【食育クイズ:Vol.1113】「京都府」の「嵯峨野と草庵」おさらいクイズ! 小倉山、山麓に「落柿舎」を営み、「俳諧道場」としていた人物とは?

 

【食育クイズ:Vol.1113】

 

本日も、「関西地方(三重県、滋賀県、

 

和歌山県、奈良県、兵庫県、京都府、

 

大阪府)」の「食文化」や「郷土文化」

 

をテーマとした地域社会の在り方や、

 

昔から先人たちが培ってきた、「文化」、

 

「伝統」、「歴史」等の素晴らしさを、

 

クイズを楽しみながら知見を高め、あ

 

らためて「日本」や「日本人」が培っ

 

てきた「良きところ」を共有化し、次

 

代に継承して参りましょう!

 

さて、本日は、「京都、嵯峨野」にあ

 

る「俳諧道場(別荘)」を営んだ「文

 

化人」について、おさらいクイズ

 

(Vol.317)にチャレンジ致しまし

 

ょう!

 

 

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「京都、右京区、嵯峨野」は、「小倉

 

山」と「愛宕山」に囲まれ、「桂川」

 

の北側にあり、非常に「風光明媚」な

 

地であった事から、「平安京遷都」後

 

になると、「天皇や貴族」たちの絶好

 

な「行楽地」となったそうで、「狩猟」

 

や「遊興」等を楽しむ地となったと言

 

われています。

 

 

 

 

この「嵯峨野」の地は「平安時代初期」

 

の頃、「第52代、嵯峨天皇」が「離

 

宮・嵯峨院」を造営して、狩猟を楽し

 

む時の立ち寄り処とした事が「日本後

 

記」に記されています。

 

 

「嵯峨天皇」は、「譲位」後に「上皇」

 

となり、自らの「御所」として、「皇

 

后」と共にこの「離宮」に居住したそ

 

うで、その崩御後は「嵯峨天皇」の

 

「皇女」に伝領され、「876年(貞観

 

18年)」、「皇女、正子内親王(後の

 

淳和天皇皇后)」によって「嵯峨上皇」

 

の菩提を弔うため、「寺院」に改めら

 

れ、これが「大覚寺」となったと言う

 

経緯があります。

 

 

 

こうした経緯もあり、「882年(元慶

 

6年)」、「嵯峨野」の地は、正式に

 

「禁野(きんや:皇族専用の漁場の

 

事)」として指定され、それ以降、「皇

 

室」を始め、「貴族、文人」達等によ

 

る「寺院や山荘」の建立が相次いだ地

 

域となっていったと言う経緯となり、

 

その中でも、「藤原定家」がこの地に

 

「小倉山荘」を造営し、「小倉百人一

 

首」を撰んだ場所となった事が有名で

 

あり、現在では、その「跡地」を「時

 

雨亭(しぐれてい)跡」として、その

 

「遺跡」が「厭離庵(えんりあん)」、

 

「二尊院」、「常寂光寺(じょうじゃっ

 

こうじ)」の3箇所に残っています。

 

 

 

 

 

その後、世の中が「武家社会」となっ

 

ても、「鎌倉時代中期」の「1255年

 

(建長7年)」、「後嵯峨上皇」が「亀

 

山殿(嵯峨殿)」と呼ばれる「離宮」

 

を造営し、「1268年(文永5年)」

 

に、出家して「大覚寺」とし、新たな

 

「御所(嵯峨御所)」とした事から、

 

「大覚寺」は「後嵯峨上皇」崩御後に

 

は引き続いて「亀山法皇」の御所とな

 

り、それ以降、その子孫(血筋)の

 

「天皇」は、「大覚寺統」と称される

 

ようになったと言う経緯があります。

 

 

 

 

 

従って、「鎌倉時代末期」から「室町

 

時代初期」までの、いわゆる「南北朝

 

時代」に、敵対していた「吉野、南朝

 

(大覚寺統)」の「後醍醐天皇」の崩

 

御の知らせを聞いた「室町幕府、初代

 

征夷大将軍」となった、「北朝、持明

 

院統」を後押ししていた「足利尊氏」

 

が、いわゆる「かたき」的存在であっ

 

た「南朝、後醍醐天皇」の菩提を、そ

 

の後の世が再び乱れないよう、丁重に

 

弔う為、この「嵯峨野」の地に「天龍

 

寺」を造営したのも、この地が「大覚

 

寺統」ゆかりの地であった事によるも

 

のだったからと言う訳なのです。

 

 

 

 

 

 

こうした歴史のあった「嵯峨野」の地

 

が大きく変化したのは、「江戸時代初

 

期」の「慶長11年(1606年)」に、

 

「角倉了以」と言う人物が、荒れる川

 

だった「保津川」を開削して、「大堰

 

川」を開くと言う、当時としては極め

 

て大規模な河川のインフラ整備を遂行

 

した事によって、「嵯峨野」の地が

 

「丹波地域」と「京都」とを繋ぐ「水

 

運」の要衝地と生まれ変わり、「木材」

 

等を扱う商業が盛んになり、「ヒト・

 

モノ・カネ」が集中する経済地域とな

 

