【食育クイズ:Vol.936】
本日も、「関西地方(三重県、滋賀県、
和歌山県、奈良県、兵庫県、京都府、
大阪府)」の「食文化」をテーマとし
た地域社会の在り方や、昔から先人た
ちが培ってきた、文化や伝統、歴史等
の素晴らしさを、クイズを楽しみなが
ら知見を高め、共有して参りましょ
う!
さて、本日は、「京都府」の「京菓子」に
ついて、おさらいクイズ(Vol.146)に
チャレンジ致しましょう!
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/06/300-200郷土文化京菓子京都府.jpg)
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日本の「お菓子」の歴史を紐解くと、古く
は「遣唐使」と共に「唐果物(からくだも
の)」と呼ばれる「唐菓子」が伝えられた
のが、始まりと言われています。
「唐菓子」は、「米粉」や「小麦粉」に
「水飴」や「蜂蜜」等の甘味料を入れてこ
ねた生地を、「果物」等の形に成型した後
に、「ごま油」等で揚げる技法が用いられ
た「製菓」の事を言い、「平安時代」の記
録によると、「梅枝(ばいし)、桃枝(とう
し)、餲餬(かっこ)、桂心(けいしん)、
黏臍(てんぜい)、饆饠(ひちら)、歓喜団
(かんきだん)」の八種類に分類されると
言われています。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/06/唐果物1.png)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/06/唐菓子3333.jpg)
この八種類以外にも、「索餅(さくべい):
和名は麦縄(むぎなわ)」、「煎餅(せんべ
い)」、「糫餅(かんべい:和名はまがり)」、
「餢飳(ぶと)」、「粔籹(きょじょ)」、「餅
餤(へいだん)」、「結果(けっか)」、「餺飥
(はくたく)」、「粉熟(ふずく)」、「椿餅
(つばいいもち)」等々…があると言われ
ていて、現在にまで伝えられているものも
あるそうです。
「唐菓子」が伝わった当時は、「宮中」や
「貴族」の特別な行事や、神仏儀式の神饌
として使用され、非日常的で一般的なもの
では無かったと言う訳になります。
「平安時代」では、平安京の市でも一部販
売されていたようで、前述のように、当時
の百科事典的な漢和辞書である「倭名類聚
抄」には、特に「八種唐菓子」の記載も残
っていると言う訳になります。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/06/ダウンロード.jpg倭名類聚-抄.jpg)
やがて12世紀になると、「羹(あつも
の:汁や雑煮等の事)」や、「饅頭」等の
「点心(軽食的なもの)」が伝わり、更に
「安土桃山時代」には、「カステラ」や
「金平糖」等の「南蛮菓子」が渡来したと
言う経緯があります。
日本の文化の中心地であった「京都」では、
「茶道」の発展と共に、特に「点心文化」
が「茶道」に供される菓子として発展して
いき、やがて「京都」を代表する菓子文化
として形成されるようになっていったと言
う経緯がある訳になります。
例えば、「千利休」の茶会に出された「麩
の焼き」を始め、既にあった「饅頭」に加
え、1589年には「練り羊羹」が発明され、
「餅菓子」、「半生菓子」、「干菓子」等が
次々と作られるようになったと言う経緯が
ある訳で、こうして、いかに「茶道」の普
及が「京都」独自の「菓子文化」の発展に
貢献したかが、伺い知れる訳なのです。
さて、本日は、「京都」の歴史に関係した
「京菓子」について、おさらいクイズにチ
ャレンジしましょう!
