【食育クイズ:Vol.1087】
本日も、「関西地方(三重県、滋賀県、
和歌山県、奈良県、兵庫県、京都府、
大阪府)」の「食文化」をテーマとし
た地域社会の在り方や、昔から先人た
ちが培ってきた、文化や伝統、歴史等
の素晴らしさを、クイズを楽しみなが
ら知見を高め、共有して参りましょ
う!
さて、本日は、「京都府」の「安土桃
山時代」の「茶の湯文化」について、
おさらいクイズ(Vol.291)にチャ
レンジ致しましょう!
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/11/300-225茶室文化.jpg)
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「戦国時代」の頃、「戦国大名」は、
「京」や「堺」の地で流行していた
「茶の湯文化」に強い関心と憧憬を持
つようになったと言われています。
その中でも「京」に上った「織田信長」
や、「天下人」となった「豊臣秀吉」
は、「茶の湯」を単に風流として楽し
むだけではなく、政治利用した事でも
知られています。
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「織田信長(1534~82)」は、次々
に領地を拡大していく中で、討ち破っ
た相手に対して、服従の証として、
当時「戦国大名」の間で流行していた
「名物茶器」を献上させたり、「強制
買収」すると言ったような、いわゆる
「名物狩り」と言われている、数多く
の「名物茶器」を収集した事で知られ
ています。
「信長」は、こうして収集した「茶器」
を用いた「茶会」を催し、参加者に対
して自らの権力を誇示すると言う「政
治的行為」をしたと言う訳なのです。
更に「信長」は、部下となった「武将」
が勝手に「茶会」を催すことを禁じた
そうで、特別な論功のあった武将にの
み「名物茶器」を与え、「茶会」の開
催を許可すると言う、「政治的行為」
をしたそうです。
このような「信長」による「茶会」の
「政治的利用」により、結果として
「茶の湯文化」の価値が著しく高まっ
ていったと言う経緯になる訳なのです。
その後、「信長」が部下の「明智光秀」
の謀反により暗殺されると言うハプニ
ングが生じた後、「信長」の後継者と
なり「天下統一」を成し遂げた「豊臣
秀吉(1536~98)」も、「茶の湯文化」
を更なるかたちで政治利用したと言わ
れていて、「秀吉」は、まずは「信長」
に仕えていた「千利休」を「茶頭」と
して抜擢し、「信長」の行ってきた
「茶の湯」の政治利用を継承したそう
です。
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![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/11/300-200豊臣秀吉2.jpg)
更に「秀吉」は、「天下人」となり、
「関白」となった時に、「禁中」にお
いて「茶会」を開いたり、「黄金製の
茶室」を造らせる等して、晴れて「我
が身の絶大なる権威」を広く世の中に
誇示すると言う「政治的行為」をした
そうです。
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その後「秀吉」による「茶の湯」の
「政治的利用」は更に著しくなり、そ
れまでは、ごく限られた人々の間で行
われていた「茶会」の有り方を大変容
させ、「北野大茶会」に代表されるよ
うに、「貴賤」の別を問わない「多勢
参加型」の「大寄せの茶会」を催すと
言う、「大パフォーマンス」を繰り広
げ、自身が「絶対無二の天下人」であ
る事を、広く世の中に誇示した訳なの
です。
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こうして、「信長」によってその価値
が高めれた「茶の湯文化」が、「秀吉」
によって更に広範囲の「大衆レベル」
にまで広められていったと言う経緯に
なる訳なのです。
さて、本日は、「安土桃山時代」に花
開いた「茶の湯文化」と、「茶の湯」
の「トップリダー」として抜擢された
「戦国大名」にまつわる「茶室文化」
について、おさらいクイズにチャレン
ジ致しましょう!
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「戦国時代」から「江戸時代初期」に
かけての「戦国大名」として知られる
「古田重然(ふるたしげなり)」は、
「茶人」としても「古田織部(ふるた
おりべ)」の通称で呼ばれ、当時の
「茶の湯文化」の「トップリーダー」
として活躍した人物として有名です。
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「茶人、古田織部」は、「茶道、織部
流の祖」として知られ、「豊臣秀吉」
や「徳川家康」の「茶堂(茶の湯で主
君に仕える人の事)」であり、「徳川幕
府、2代将軍、徳川秀忠」の「茶の湯」
の指南役でもあったと言われています。
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「古田織部」は、「千利休」の後を受
けて、「茶の湯文化の大成」に貢献し
ただけでは無く、自らが「茶器」を焼
き、「茶室」等を建築し、「作庭」をす
る等、多岐に渡り、「織部好み」と呼
ばれる「一大茶の湯ブーム」を築いた
と言う事で知られている人物です。
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さて、本日は、この「織部好み」にま
つわる「茶の湯文化、茶室」について、
おさらいクイズにチャレンジ致しまし
ょう!
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「安土桃山時代」から「江戸時代初期」
にかけての「戦国大名」である「古田
重然(しげなり)」は、「侘び寂び」の
「千利休」や、「綺麗さび」の「小堀
遠州」と共に、「三大茶人」の一人と
して、「へいげもの」の「古田織部」
と呼ばれ、「織部好み」と言われる
「茶の湯文化」の「一大流行」をもた
らした人物であり、「茶堂、織部流の
祖」とも言われている人物だそうです。
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問題:「三大茶人」の一人で、「古田織
部好み」の代表的な「茶室」で、「薮
内家、初代、薮内剣仲」を象徴する
「茶室名」とは何でしょうか?
