【食育クイズ:Vol.947】「京都府」の「大根焚き」おさらいクイズ! 「京都、了徳寺」の「大根焚き」のきっかけとなった「念仏宗」の僧侶とは?

 

【食育クイズ:Vol.947】

 

本日も、「関西地方(三重県、滋賀県、

 

和歌山県、奈良県、兵庫県、京都府、

 

大阪府)」の「食文化」をテーマとし

 

た地域社会の在り方や、昔から先人た

 

ちが培ってきた、文化や伝統、歴史等

 

の素晴らしさを、クイズを楽しみなが

 

ら知見を高め、共有して参りましょ

 

う!

 

さて、本日は、「京都府」発祥の「大根焚

 

き文化と歴史」について、おさらいクイズ

 

(Vol.155)にチャレンジ致しましょ

 

う!

 

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

問題:「京都、右京区、鳴滝」にある「法

 

輪山、了徳寺」には、教えを説きに来られ

 

た「とある僧侶」に対して、感動した村人

 

達が「大根」を炊いてもてなしたと言う

 

「言い伝え」が残っているそうです。

 

 

その時、その「とある僧侶」は、その御礼

 

として、「鍋」についたススを「墨」にし

 

て、「ススキ」の一穂を「筆」として、「念

 

仏」を書き上げて去ったと言う「言い伝え」

 

が「伝説」として残っているそうです。

 

さて、それでは、その「念仏宗」に関わる

 

「とある僧侶」とは、誰でしょうか?

 

次のうちから選んで下さい。

 

1.法然

 

 

2.親鸞

 

 

3.空也

 

 

4.一遍

 

 

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【解説】

 

「親鸞」は、「鎌倉時代」、日本各地に「念

 

仏道場」を設けた事で知られている、「浄

 

土真宗」の宗祖と言われている人物です。

 

 

「親鸞」は、そもそも天皇家の血筋であっ

 

た「貴族(清和源氏)」の生まれだったそ

 

うで、幼名を「松若丸」と称し、当時全盛

 

だった「平家」によって暗殺される事を危

 

惧して、「牛若丸(源義経)」が「鞍馬寺」

 

に預けられたように、9才のときに、「京

 

都、青蓮院」に入り、後に「天台座主(比

 

叡山、延暦寺の住職)」となった「慈円

 

(慈鎮和尚)」のもとで「得度(出家)」し

 

て、「範宴(はんねん)」と称するようにな

 

っと言う経緯があるそうです。

 

こうして9才の時に「出家」した幼き頃の

 

「親鸞聖人」は、「比叡山、延暦寺」に登

 

り、以降20年間に及ぶ激しい「天台宗の

 

修行」を行ったそうです。

 

しかしながら、「源氏、八幡太郎」の「嫡

 

流」生まれだった若き頃の「親鸞」にとっ

 

てみれば、そもそも「八幡神社思想」が

 

「三つ子の魂」だった訳であり、「天台宗」

 

の「法華経」はなじまなかったと言う事に

 

なり、29才になった時、「比叡山」から

 

下山し、当時69才だった「念仏宗の開祖」

 

と言われる「法然」の元に行き、「専修念

 

仏」の教えに触れ、入門し、「綽空(しゃ

 

っくう)」の名を与えられ、その後、次第

 

に「法然」の「高弟」となっていったと言

 

う経緯があります。

 

 

しかしながら、その後1207年なると、

 

有名な「承元の法難(じょうげんのほうな

 

ん)事件」が勃発してしまいます。

 

この事件とは、「後鳥羽上皇」が「熊野詣」

 

に行かれ、「御所」を留守になさった事を

 

見計らったかたちで、当時民衆からの人気

 

急上昇中だったと言われる、「法然」門下

 

の「住蓮」や「安楽」等が催している「念

 

仏集会」に、「後鳥羽上皇」に仕えていた

 

「宮中の女官」達数名が密かに参加し、し

 

かも、この内数名の女官が、「念仏宗の教

 

え」に感銘を受けてしまい、そのまま「出

 

家」してしまったと言う事件であり、その

 

後「帰京」し、その事実を知った「後鳥羽

 

上皇」の逆鱗に触れてしまった「念仏宗一

 

派」に、大災難が降りかかる事になります。

 

その災難とは、その時「念仏集会」を実施

 

した「住蓮」や「安楽」等4名の「法然」

 

の弟子達は全員「死罪」となった事を始め、

 

その後の「専修念仏」活動は、民衆を惑わ

 

すものとして「一切停止」となり、「念仏

 

宗」の「教祖」である「法然」を始め、

 

「親鸞」を含む7名の「高弟」達が「流

 

罪」に処せられたと言うものだった訳にな

 

ります。

 

 

 

この当時の時代背景には、「法然」を始め、

 

その弟子である「親鸞」等の「念仏宗」が

 

民衆の間で流行し始めた時であり、「藤原

 

氏」の氏寺である「興福寺」等、「仏教」

 