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/06/300-200郷土文化歴史京都府.jpg)
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「山岳修験」は、日本に古来からあった
「自然崇拝」に、「山岳信仰」と「仏教」、
「道教」、「陰陽道」等が結びついたものと
される宗教と言われています。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/06/修験道33.jpg)
「聖護院(しょうごいん)」は、「京都、左
京区、聖護院中町」にある「修験道」の
「総本山」の寺院として知られていますが、
その起源を辿ると、「聖護院」の宗祖であ
り、「修験道の開祖」と言われている「役
小角(えんのおづぬ)」と言う人物が、「葛
城山」や「大峰山」等で厳しい修行を重ね
た後、特殊な法力を得られた行者としてそ
の名が広く知られていた「7、8世紀」に
まで遡ります。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/06/2役小角.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/06/En_no_Gyoja_Kamakura_period_polychromed_wood.jpg役小角444.jpg)
その後「奈良時代」になると、山林に入っ
て修行することで「験力(げんりき)」を
身に付けた「山伏」や、「僧侶」が多く現
われるようになり、その人達は、特に「験
者(げんじゃ)」と呼ばれるようになった
と言う経緯があります。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/06/修験道1-276x300.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/06/山験宗教2.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/06/熊野参詣2.jpg)
その後「平安時代」になると、「京都」で
は「密教」との習合が進み、いよいよ「修
験道」は、「宗教体系」の一つとして確立
するようになり、それに伴って、各地に
「霊山」と言われる「修行地」が増えてい
ったと言う経緯がある訳になり、その中で
も、「吉野の金峰山(きんぷせん)」と、
「熊野を含む大峯(おおみね)」は、その
中心的存在と考えられるようになっていっ
たと言う経緯があるそうです。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/06/吉野金峰山1.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/06/熊野 大峰.gif)
こうして「熊野」には、延喜7年(907
年)に「宇多法皇」が、寛和2年(986
年)には「花山法皇」の参詣が認められる
ようになり、古くから「宮廷」の関心が高
かった「霊地」であったと言う事になり、
それが「平安時代末期」になると、「園城
寺」の「増誉(ぞうよ)」と言う僧侶が、
寛治元年(1087年)「白河上皇」の「護
持僧」となり、その3年後には「上皇」が
初めて「熊野」を参詣召される時の「先達
(せんだつ)」を務めると言う経緯に発展
していったそうです。
その功により「増誉(ぞうよ)」は「白河
上皇」から一寺を賜わったそうで、その寺
こそが、「聖体護持(聖の体を護る)」の寺
とされ、「聖護院」と命名されたと言う経
緯がある訳になります。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/06/聖護院門跡22.jpg)
更に「増誉(ぞうよ)」は、初代の「熊野
三山検校(けんぎょう)」にも任じられた
そうで、その時から「聖護院」は、全国の
修験者の統括の任を担うようになり、以降、
「上皇」の「熊野詣」に際しては、「聖護
院」が必ず先達すると言う事になった訳に
なったそうです。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/06/平安時代熊野詣1-273x300.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/06/平安時代熊野詣で3.jpg)
当時の「熊野詣」は、「白装束」に身を固
め、出発の数日前から「精進屋」に籠り、
道中では「奉幣(ほうへい:神に捧げ物を
奉る事)」や、「水垢離(みずごり:水浴を
して穢れを取り去る事)」、「祓(はらい)」
など、「精進潔斎」を続けながら険しい山
道を約一ヶ月をかけて歩くと言う、「苦行
の旅」であった訳なのですが、その苦行こ
そが、当時の「院政期」の時代風景と重な
って、「上皇」を始めとする人たちを虜に
したとも言える訳であり、「白河上皇」は
9回、「鳥羽上皇」は21回、「後白河上皇」
は34回、「後鳥羽上皇」は28回と、そ
の参詣回数の多さが、まさに象徴的だった
訳であると言えるのです。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/06/熊野参詣2.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/06/山験宗教2.jpg)
こうして「聖護院」は、「後白河天皇」の
皇子であった「静惠法親王」が四世門主と
なられた事により、正式な「宮門跡(みや
もんぜき:親王が住職となって居住する寺
院の事)」となり、それ以降は、「法親王」
が相次いで門主を務められたと言う経緯が
ある訳となります。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/06/後白河天皇.jpg)
以降、「聖護院」は、「明治時代」までに、
37代を数える門主に引き継がれていき、
そのうち25代が「皇室」から、12代が
「摂家」から「門跡」が担われたと言う経
緯があり、特に「江戸時代後期」には、2
度も「仮皇居」となる等、「皇室」と深い
関わりを持ち、現在でも「聖護院旧仮皇居」
として、「国の史跡」に指定されていると
言う経緯になる訳なのです。
ちなみに、「聖護院」に関連する食文化も
数多く生まれ、「聖護院八ツ橋」を始め、
「聖護院大根」、「聖護院かぶ」、「聖護院き
ゅうり」等の発祥の地としても知られてい
ます。
問題:「聖護院」は、「江戸時代後期」の
「安政元年(1854年)」に生じた「京都
御所炎上」に際して、「孝明天皇」が一時
的に「仮皇居」として使用されたと言われ
ています。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/06/光明天皇1.jpg)
さて、それでは、「孝明天皇」が避難先の
「聖護院」で食したと伝えられている「京
菓子」とは何でしょうか?
