【食育クイズ:Vol.1478】
本日も、「関西地方(三重県、滋賀県、
和歌山県、奈良県、兵庫県、京都府、
大阪府)」の「食文化」や「郷土文化」
をテーマとした地域社会の在り方や、
昔から先人たちが培ってきた、「文化」、
「伝統」、「歴史」等の素晴らしさを、
クイズを楽しみながら知見を高め、あ
らためて「日本」や「日本人」が培っ
てきた「良きところ」を共有化し、次
代に継承して参りましょう!
さて、本日は、「京都府」の「平安時代、
藤原道長」にまつわる「宝篋印塔(ほう
きょういんとう)」がある「寺院」につ
いて、おさらいクイズ(Vol.681)にチ
ャレンジ致しましょう!
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/11/誠心院和泉式部1.jpg)
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「平安時代中期」に活躍した「女流歌人」
として知られる「和泉式部(いずみしき
ぶ)」は、「大江雅致(まさむね)」の
「娘」として生まれ、その後「和泉守、
橘道貞」の「妻」となった事により、
「父親」の「官名」と、「夫」の「赴任
国名」とを合わせて、「和泉式部」と呼
ばれるようになったそうです。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/11/300-300-和泉式部1.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/11/300-和泉式部1111.jpg)
ちなみに、「道貞」との間に生まれた
「娘」の「小式部内侍」も、「母親譲り」
の「歌才」を示した「女流歌人」として
知られています。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/11/300-300小式部内侍.jpg)
「和泉式部」の「人生」の「半生」は、
非常にスキャンダラスなものだった事で
知られていて、まだ「道貞」の「妻」だ
った頃に、「第63代、冷泉天皇」の
「第三皇子」である「為尊親王」との熱
愛が世に喧伝された事に始まり、その
「為尊親王」が亡くなった翌年には、そ
の「弟」である「帥宮(そちのみや)」と
呼ばれる「敦道親王」からの熱烈な「求
愛」を受けてしまい、「親王」は「式部」
を「邸」にまで迎えようとした為、結果
として「正妃」が「家出」すると言う
「大スキャンダル事件」になってしまっ
たそうです。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/11/300-63代、冷泉天皇.jpg)
こうして「和泉式部」は、「敦道親王」
との間に、「永覚」と呼ばれる「子」を
儲けるに至ったのですが、「敦道親王」
もまた、「1007年」に、「早世」してし
まったそうです。
「服喪」を終えた「式部」は、その後
「寛弘年間(1008~1011年)」頃に
なると、「第66代、一条天皇」の「中
宮」となった事で知られる「藤原道長」
の「娘」の「藤原彰子」の「女房」とし
て「出仕」を始めるに至り、「紫式部」
を始め、「伊勢大輔(いせのたいふ)」や、
「赤染衛門」等の「女流歌人」と共に、
「宮廷サロン」を築く一員となった事で
知られている訳になります。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/11/300-180藤原道長1-2.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/11/300-380第66代、一条天皇.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/11/300-一条天皇中宮藤原彰子1-1.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/11/300-300紫式部1.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/11/300-225伊勢大輔.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/11/300-赤染衛門.jpg)
その後「四十歳」を過ぎた頃、仕えてい
た「中宮」の「父親」である「藤原道長」
の「家司」であった「藤原保昌」と再婚
し、「丹後守」となった「夫」と共にそ
の「任国」に下ったのですが、「万寿2
年(1025年)」に、「娘」の「小式部内
侍」に先立たれると言う事件が起きた事
によって、「娘」の「菩提」を弔いつつ、
自らの「女性」としての「極楽往生」の
在り方について、深く考えるようになり、
当時「天下一の名僧」として評判の高か
った「播磨国、書写山、圓教寺」の「性
空上人」に、その「教え」を乞う為に、
訪ねるに至ったと言う経緯になったそう
です。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/11/300-izumisikibu姫路円教寺にに旅立つ.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/11/300-216圓教寺性空上人像1.jpg)
しかし、「上人」がどうしても会ってく
れなかった為、亡くなった「娘」を思う
気持ちを「歌」にして、「性空上人」に
対して「結縁歌(仏道に帰依する事)」
として「出歌」したところ、「性空上人」
との面会を果たす事ができ、こうして
「女人往生」の術を教わり、しかも「上
人」から、「歌」の返しとして「袈裟」
まで授けられるに至ったと言う経緯にな
ったのだそうです。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/11/420-和泉式部の歌12.jpg)
その後「和泉式部」は、「性空上人」の
「教え」を忠実に守り、「京都、誓願寺」
に入り、「御本尊」の「阿弥陀如来」に
「帰依」して「出家」し、「専意法尼」
という「戒名」を授かるに至ったそうで
す。
この「成り行き」を知った「中宮、藤和
彰子」が、「父親」であり、当時の最高
権力者として知られる「藤原道長」に願
い出て、「専意法尼」の為に「一宇」を
「建立」するように勧めるに至ったそう
で、「道長」は「京都、法成寺」の「塔
頭、東北院」の一角に「お堂(小御堂)」
を建立して、「専意法尼」を「初代住職」
とさせるに至ったと言う経緯となった訳
なのだそうです。
さて、本日は、この「道長」が建てた
「寺院」について、おさらいクイズにチ
ャレンジ致しましょう!
