【食育クイズ:Vol.1387】「京都府」の「和泉式部」おさらいクイズ! 「波乱と情熱的」な人生を辿った「和泉式部」が「女人往生」を願って帰依した寺院とは?

 

【食育クイズ:Vol.1387】

 

本日も、「関西地方(三重県、滋賀県、

 

和歌山県、奈良県、兵庫県、京都府、

 

大阪府)」の「食文化」や「郷土文化」

 

をテーマとした地域社会の在り方や、

 

昔から先人たちが培ってきた、「文化」、

 

「伝統」、「歴史」等の素晴らしさを、

 

クイズを楽しみながら知見を高め、あ

 

らためて「日本」や「日本人」が培っ

 

てきた「良きところ」を共有化し、次

 

代に継承して参りましょう!

 

さて、本日は、「京都府」の「伝説の情

 

熱的美女」として知られる「和泉式部」

 

にまつわる「極楽往生」について、おさ

 

らいクイズ(Vol.590)にチャレンジ致

 

しましょう!

 

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

「平安時代中期」、「藤原道長」の影響力

 

が全盛となるきっかけとなったのは、

 

「道長の兄」であり「一条天皇の甥」で

 

もあった「藤原道隆」の「娘、藤原定子」

 

が「一条天皇」の皇后になり、更に「道

 

隆の弟」である「藤原道長」の「娘、藤

 

原彰子」も「中宮」となった事で、日本

 

史上初めて「一帝二皇后」の先例を開い

 

た時からだそうです。

 

 

 

 

 

 

こうして「一条天皇」の時代は、「藤原

 

道隆、道長」兄弟に「権力」が集中し、

 

日本の歴史上「藤原氏の権勢」が最盛に

 

達するに至る時代となった訳であり、そ

 

の一方で、「宮中」においては、「二皇后」

 

を中心とした「宮中文化」が花開くに至

 

ったそうで、「皇后、定子」に仕える

 

「清少納言」と、「中宮、彰子」に仕え

 

る「紫式部、和泉式部、小式部内侍親子、

 

赤染衛門」達によって「宮中サロン」が

 

築かれるに至り、その結果として現在に

 

まで伝えられる「平安女流文学」が花開

 

くに至ったと言う経緯になった訳なので

 

す。

 

 

 

 

 

 

「紫式部」は、自身の「紫式部日記」に

 

おいて、「和泉式部」の事を、「恋愛に関

 

してはけしからぬ人(感心できない人)」

 

と表現しているくらい、「和泉式部」は、

 

その艷容な美貌から、身分の高い「親王

 

(天皇の皇子)」から、「身分差」を顧み

 

ない勢いで次々と求愛され、恋愛に陥る

 

と言う、いわゆる「スキャンダル」を繰

 

り返してしまったと言う経緯がある事で

 

知られています。

 

 

こうして「和泉式部」は、当時の「女流

 

サロン」が出来るほどの絢爛たる「宮中」

 

においても、一際目立つ存在であった訳

 

であり、「ゴシップ・クイーン」的風評

 

が立つほどの存在であった事は間違い無

 

いとされている訳になったのです。

 

現在においても、「和泉式部」の評価は、

 

「恋に奔放」で「情熱的」、時には四十

 

歳になった頃でも、「藤原道長」の「家

 

司」で、「大江山」の「酒吞童子退治」

 

でその名を馳せた「武勇の士」であった、

 

「藤原保昌」から求愛された時に、まる

 

で「かぐや姫伝説」のような「無理難題

 

の要望」を突きつける等をした後に、再

 

婚に応じて、「京都、丹後守」となった

 

夫とともにその任国に下ったと言う「逸

 

話」があるくらい、「屈強の男性」に対

 

しても、「したたかさ」すら感じさせる

 

ような、「十二単」の下に隠れた「日本

 

女性の強さ」を感じさせてくれる人物と

 

して伝えられている事になる訳なのです。

 

 

 

さて、本日は、「万寿2年(1025年)」

 

の頃、未だ20代だった「娘」の「小式

 

部内侍」に先立たれてしまった「和泉式

 

部」の、その後の人生について、おさら

 

いクイズにチャレンジ致しましょう!