次のうちから選んで下さい。
1.法螺貝餅
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/06/300-210法螺貝餅.jpg)
2.行者餅
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/06/300-210行者餅22.jpg)
3.八ツ橋
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/06/300-210ダウンロード.jpg八ツ橋.jpg)
4.阿闍梨餅
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/06/300-210阿闍梨餅1.jpg)
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【解説】
「京都、東山区、祇園」にある老舗和菓子
屋で有名な「柏屋光貞」は、創業が「江戸
時代、1806年(文化3年)」だそうです。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/06/300-200柏屋貞光老舗1.jpg)
「法螺貝餅」は、毎年2月3日の節分の
日にしか売られていないという大変珍しい
和菓子だそうで、そもそも「左京区」にあ
る「聖護院(しょうごいん)」が、「節分会」
を執り行う時に、一般の参拝者を受け入れ
るようになったのを記念して、当時の門主
であった「岩本光徹(いわもとこうてつ)」
門主」の要請があって、「柏屋光貞」の9
代目が考案した和菓子だったからだと言わ
れているそうです。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/06/300-210法螺貝餅.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/06/法螺貝餅33.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/06/法螺貝餅1.jpg)
ちなみに、「柏屋光貞」の店主は、代々
「聖護院門跡」の「山伏」として修行をす
るのを通例としていたそうで、皇室の熊野
参詣との深い連携感があったと言う事が伺
い知れる訳なのです。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/06/修験道33.jpg)
「山伏」が吹くと言われる「法螺貝」は、
「悪霊退散」のご利益があるとされていた
事から、「節分」の儀式に際して「厄除け」
や「無病息災」を祈念して「法螺貝」に似
せて開発されたのが、「法螺貝餅」だった
と言う経緯になる訳なのです。
「法螺貝餅」は、「京都」の「お正月」に
作られる「花びら餅」に入れる「味噌餡」
にゴボウを刺して、その周りを細長く焼き
上げた皮で巻き付け、「法螺貝」に似せて
作られている「和菓子」の事を言います。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/06/法螺貝餅777-300x300.jpg)
こうして悠久の時の流れの中で、「皇室」
ゆかりの寺院から誕生した「和菓子」が、
後世になってから、避難中の「天皇」の心
を和ましたと言う史実に繋がったと言う事
になる訳なのです。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/06/光明天皇1.jpg)
↓↓↓↓↓↓↓答え↓↓↓↓↓↓↓
1.法螺貝餅
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
大阪市立大学の研究グループが、大豆
などに含まれるイソフラボンが肺気腫
や慢性気管支炎などの「COPD(慢性
閉塞性肺疾患)」の予防効果を有するこ
とを明らかにしました。
食Pro.お薦めの「大豆ミート」は、
少量摂取でも人にとって必須な「タン
パク質」「食物繊維」「核酸」などの栄
養素が摂取できるように、大豆の油脂
分を除いてから作っています。
必要な栄養素が原料大豆の約1.2倍
以上となり、濃縮された分だけ、多く
含まれています。
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
★大豆プロテイン100g中に植物性
たんぱく質が50g!(半分がたんぱ
く質です)
★低脂質(2.7g)です!
★高食物繊維(20g、腸内発酵を促進
し、腸内健康の源となります。)
これを毎日食すると腸内発酵が促進さ
れ、お通じが良くなり、腐敗から発酵
にチェンジするので、おならが臭くな
くなります。
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なりますのでなお嬉しいです。
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