【食育クイズ:Vol.936】「京都府」の「京菓子」おさらいクイズ! 「京都、聖護院」に避難中の「孝明天皇」が食した聖護院発祥の和菓子とは?

 

【食育クイズ:Vol.936】

 

本日も、「関西地方(三重県、滋賀県、

 

和歌山県、奈良県、兵庫県、京都府、

 

大阪府)」の「食文化」をテーマとし

 

た地域社会の在り方や、昔から先人た

 

ちが培ってきた、文化や伝統、歴史等

 

の素晴らしさを、クイズを楽しみなが

 

ら知見を高め、共有して参りましょ

 

う!

 

さて、本日は、「京都府」の「京菓子」に

 

ついて、おさらいクイズ(Vol.146)に

 

チャレンジ致しましょう!

 

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

日本の「お菓子」の歴史を紐解くと、古く

 

は「遣唐使」と共に「唐果物(からくだも

 

の)」と呼ばれる「唐菓子」が伝えられた

 

のが、始まりと言われています。

 

「唐菓子」は、「米粉」や「小麦粉」に

 

「水飴」や「蜂蜜」等の甘味料を入れてこ

 

ねた生地を、「果物」等の形に成型した後

 

に、「ごま油」等で揚げる技法が用いられ

 

た「製菓」の事を言い、「平安時代」の記

 

録によると、「梅枝(ばいし)、桃枝(とう

 

し)、餲餬(かっこ)、桂心(けいしん)、

 

黏臍(てんぜい)、饆饠(ひちら)、歓喜団

 

(かんきだん)」の八種類に分類されると

 

言われています。

 

 

 

この八種類以外にも、「索餅(さくべい):

 

和名は麦縄(むぎなわ)」、「煎餅(せんべ

 

い)」、「糫餅(かんべい:和名はまがり)」、

 

「餢飳(ぶと)」、「粔籹(きょじょ)」、「餅

 

餤(へいだん)」、「結果(けっか)」、「餺飥

 

(はくたく)」、「粉熟(ふずく)」、「椿餅

 

(つばいいもち)」等々…があると言われ

 

ていて、現在にまで伝えられているものも

 

あるそうです。

 

「唐菓子」が伝わった当時は、「宮中」や

 

「貴族」の特別な行事や、神仏儀式の神饌

 

として使用され、非日常的で一般的なもの

 

では無かったと言う訳になります。

 

「平安時代」では、平安京の市でも一部販

 

売されていたようで、前述のように、当時

 

の百科事典的な漢和辞書である「倭名類聚

 

抄」には、特に「八種唐菓子」の記載も残

 

っていると言う訳になります。

 

 

やがて12世紀になると、「羹(あつも

 

の:汁や雑煮等の事)」や、「饅頭」等の

 

「点心(軽食的なもの)」が伝わり、更に

 

「安土桃山時代」には、「カステラ」や

 

「金平糖」等の「南蛮菓子」が渡来したと

 

言う経緯があります。

 

日本の文化の中心地であった「京都」では、

 

「茶道」の発展と共に、特に「点心文化」

 

が「茶道」に供される菓子として発展して

 

いき、やがて「京都」を代表する菓子文化

 

として形成されるようになっていったと言

 

う経緯がある訳になります。

 

例えば、「千利休」の茶会に出された「麩

 

の焼き」を始め、既にあった「饅頭」に加

 

え、1589年には「練り羊羹」が発明され、

 

「餅菓子」、「半生菓子」、「干菓子」等が

 

次々と作られるようになったと言う経緯が

 

ある訳で、こうして、いかに「茶道」の普

 

及が「京都」独自の「菓子文化」の発展に

 

貢献したかが、伺い知れる訳なのです。

 

さて、本日は、「京都」の歴史に関係した

 

「京菓子」について、おさらいクイズにチ

 

ャレンジしましょう!

 

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

「山岳修験」は、日本に古来からあった

 

「自然崇拝」に、「山岳信仰」と「仏教」、

 

「道教」、「陰陽道」等が結びついたものと

 

される宗教と言われています。

 

 

「聖護院(しょうごいん)」は、「京都、左

 

京区、聖護院中町」にある「修験道」の

 

「総本山」の寺院として知られていますが、

 

その起源を辿ると、「聖護院」の宗祖であ

 

り、「修験道の開祖」と言われている「役

 

小角(えんのおづぬ)」と言う人物が、「葛

 

城山」や「大峰山」等で厳しい修行を重ね

 

た後、特殊な法力を得られた行者としてそ

 

の名が広く知られていた「7、8世紀」に

 

まで遡ります。

 

 

 

その後「奈良時代」になると、山林に入っ

 

て修行することで「験力(げんりき)」を

 

身に付けた「山伏」や、「僧侶」が多く現

 

われるようになり、その人達は、特に「験

 

者(げんじゃ)」と呼ばれるようになった

 

と言う経緯があります。

 

 

 

 

その後「平安時代」になると、「京都」で

 

は「密教」との習合が進み、いよいよ「修

 

験道」は、「宗教体系」の一つとして確立

 

するようになり、それに伴って、各地に

 

「霊山」と言われる「修行地」が増えてい

 

ったと言う経緯がある訳になり、その中で

 

も、「吉野の金峰山(きんぷせん)」と、

 

「熊野を含む大峯(おおみね)」は、その

 

中心的存在と考えられるようになっていっ

 

たと言う経緯があるそうです。

 

 

 

こうして「熊野」には、延喜7年(907

 

年)に「宇多法皇」が、寛和2年(986

 

年)には「花山法皇」の参詣が認められる

 

ようになり、古くから「宮廷」の関心が高

 

かった「霊地」であったと言う事になり、

 