 

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

華やかなりし「平安時代中期」の「宮中」

 

の中でも、特に目立つ存在であった「和

 

泉式部」は、最愛の娘「小式部内侍」

 

の「早逝」によって、眼前に迫る「末法

 

の世(1052年)」到来と、「無常な現世」

 

に対して思いを巡らせるようになり、

 

「不安を感じる事の無い来世」と「自身

 

の極楽往生」を、波乱の人生を辿った一

 

人の「女性」と言う立ち位置でも叶う事

 

を願うようになるに至ったそうで、女官

 

2人を従え、「播磨国(兵庫県)」にある

 

「円教寺」に向かい、当時評判の「名僧」

 

と言われた「性空(しょうくう)上人」

 

を尋ね、「極楽往生」の教えを請う為に、

 

旅立つに至ったそうです。

 

 

 

 

やがてようやく「円教寺」の門前に到着

 

したものの、その「門」は閉ざされたま

 

まで「門前払い」であった事から、「和

 

泉式部」は、諦めずに繰り返し「歌」を

 

詠み、「開門」を請うたそうです。

 

 

 

 

~『暗きより 暗き道にぞ 入りぬべき 

 

はるかに照らせ 山の端の月』~

 

【現代語訳】:~『私は迷いの暗闇から、

 

さらに深い暗闇の道へと入ってしまいそ

 

うなのです。山の稜線の上に出た月が夜

 

の闇を照らし出すように、どうか私を女

 

人往生の悟りへと導いてくださいませ』

 

 

この「娘」を亡くした深い哀傷に満ちた

 

「歌」に感じ入った「性空上人」は、門

 

を開け、「和泉式部」と対面するに至り、

 

「式部」から下記のような問を受けたそ

 

うです。

 

~『女の身で「西方浄土(極楽)」に

 

「往生」する道は無いものでしょうか?』

 

この「問」に対して、「性空上人」は、

 

~『京都の「石清水八幡宮」に行って、

 

「阿弥陀如来」の化身である「八幡大菩

 

薩」にお祈りすれば、その願いは叶うで

 

しょう。』~

 

と、その解決策を教え、「返歌」と共に

 

「袈裟」も授けるに至ったそうです。

 

ちなみにその「返歌」とは、

 

~『日は入りて 月はまだ出ぬ たそが

 

れに 掲げて照らす 法(のり)の燈

 

(ともしび) 』~

 

【現代語訳】:~『日が沈み、(末法の世

 

が到来する)今は、月が出る事もありま

 

せん。そんな(次の弥勒菩薩降臨までの)

 

たそがれの状態が長く続く間は、法(法

 

華経)の教えを「灯(あかり)」として

 

生きていきなさい。』~

 

この「返歌」は、数々の恋遍歴、愛憎や

 

葛藤の人生に対して「世の無常」を感じ

 

ていた「式部」が、「性空上人」に求め

 

た「女として救いの道」を、「阿弥陀如

 

来」に「帰依」し、「出家」を薦めるも

 

のだった訳であり、その証拠に「袈裟」

 

まで授けた事からも、伺い知れる訳なの

 

です。

 

 

こうして、「京都」に戻った「和泉式部」

 

は、「岩清水八幡宮」に参拝し、「七日七

 

夜」の「お籠もり」をすると、「夢の中」

 

に、「八幡大菩薩」が現れ、次のように

 

お告げになったそうです。

 

~『私は現在「神の道」にいるので、

 

「極楽往生」を導く「阿弥陀如来」の

 

「仏の道」を授けて欲しいのなら、本物

 

の「阿弥陀如来」のある「◯◯」に行っ

 

て祈りなさい』~

 

 

このお告げに従った「和泉式部」は、

 

「◯◯」に行って参籠する事「四十八日」

 

目にして、夢に「尼僧」が現れ、次のよ

 

うお告げになったそうです。

 

~『「南無阿弥陀仏」と「念仏」を唱え

 