った時からだと言われています。

 

 

 

 

昔も、今も、地域のインフラ整備は、

 

経済発展に欠かせない国家が為さねば

 

ならない事業の一つであり、現在の

 

「日本の中枢」が、少なくともこの

 

30年間に渡り、「緊縮財政、一辺倒」

 

しか考えない「財務省」の思惑に屈す

 

る一方で、国のインフラ整備をしない

 

国になってしまっている事を、過去の

 

日本のご先祖達に見習って思い直して

 

もらいたいと思う日本人も数多くいる

 

のでは無いかと思われる訳なのです。

 

さて、本日は、「江戸時代」、この「嵯

 

峨野」の地に「別荘」を営んだ「文化

 

人」について、おさらいクイズにチャ

 

レンジ致しましょう!

 

 

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現在、「嵯峨野」に地にある「落柿舎

 

(らくししゃ)」の「庵(いおり)」は、

 

そもそも「江戸時代初期」からあった

 

「俳諧道場(別荘)」だったものを、

 

「江戸時代中後期」にさしかかった

 

「明和7年(1770年)」に、「俳人」

 

の「井上重厚(いのうえじゅうこう)」

 

によって再建され、自身の住居となっ

 

たと言われていて、更に、その後、

 

「明治元年」にも再興されたと言う経

 

緯があり、その後近年の、「2009年

 

(平成21年)」に、大規模な修復工

 

事が行なわれた後、「公益財団法人、

 

落柿舎保存会」によって「管理、運営」

 

が為されているそうで、現在では「申

 

込み制で、「入庵」も出来るようにな

 

っているそうです。

 

 

 

 

 

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問題:「江戸時代」、「京都、嵯峨野」

 

の「小倉山」山麓に、「落柿舎(らく

 

ししゃ)」と呼ばれる、「俳諧道場(別

 

荘)」が営われていたそうです。

 

 

さて、それでは、その「俳諧道場」と

 

は、誰の「別荘(住居)」だったので

 

しょうか?

 

次のうちから選んで下さい。

 

1.向井去来(むかいきょらい)

 

 

2.松尾芭蕉(まつおばしょう)

 

 

3.与謝蕪村(よさのぶそん)

 

 

4.松永貞徳(まつながていとく)

 

 

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【解説】

 

「落柿舎(らくししゃ)」は、「京都、

 

右京区、嵯峨野」にある「草庵」の事

 

を言い、「江戸時代」の俳人「松尾芭

 

蕉」の弟子であった「向井去来(むか

 

いきょらい)」の「別荘(住居)」とし

 

て使用されていた場所の事を言います。

 

 

その名の由来は、庵の周囲の「柿」が

 

一夜にしてすべて落ちてしまったと言

 

う「逸話」によって命名されたと言わ

 

れています。

 

 

その「逸話」とは、「去来」の記した

 

「落柿舎ノ記」の中に書かれているそ

 

うで、その内容とは、

 

~「庵」の庭には40本の「柿の木」

 

があり、「1689年(元禄2年)」の

 

時、この「庵」に「都」から「柿」を

 

扱う「老商人」が訪ねてきて、「庵の

 

庭」の「柿」を「一貫文」を差し出し

 

て買い求め、翌朝受け取りに来ると約

 

束した。

 

ところが、その日の夜に嵐となり、一

 

夜にして「柿」が全て落ちてしまった。

 

翌朝になって受け取りに来た「老商人」

 

がこの有様に呆然としつつ、前日渡し

 

ていた代金の返金を願ったので、「去

 

来」はその願いを受けて、柿の代金を

 

全額返す事にした。

 

その後、この「老商人」が「都」に帰

 

るにあたり、「去来」は、「都」に居る

 

「友人」宛の手紙を託し、その手紙に

 

は、手紙を託した「老商人」と、「庵

 

の柿」が一夜で落ちてしまった事との

 

関係を表す意味で、「落柿舎の去来」

 

の署名があった。~

 

 

以上のような手紙を「去来」が書いた

 

事から、以降、「去来」の「庵」の事

 

が「落柿舎」と呼ばれるようになった

 

と言う経緯になる訳なのだそうです。

 

 

この「落柿舎」には、「去来」の「師」

 

である「松尾芭蕉」も、3度訪れ、長

 

く滞在した事もあったそうで、「芭蕉」

 

はその滞在中に、「嵯峨日記」を著し

 

た事でも良く知られているところだと

 

言われています。

 

 

 

このように、「嵯峨野」の地は、「平安

 

時代」の昔から脈々と連なる「皇室」

 

や「貴族」、「文化人」達の、日本の

 

「優れた精神文化」に溢れた特別な場

 

所だった事が伺い知れる訳なのです。

 

 

 

↓↓↓↓↓↓↓答え↓↓↓↓↓↓↓

 

1.向井去来(むかいきょらい)

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

大阪市立大学の研究グループが、大豆

 

などに含まれるイソフラボンが肺気腫

 

や慢性気管支炎などの「COPD(慢性

 

閉塞性肺疾患)」の予防効果を有するこ

 

とを明らかにしました。

 

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