は「貴族や武士」等と言った一部の人たち

 

のものであると考える、「朝廷」や「権力

 

者」達と結びつきの強かった「旧仏教教団」

 

から、広く民衆を巻き込む「念仏宗」の流

 

行を危惧し、敵視する訴えが「朝廷」に対

 

して行われていた時代であり、この事件を

 

きっかけとして、「朝廷」を始めとする

 

「権力者」達の手によって、「念仏宗一派」

 

は処断されてしまったと言う経緯になる訳

 

なのです。

 

 

この事件によって、「法然」や「親鸞」は

 

「僧籍」を剥奪され、「法然」は「土佐」

 

に、「親鸞」は「越後国、国府(現、新潟

 

県上越市)」に流されてしまった訳なので

 

すが、その5年後の「順徳天皇」の御代に

 

なると、「勅免の宣旨」が下りたと言われ

 

ています。

 

ところが、「親鸞」は、「勅免」によって

 

「京都」に戻った「法然」と再開する前に、

 

「法然」が死去してしまったため、結局

 

「京都」には戻らず、その後20年間に渡

 

り「東国(関東)」で「布教活動」に専念

 

したと言う経緯があり、実際に「親鸞」が

 

「京都」に「帰京」したのは、60才を超

 

えてからだったと言う経緯になるそうです。

 

「帰京」後の「親鸞」は、過去に当時の権

 

力者から弾圧され続け、自らも厳しい流浪

 

の日々を送った人生だったと言う経緯から

 

か、その生活は、主として「著作活動」に

 

専念されたそうで、穏やかに過ごす晩年だ

 

ったと言われています。

 

しかしながら、こうして静かに晩年を過ご

 

していた「親鸞聖人」ですが、1952年、

 

80才になった時、「京都、右京区」の

 

「愛宕山中」にある、かつて亡き「師」や、

 

「九条公」と、三人で別離を惜しんだ場所

 

である「月輪寺(つきのわでら)」を訪れ、

 

故「法然上人」の「遺跡」を訪ねると言う

 

行動を起こしたそうです。

 

 

 

そもそも「京都、愛宕山」は、古くから

 

「愛宕神社」を中心とする「修験道」の場

 

であった訳であり、781年に「光仁天皇」

 

の勅により、「愛宕山」の中興を期して、

 

五箇所の峰に寺を置いたそうで、その中の、

 

東側の山深い山中にあるのが「月輪寺」だ

 

ったと言われています。

 

この「月輪寺」は、10世紀の「平安時代」

 

になると、「空也」が来山したと言われて

 

いる「寺」であり、その後12世紀から

 

13世紀にかけては、「九条兼実(1149

 

年 – 1207年)」の「隠棲の場」となった

 

「寺」だったそうで、この「九条兼実」を

 

訪ねて、「承元元年(1207年)」に、「流

 

罪」となる直前の状態だった「法然」と

 

「親鸞」が、この「寺」を訪れ、3人でそ

 

れぞれの別離を惜しんだと言う経緯がある

 

訳なのです。

 

 

「月輪寺」には、この時に3人がそれぞれ

 

の像を刻んだと言う、言い伝えが残ってい

 

るそうで、現在でもその「三祖像」が、

 

「寺」に伝わっていると言われています。

 

こうして、不幸な事件勃発と、その時代的

 

背景によって、「師」と共に「流罪」とな

 

り、更にその「師」の「死」によって再会

 

も果たせなかった「親鸞聖人」が、「京都」

 

に戻ってから、「法然」を偲んで「月輪寺」

 

にある「遺構」を訪ねたのは、至極当然の

 

事だったと言う訳なのです。

 

「親鸞聖人」は、「月輪寺」からの帰り道

 

にあった「了徳寺」に立ち寄り、その地で、

 

村人たちに対して、ずっと培ってきた「念

 

仏説法」をする事になったそうで、長きに

 

渡り培われてきた「親鸞聖人」の「辻説法」

 

とその「教え」に感銘を受けた村人たちが、

 

お礼に「塩炊きの大根」を馳走したところ、

 

「親鸞聖人」はそのもてなしに応え、「す

 

すきの穂の束」を「筆」代わりとして、

 

「鍋」についた「残り煤(スス)」を「墨」

 

の代わりとして、「帰命尽十方無碍光如来

 

(きみょうじんじっぽうむげこうにょら

 

い)」と言う、「十字の名号」と言われる

 

「仏語」で「南無阿弥陀仏」を表した「言

 

葉(念仏)」を書いて、そのお礼として残

 

され、去っていったと言う経緯になる訳な

 

のです。

 

 

 

この故事に因んで「了徳寺」では、毎年

 

「親鸞聖人」の「報恩講」を執り行うよう

 

になったそうで、その通称として、故事に

 

因み、「大根焚」と呼ぶようになったと言

 

う経緯があると言われている訳なのです。

 

 

 

 

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2.親鸞

 

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