れば、女の身であっても「行楽往生」で

 

きるのです!』~

 

このお告げを信じた「和泉式部」は、

 

「性空上人」の「返歌」も思い出しなが

 

ら、「阿弥陀如来」に「帰依」し、「出家」

 

するに至ったそうで、「専意」と改名し、

 

日夜この「念仏」を唱えるのを怠らず、

 

最終的には預けられた「袈裟」を着なが

 

ら「極楽往生」を遂げるに至ったと言う

 

経緯になった訳なのだそうです。

 

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

問題:「第66代、一条天皇」の「二人

 

の皇后」の外戚となり、「平安時代中期」

 

の「貴族政権」の全盛を誇った「藤原道

 

長」の娘「中宮、彰子」に、娘の「小式

 

部内侍」と共に、「親子」で出侍した

 

「和泉式部」は、当時の絢爛極まる「宮

 

中女流サロン」の中でも、特に目立つ存

 

在であり、「艷容で情熱的な美女」とし

 

て「恋愛劇」を重ねた後、最愛の娘が

 

20代で亡くなってしまった事もあって、

 

そんな「波乱万丈」の人生を過ごしてき

 

た「女性」としての身であっても、この

 

「諸行無常」な「時代」において、「極

 

楽往生」が出来るかどうか思い悩むに至

 

ったそうで、「播磨国(兵庫県)」にある

 

「円教寺」に、「名僧」と言われた「性

 

空(しょうくう)上人」を尋ね、教えを

 

請うたと言われています。

 

 

 

 

さて、それでは、「播磨国」まで行って、

 

「極楽往生」の教えを授けられた「和泉

 

式部」が、「京都」に戻った後、本物の

 

「阿弥陀如来」に巡り合い、「帰依(神

 

仏を心の拠り所とする事)」するに至っ

 

た「寺院」とはどれでしょうか?

 

次のうちから選んで下さい。

 

1.誠心院

 

 

2.誓願寺

 

 

3.極楽寺

 

 

4.阿弥陀寺

 

 

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【解説】

 

「京都、誓願寺」の創建は、「奈良時代」

 

の「667年」だそうで、「天智天皇」の

 

「勅願」によって、「奈良の地」に創建

 

されたそうです。

 

 

「誓願寺」が「京都」に移転したのは

 

「鎌倉時代」になってからだそうで、

 

「平安時代」に、「和泉式部」や「清少

 

納言」が極楽往生を願って「阿弥陀如来」

 

に「帰依」した頃は、未だ「奈良」にあ

 

った訳なのですが、「末法の世、到来」

 

が眼前に迫っているこの時期において、

 

「誓願寺」は既に、「南無阿弥陀仏」の

 

「念仏、大道場」だったと言われていた

 

そうです。

 

「末法の世」が眼前に迫り、誰もが「極

 

楽往生」を望む機運が増大する当時の時

 

代において、「和泉式部」がこの「寺院」

 

に籠もり、「阿弥陀如来」に巡り合い、

 

「帰依」した事により、「誓願寺」は、

 

「女人往生の寺」と言われるようになっ

 

たと言う訳なのだそうです。

 

 

 

 

こうして「和泉式部」は、「1027年」

 

に、仕えていた「中宮、彰子」からの

 

「後ろ盾」を得て、「彰子」の父親であ

 

る「藤原道長」に、「京都、法成寺塔頭、

 

東北院」の傍らに、「東北院、誠心院」

 

を建立してもらうに至り、初代住職とな

 

った訳であり、出家した「和泉式部」は、

 

「誠心院専意法尼」の「法名」をもち、

 

この寺で「性空上人」から授かった「袈

 

裟」を着て、「極楽往生」したと言う

 

「逸話」が完結するに至った訳なのだそ

 

うです。

 

 

ちなみに、「平安時代」では離れた地に

 

あった「誓願寺」と「誠心院」は、その

 

後移転があり、現在では、「京都、新京

 

極通り」に隣接して残されている事で知

 

られている訳になるそうです。

 

 

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