小松天皇」の「ご落

 

胤」だったそうで、「6歳」で「京都、

 

安国寺」にて「出家」させられた後、

 

「25歳」で「京都、大徳寺」に「入

 

山」したのだそうです。

 

 

 

その後「30歳」で「カラスの鳴き声」

 

を聞いて、俄かに「大悟(悟りの境地に

 

達する事)」した「一休和尚」は、その

 

時、「兄弟子」で、「第26世大徳寺、住

 

持」となった「華叟宗曇(かそうそうど

 

ん)」から、自らの後継者になれと言わ

 

れ、「悟りの証明」である「印可(いん

 

か)」を授けようとしたのにも関わら

 

ず、当時の「禅寺」では、「権力」や

 

「権威」に振り回され、「金儲け」や

 

「政治的な仕事」をする事が当たり前で

 

あり、その為の「権威の道具」として、

 

「印可状」を簡単に与える風潮があった

 

事に不満を持っていた事から、授かった

 

「印可状」を、その場でビリビリに破

 

り、火をつけて燃やしてしまったと言う

 

「逸話」が残っているのだそうです。

 

 

こうして「権威」や「権力」に振り回さ

 

れる「禅僧」達を嫌い、この世の「風

 

潮」を痛烈に批判し、自らの「人生」を

 

「風狂の僧」と言う立ち振舞いで全うす

 

ると言う経緯となった「人物」なのだそ

 

うです。

 

ちなみに、「印可状」を破り捨てた後の

 

「一休和尚」は、常に、

 

~『禅僧は、悟りへの欲求さえも捨てる

 

べし!』~

 

 

と言い放つようになったそうで、「地

 

位」も「名誉」も一切必要とせず、数多

 

くの「風狂の僧」としての「逸話」を残

 

す人生となった訳なのだそうです。

 

例えば、「大徳寺七世、住持」の「33

 

回忌」の行事に、わざとボロボロの衣装

 

で参加し、

 

~『自らが不格好であれば、他の皆様方

 

がさぞかし引き立つでしょう!』~

 

と、強烈な皮肉を言い放ちながら、外見

 

すら気に掛けなかい人物像だったと言う

 

「逸話」が残されているそうです。

 

また、「一休」と言う「号」が付けられ

 

た所以とは、下記の通りだそうです。

 

1️⃣:晩年の「一休和尚」が、若い「瞽女

 

(ごぜ:盲目の女芸人)」を溺愛し、そ

 

の「琵琶法師」が演じる「平家物語」を

 

聞いて、「無常観」を感じて「歌」を詠

 

んだ。

 

2️⃣:その歌の内容とは、

 

~『有漏路(うろじ)より 無漏路(む

 

ろじ)に帰る一休み  雨ふらば降れ  風

 

ふかば吹け』~

 

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【口語訳】:

 

~『人生は煩悩に満ち溢れているのであ

 

って、人生とは、この世から来世まで

 

の、ごく僅かの一休みの出来事なのだろ

 

うよ。

 

従って、雨が降ろうが 風が吹こうが 

 

大した事ではないのだろうよ。』~

 

と言うものだった。

 

3️⃣:この「歌」を聞いた「兄弟子」の

 

「華叟宗曇(かそうそうどん)禅師」

 

は、「歌」の中にある

 

~『一休み』~

 

と言う言葉を、「弟弟子」の「宗純」に

 

「号」として授けるに至った。

 

以上のような出来事が所以となって、

 

「一休」が、「宗純」の「号」となった

 

訳なのだそうで、従って現在では、「漫

 

画」や「アニメ」等の影響によって、

 

「小坊主姿」の「一休さん」を思い浮か

 

べてしまうのが、当たり前となっていま

 

すが、実際のところでは、「一休」と言

 

う「呼び名」が付けられたのは、「宗

 

純」が立派な大人になってからの事だっ

 

たと言うのが、伺い知れる訳なのです。

 

 

 

↓↓↓↓↓↓↓答え↓↓↓↓↓↓↓

 

1.一休宗純(いっきゅうそうじゅん)

 

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

大阪市立大学の研究グループが、大豆

 

などに含まれるイソフラボンが肺気腫

 

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