それが「平安時代末期」になると、「園城

 

寺」の「増誉(ぞうよ)」と言う僧侶が、

 

寛治元年(1087年)「白河上皇」の「護

 

持僧」となり、その3年後には「上皇」が

 

初めて「熊野」を参詣召される時の「先達

 

(せんだつ)」を務めると言う経緯に発展

 

していったそうです。

 

その功により「増誉(ぞうよ)」は「白河

 

上皇」から一寺を賜わったそうで、その寺

 

こそが、「聖体護持(聖の体を護る)」の寺

 

とされ、「聖護院」と命名されたと言う経

 

緯がある訳になります。

 

 

更に「増誉(ぞうよ)」は、初代の「熊野

 

三山検校(けんぎょう)」にも任じられた

 

そうで、その時から「聖護院」は、全国の

 

修験者の統括の任を担うようになり、以降、

 

「上皇」の「熊野詣」に際しては、「聖護

 

院」が必ず先達すると言う事になった訳に

 

なったそうです。

 

 

 

当時の「熊野詣」は、「白装束」に身を固

 

め、出発の数日前から「精進屋」に籠り、

 

道中では「奉幣(ほうへい:神に捧げ物を

 

奉る事)」や、「水垢離(みずごり:水浴を

 

して穢れを取り去る事)」、「祓(はらい)」

 

など、「精進潔斎」を続けながら険しい山

 

道を約一ヶ月をかけて歩くと言う、「苦行

 

の旅」であった訳なのですが、その苦行こ

 

そが、当時の「院政期」の時代風景と重な

 

って、「上皇」を始めとする人たちを虜に

 

したとも言える訳であり、「白河上皇」は

 

9回、「鳥羽上皇」は21回、「後白河上皇」

 

は34回、「後鳥羽上皇」は28回と、そ

 

の参詣回数の多さが、まさに象徴的だった

 

訳であると言えるのです。

 

 

 

こうして「聖護院」は、「後白河天皇」の

 

皇子であった「静惠法親王」が四世門主と

 

なられた事により、正式な「宮門跡(みや

 

もんぜき:親王が住職となって居住する寺

 

院の事)」となり、それ以降は、「法親王」

 

が相次いで門主を務められたと言う経緯が

 

ある訳となります。

 

 

以降、「聖護院」は、「明治時代」までに、

 

37代を数える門主に引き継がれていき、

 

そのうち25代が「皇室」から、12代が

 

「摂家」から「門跡」が担われたと言う経

 

緯があり、特に「江戸時代後期」には、2

 

度も「仮皇居」となる等、「皇室」と深い

 

関わりを持ち、現在でも「聖護院旧仮皇居」

 

として、「国の史跡」に指定されていると

 

言う経緯になる訳なのです。

 

ちなみに、「聖護院」に関連する食文化も

 

数多く生まれ、「聖護院八ツ橋」を始め、

 

「聖護院大根」、「聖護院かぶ」、「聖護院き

 

ゅうり」等の発祥の地としても知られてい

 

ます。

 

問題:「聖護院」は、「江戸時代後期」の

 

「安政元年(1854年)」に生じた「京都

 

御所炎上」に際して、「孝明天皇」が一時

 

的に「仮皇居」として使用されたと言われ

 

ています。

 

 

さて、それでは、「孝明天皇」が避難先の

 

「聖護院」で食したと伝えられている「京

 

菓子」とは何でしょうか?

 

次のうちから選んで下さい。

 

1.法螺貝餅

 

 

2.行者餅

 

 

3.八ツ橋

 

 

4.阿闍梨餅

 

 

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【解説】

 

「京都、東山区、祇園」にある老舗和菓子

 

屋で有名な「柏屋光貞」は、創業が「江戸

 

時代、1806年(文化3年)」だそうです。

 

 

「法螺貝餅」は、毎年2月3日の節分の

 

日にしか売られていないという大変珍しい

 

和菓子だそうで、そもそも「左京区」にあ

 

る「聖護院(しょうごいん)」が、「節分会」

 

を執り行う時に、一般の参拝者を受け入れ

 

るようになったのを記念して、当時の門主

 

であった「岩本光徹(いわもとこうてつ)」

 

門主」の要請があって、「柏屋光貞」の9

 

代目が考案した和菓子だったからだと言わ

 

れているそうです。

 

 

 

 

ちなみに、「柏屋光貞」の店主は、代々

 

「聖護院門跡」の「山伏」として修行をす

 

るのを通例としていたそうで、皇室の熊野

 

参詣との深い連携感があったと言う事が伺

 

い知れる訳なのです。

 

 

「山伏」が吹くと言われる「法螺貝」は、

 

「悪霊退散」のご利益があるとされていた

 

事から、「節分」の儀式に際して「厄除け」

 

や「無病息災」を祈念して「法螺貝」に似

 

せて開発されたのが、「法螺貝餅」だった

 

と言う経緯になる訳なのです。

 

「法螺貝餅」は、「京都」の「お正月」に

 

作られる「花びら餅」に入れる「味噌餡」

 

にゴボウを刺して、その周りを細長く焼き

 

上げた皮で巻き付け、「法螺貝」に似せて

 

作られている「和菓子」の事を言います。

 

 

こうして悠久の時の流れの中で、「皇室」

 

ゆかりの寺院から誕生した「和菓子」が、

 

後世になってから、避難中の「天皇」の心

 

を和ましたと言う史実に繋がったと言う事

 

になる訳なのです。

 

 

↓↓↓↓↓↓↓答え↓↓↓↓↓↓↓

 

1.法螺貝餅

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

大阪市立大学の研究グループが、大豆

 

などに含まれるイソフラボンが肺気腫

 

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