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/11/誠心院和泉式部1.jpg)
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問題:「平安時代中期」の頃、当時全盛
を誇っていた「藤原道長」が建立した
「お堂」が、その始まりとされている
「寺院」で、その「初代住職」となった
事で知られ、「道長」の「娘」であり、
「第66代、一条天皇」の「中宮」とな
った「藤原彰子」に仕えた事でも知られ
ている、「和泉式部」の「墓」とされる
「宝篋印塔(ほうきょういんとう)」が
ある事で知られる、「京都」の「寺院」
とはどれでしょうか?
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/11/300-300-和泉式部1.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/11/ロゴなし420-pic_hakahou宝篋印塔-1.jpg)
次のうちから選んで下さい。
1.誠心院
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/11/300-285誠心院1.jpg)
2.随心院
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/11/300-285京都随心院.jpg)
3.祇王寺
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/11/300-285-祇王寺1.jpg)
4.一言寺
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/11/300-285一言寺.jpg)
↓↓↓↓↓答えはここから↓↓↓↓↓
【解説】
「藤原道長」が、「娘」であり、「第66
代、一条天皇」の「中宮」となった「藤
原彰子」から請われて、「法成寺、塔頭」
の「東北院の一角(現・京都御所の東、
荒神口辺り)」に建てた「お堂(小御堂)」
は、「専意法尼(和泉式部)」が「初代住
職」となり、「東北院、誠心院(じょう
しんいん)」と名付けられたそうで、こ
れが「誠心院」の起こりであると言われ
ている訳になります。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/11/300-285誠心院1.jpg)
「専意法尼(和泉式部)」は、「性空上人」
から貰った「袈裟」を着用し、この場所
でその生涯を終え、「極楽往生」を遂げ
たと言われている訳なのであり、その
「戒名」は「誠心院専意法尼」だそうで
す。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/11/300-和泉式部12345.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/11/300-250和泉式部333.jpg)
ちなみに「和泉式部」は、「性空上人」
の教え通りに「念仏三昧」の日々を送り、
その甲斐あって「二十五菩薩」に迎えら
れ、「極楽浄土」へ「往生」したと言う
事が伝説となり、それ以降、「女人往生」
を願う人が参詣すると、「和泉式部」が
「歌舞の菩薩」と共に「来迎」されると
言う「信仰」となり栄えたそうです。
「宝篋印塔(ほうきょういんとう)」と
は、「墓塔」や「供養塔」等に使われる
「仏塔」の一種の事を言い、「誠心院」
にある「宝篋印塔」は、「和泉式部」の
「墓所」として建てられたと言われてい
て、「鎌倉時代」の「1313年(正和2
年)」に「改修建立」されたものだそう
で、「高さ約4m、幅約2.4m」と巨大
な「石塔」で、「浄土信仰」の「供養塔」
である事が最大の特徴だそうで、毎年
「3月21日」の「和泉式部」の「命日」
には、記念供養が執り行われているそう
です。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/11/420-宝篋印塔234pic_shikibu.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/11/420-pic_hakahou宝篋印塔.jpg)
ちなみに「誠心院」は、諸事情により
「焼失」や「移転」を重ね、「豊臣秀吉」
の時に、現在地である「寺町六角下ル」
の場所になったそうで、「道長」が最初
に名付けた「じょうしんいん」と読まれ
ていたのですが、先の「大戦」以降から
は、「せいしんいん」と読まれるように
なったそうです。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/11/300-誠心院23.jpg)
↓↓↓↓↓↓↓答え↓↓↓↓↓↓↓
1.誠心院
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大阪市立大学の研究グループが、大豆
などに含まれるイソフラボンが肺気腫
や慢性気管支炎などの「COPD(慢性
閉塞性肺疾患)」の予防効果を有する
事を明らかにしました。
食Pro.お薦めの「大豆ミート」は、
少量摂取でも人にとって必須な「タン
パク質」「食物繊維」「核酸」などの栄
養素が摂取できるように、大豆の油脂
分を除いてから作っています。
必要な栄養素が原料大豆の約1.2倍
以上となり、濃縮された分だけ、多く
含まれています。
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★大豆プロテイン100g中に植物性
たんぱく質が50g!(半分がたんぱ
く質です)
★低脂質(2.7g)です!
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と健康を守る活動をしています。大豆
ミートをはじめ、食に関するいろいろ
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かったら一度遊びにきてくださると嬉
しいです。「いいね」もしてくださる
と、情報更新のお知らせが届くように
なりますのでなお嬉しいです。
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