【食育クイズ:Vol.1484】「京都府」の「74代天皇后、待賢門院」おさらいクイズ! 「浄土式庭園」と「青女の滝」が造立された寺院とは?

 

【食育クイズ:Vol.1484】

 

本日も、「関西地方(三重県、滋賀県、

 

和歌山県、奈良県、兵庫県、京都府、

 

大阪府)」の「食文化」や「郷土文化」

 

をテーマとした地域社会の在り方や、

 

昔から先人たちが培ってきた、「文化」、

 

「伝統」、「歴史」等の素晴らしさを、

 

クイズを楽しみながら知見を高め、あ

 

らためて「日本」や「日本人」が培っ

 

てきた「良きところ」を共有化し、次

 

代に継承して参りましょう!

 

さて、本日は、「京都府」の「藤原璋子

 

(待賢門院:第74代、天皇后)」にま

 

つわる「寺院」について、おさらいクイ

 

ズ(Vol.687)にチャレンジ致しましょ

 

う!

 

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

「平安時代後期」になると、「第72代、

 

白河天皇」が、僅か8歳だった「皇子」

 

に譲位して「第73代、堀河天皇」とし、

 

「幼帝」を補佐すると言う立ち位置で、

 

自らは「法皇」となり、「治天の君」と

 

して「院政」が執り行われるようになっ

 

たと言う経緯がある事で知られています。

 

 

 

 

しかし「堀河天皇」が29歳で崩御して

 

しまった為に、「白河法皇」は、「孫」に

 

あたる「第74代、鳥羽天皇」を即位さ

 

せ、更に「院政」を維持すると言う経緯

 

となりました。

 

 

 

この「白河法皇」が、その「寵妃」とな

 

った「祇園女御」と共に、「幼少」の時

 

から「養女」として寵愛していたのが、

 

「7歳」の時に「父親」である「権大納

 

言、藤原公実」を失った「藤原璋子(し

 

ょうし)」だった事で知られています。

 

 

 

絶世の美女に成長した「璋子」は、

 

「1118年」に、「養父」であった「白

 

河法皇」を「代父」として、「法皇」の

 

「孫」であった「第74代、鳥羽天皇」

 

の「中宮」となるに至ったそうで、その

 

「翌年」には、「第一皇子、顕仁親王

 

(後の第75代、崇徳天皇)」を出産す

 

るに至り、その後も「第77代、後白河

 

天皇」を含め、総計で「5男2女」を

 

儲けるに至ったと言う経緯となった事で

 

知られています。

 

 

 

 

 

さて、本日は、この「藤原璋子(待賢門

 

院)」にまつわる「寺院」について、お

 

さらいクイズにチャレンジ致しましょ

 

う!

 

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

「平安時代初期」の頃、「右大臣」だっ

 

た「清原夏野」は、「景勝地」であった

 

「平安京、右京、双ヶ丘」の地に、「山

 

荘」を営んだ事から、「双岡大臣」とも

 

呼ばれていたそうで、「830年~834年」

 

にかけて、「第52代、嵯峨上皇」や

 

「第53代、淳和天皇」が「行幸」して

 

水木を鑑賞していた事で知られているそ

 

うです。

 

 

 

 

 

その後「夏野」が亡くなると、「858年」

 

に、「第55代、文徳天皇」の発願で

 

「寺院」となり、「天安寺」と号される

 

に至ったそうです。

 

 

 

その後荒廃してしまっていたのを、「平

 

安時代末期」の「大治5年(1130年)」

 

に再興したのが、「第74代、天皇后、

 

藤原璋子(待賢門院)」だったそうで、

 

「天皇后」はその晩年をこの地で過ごし、

 

「寺院」の「北側」の内山として知られ

 

る、「五位山、中腹」に建立された「花

 

園西稜」に眠っている事で知られている

 

そうです。

 

 

 

「絶代の美貌」を謳われ、「信仰心」も

 

深かった「第74代、天皇后」を慕い、

 

この「寺院」を訪れる人々も多く、その

 

中には「歌僧、西行法師」も憧れ、訪れ

 

て歌を詠んだ事でも知られています。

 