次のうちから選んで下さい。
1.今日庵(こんにちあん)
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2.燕庵(えんなん)
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3.不審庵(ふしんあん)
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4.官休庵(かんきゅうあん)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/11/300-225官休庵.jpg)
↓↓↓↓↓答えはここから↓↓↓↓↓
【解説】
「織部好み」の代表的な「茶室」の一
つである「藪内流(利休の侘び茶に織
部の武家茶の影響を入れた茶道流派の
事)」の「燕庵(えんなん)」は、「薮
内流、初代」の「薮内剣仲」が、義兄
であった「古田織部」から譲り受けた
「茶室」として知られています。
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「燕庵」は、「江戸時代幕末期」の
「蛤御門の変(1864年)」で焼失し
てしまったそうで、現存の「燕庵」は、
「藪内家」の「相伝」を受けた者に限
り絶対忠実に写すことを許されると言
う家訓によって、「摂津、有馬」の地
にあった「写し」が移築され、現在に
まで至っていると言われています。
「安土桃山時代」の1591年、「千利
休」が「豊臣秀吉」によって、自刃さ
せられたと言う経緯があり、その後
「茶道のトップ」として指名された人
物が、「千利休」の弟子であった「古
田織部」だったと言う事になります。
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こうして「秀吉」から「リーダー」に
抜擢された「古田織部」は、「利休」
の後継者として、新たな「茶道」を創
り出す事に努めたそうで、その代表的
なものが「織部焼(茶器)」と言われ
ています。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/11/300-織部焼222.jpg)
「織部」の作った「織部焼」と言われ
る「織部茶碗」は、「侘び寂び」を追
求した「利休」のものとは異なり、極
めて斬新なものだったそうで、1599
年に開かれた「織部の茶会」に招かれ
た「博多の豪商」が「織部茶碗」を見
て驚き、その感想を日記にしたためた
と言う記録が残っているそうです。
その日記に記された原文は、「セト茶
碗ヒツミ候也。ヘウケモノ也」と記載
されているそうで、初めて見て驚いた
「織部茶碗」の特徴を記していると言
う内容を表しています。
この記載を現代語に翻訳すると、「(織
部茶碗の特徴の)その一つ目は、瀬戸
(の地で焼いた)茶碗である事。その
二つ目は歪んでいる形状である事。そ
の三つ目は『ひょうきん・滑稽(へう
げもの)』である事。」となります。
この文書が、現存する「織部茶碗」の
記述の最初のものと言われていて、そ
の後、「へいげもの」の「古田織部」
と称されるようになったと言う経緯が
ある訳になります。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/11/300-へうげもの777.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/11/300-へうげもの44.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/11/300-200へうげもの11.jpg)
こうして、「茶道」の改革に挑んだ
「織部」は、特に「陶器(茶器)」は
その中心として、一大ブームを巻き起
こしたと言う経緯がある訳になります。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/11/300-織部焼222.jpg)
しかしながら、「織部焼ブーム」のピ
ーク時期は、「1605年~1615年」
くらいの間と短く、「大阪の陣」の戦
いで「豊臣氏」が滅亡した1615年に、
「織部」が「豊臣家」に内通していた
との疑いを掛けられ、「家康」から切
腹を命じられ、自刃すると言う事によ
って、「古田織部ブーム」は終焉を迎
えてしまうと言う経緯になってしまっ
たそうです。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/11/徳川家康1.jpg)
こうして、「千利休」が試みた「唐物
茶碗」から「国産茶陶」へのシフトと
言う「茶器の文化」が、その後の「天
下泰平」と「経済発展」に伴い、厚み
と豊かさを増すと共に、更に「織部」
が生み出した「破格な造形(へうげも
の)」の斬新な感覚の「織部焼」の
「一代ブーム」を引き起こしたものの、
それが「質実剛健」を旨とする「徳川
家康」の意向と合わなかった事もあり、
「織部」の死後の「武家大名」の「茶
道文化」の方向は、「三大茶人」の最
後の一人と言われる「小堀遠州」によ
り、「綺麗さび」へと舵が切られてい
ったと言う経緯になる訳なのです。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/11/千利休1.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/11/300-古田織部444.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/11/300-180小堀遠州.jpg)
↓↓↓↓↓↓↓答え↓↓↓↓↓↓↓
4.燕庵(えんなん)
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大阪市立大学の研究グループが、大豆
などに含まれるイソフラボンが肺気腫
や慢性気管支炎などの「COPD(慢性
閉塞性肺疾患)」の予防効果を有するこ
とを明らかにしました。
食Pro.お薦めの「大豆ミート」は、
少量摂取でも人にとって必須な「タン
パク質」「食物繊維」「核酸」などの栄
養素が摂取できるように、大豆の油脂
分を除いてから作っています。
必要な栄養素が原料大豆の約1.2倍
以上となり、濃縮された分だけ、多く
含まれています。
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★大豆プロテイン100g中に植物性
たんぱく質が50g!(半分がたんぱ
く質です)
★低脂質(2.7g)です!
★高食物繊維(20g、腸内発酵を促進
し、腸内健康の源となります。)
これを毎日食すると腸内発酵が促進さ
れ、お通じが良くなり、腐敗から発酵
にチェンジするので、おならが臭くな
くなります。
デドックス効果で身体もスッキリ!!
每日の食で「医者いらず!薬いらず!」
低脂質!ダイエットに最適な高たんぱ
くプロテイン!
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国産の食応援「和乃家(わのか)」は、
日本の食の安全保障として日本人の命
と健康を守る活動をしています。大豆
ミートをはじめ、食に関するいろいろ
な情報を発信していますので、よろし
かったら一度遊びにきてくださると嬉
しいです。「いいね」もしてくださる
と、情報更新のお知らせが届くように
なりますのでなお嬉しいです。
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