 

 

問題:「平安時代末期」の「院政期」に、

 

「第74代、鳥羽天皇」の「天皇后」と

 

なった「藤原璋子(しょうし):待賢門

 

院」は、荒廃していた「天安寺」を再興

 

し、晩年はこの地で過ごした事で知られ

 

ています。

 

「天皇后」はこの「寺院」に、見事な

 

「浄土式庭園」を造営し、「夫」である

 

「鳥羽上皇」を伴って「落慶供養」を執

 

り行なうに至ったそうで、更に「巨石」

 

を用いて、「日本最古」の「人工の滝」

 

と言われ、現在、「特別名勝」に指定さ

 

れている「青女(せいじょ)の滝」も造

 

営した事で知られているそうです。

 

 

さて、それでは、この時新しく命名され

 

 

た「寺院名」とは何でしょうか?

 

次のうちから選んで下さい。

 

1.法金剛院

 

 

 

2.渉成園

 

 

 

3.天龍寺

 

 

 

4.青連院

 

 

 

↓↓↓↓↓答えはここから↓↓↓↓↓   

 

【解説】

 

「平安時代初期」に、「右大臣、清原夏

 

野」が、「京都」の「名勝の地」として

 

知られる「双ヶ丘」に構えた「山荘」は、

 

その後「双丘寺」と呼ばれる「寺院」と

 

なり、「第52代、嵯峨天皇」や「第53

 

代、淳和天皇」の「行幸」をみ、その後

 

「第54代、仁明天皇」も「行幸」する

 

に至り、その際に、「寺」の背後にある

 

「内山」に登り、その「景勝」を愛でて、

 

「五位の位」を授けるに至ったそうです。

 

 

それ以来、この「内山」は「五位山」と

 

称されるようになり、「寺」の「山号」

 

も「五位山」と称されるに至ったそうで

 

す。

 

しかしながら、その後「寺運」は衰え

 

「荒廃」してしまっていたのを、「平安

 

時代末期」の「1130年」に、「待賢門

 

院」がこの「寺」を「住まい」とすべく

 

再興し、その名称を「法金剛院」と改め

 

るに至ると言う経緯となった訳なのだそ

 

うです。

 

 

 

「待賢門院」が「法金剛院」再興に邁進

 

したのは、以下のような時代背景がある

 

事で知られています。

 

「夫」である「鳥羽上皇」が、「息子」

 

である「崇徳天皇」を退位させてまで、

 

「側妃」の息子を「第76代、近衛天皇」

 

として即位させた事の背景には、「待賢

 

門院」が「鳥羽天皇」の「中宮」となっ

 

た時に、実は、既に「養父」である「白

 

河法皇」の子を身籠っていて、その後

 

「第74代、鳥羽天皇」の「第一皇子」

 

として生まれ、「第75代、崇徳天皇」

 

となったと言う「噂」があり、「白河法

 

皇」が亡くなるや否や、それまでの均衡

 

状態が崩れ出すに至り、「鳥羽上皇」は、

 

「崇徳天皇」の事を、「息子」では無く

 

「弟」と見做すような態度を示すに至る

 

ようになり、更に「天皇后」に代わって

 

「側妃」の「藤原得子(美福門院)」を

 

寵愛し、その「得子」が産んだ「息子」

 

を「第76代、近衛天皇」とし、「息子」

 

がいるのに「弟」を「天皇」にしている

 

訳にはいかないとして、「崇徳天皇」を

 

「退位」させてしまうに至ると言う経緯

 

となった訳なのです。

 

 

 

 

例え「噂」が真実であり、「崇徳天皇」

 

が「鳥羽天皇」と「待賢門院」との「子」

 

では無かったとしても、「待賢門院」か

 

らすれば、自身のお腹を痛めて産んだ

 

「息子」である事に代わりは無い事から、

 

「崇徳天皇」を「ないがしろ」にした

 

「鳥羽上皇」を恨んで、「側妃、得子」

 

に対する「呪詛事件」が相次いで発覚す

 

るに至ったそうで、「鳥羽上皇」との

 

「不仲説」の「噂」は、決定的なものと

 

なってしまったと言う経緯となった訳な

 

のだそうです。

 

このような経緯から、「世間」からの

 

「悪しき風評」が、大きくなれば大きく

 

なるほど、「待賢門院」は、益々「法金

 

剛院」の再興に力を注ぐようになるに至

 

り、更に合わせて、自らの波乱な運命を

 

乗り越えて、安らけく「女人往生」する

 

場所となる事を望み、現世に「極楽往生」

 

の場所を再現する「浄土式庭園」の造営

 

に、「全力」で取り組むに至ると言う経

 

緯となった訳なのだそうです。

 

 

 

この「浄土式庭園」に築かれたのが、

 

「日本最古」の「人工の滝」として知ら

 

れる「青女(せいじょ)の滝」だそうで、

 

当初、当時を代表する「作庭家」として

 

知られる「林賢(りんけん)」が、巨大

 

な石を組んで高さ2m程の「人工物」と

 

は思えないレベルの、素晴らしい景観の

 

「滝」を作庭したそうです。

 

 

 

しかしながら「女人往生」への願望が

 

益々強くなっていった「待賢門院」は、

 

更に「滝」の大型化を望むに至り、「仁

 

和寺」の「僧侶、徳大寺静意(とくだい

 

じじょうい)」に命じて、更に「5尺〜

 

6尺(1.5m〜1.8m)」ほど高いものに、

 

組み直させたと言う経緯となった訳なの

 

だそうです。

 

 

 

しかしながらその後の「乱世」による

 

「寺院」の荒廃と共に、この「浄土式庭

 

園」と「滝組」は、長らく埋もれてしま

 

うに至っていた訳なのですが、近年の

 

「昭和43年」になった時に、「境内」

 

の「発掘調査」が行なわれ、「上端部」

 

だけが顔を出していた「青女の滝」の

 

「石組」が、「完全な姿」で残存してい

 

る事が判明し、「昭和45年」には、「滝

 

石組」と、「滝」から「池」へとの流れ

 

る姿が再現されるに至り、それに合わせ

 

て「池泉回遊式(ちせんかいゆうしき)

 

庭園」の「池」や、「植栽」の整備も進

 

み、こうして「平安時代末期」に隆盛し

 

た「浄土式庭園(宇治の平等院がその代

 

表格)」が復元されるに至ったと言う経

 

緯となった訳なのだそうで、現在では、

 

「青女の滝」の「下段」を「林賢」が組

 

み、「上段」を「静意」が積み上げたも

 

のとして、日本の「中世」の「歴史のロ

 

マン」を肉眼で見られるようになったと

 

言う経緯となった訳なのです。

 

 

 

 

 

ちなみに、「平安時代末期」に「治天の

 

君」となり「院政」を敷いた事で知られ

 

る「第72代、白河法皇」が「養父」と

 

なり、「第74代、鳥羽天皇」の「天皇

 

后」となった「藤原璋子(待賢門院)」

 

は、「第一皇子」の「崇徳天皇」を合わ

 

せて、「5男2女」を儲けたものの、

 

「白河法皇」が77歳で崩御すると、そ

 

れまでの「均衡」が崩れ出すに至り、

 

「璋子」の「息子」である「崇徳天皇」

 

が孤立し、夫の「鳥羽上皇」とは不仲に

 

なってしまうに至ったと言う事件は、そ

 

のままでは終了せず、その事件に端を発

 

して勃発した、「崇徳上皇」と「後白河

 

天皇」との勢力が、「朝廷」を二分する

 

と言う非常に大きな「皇位継承争いの事

 

件(保元の乱)」にまで発展するに至り、

 

その事がきっかけとなって、「平安貴族

 

の統治」の「時代」から「武家統治」の

 

「時代」へと「大変容」してしまうに至

 

ってしまうきっかけとなってしまった訳

 

なのであり、その時の「天皇」と「上皇」

 

との「両者」共に、「待賢門院」の「実

 

子」であったと言う事が、「歴史のアイ

 

ロニー」を感じる出来事だったと言える

 

訳なのです。

 

 

 

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1.法金剛院

 

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