【食育クイズ:Vol.947】
本日も、「関西地方(三重県、滋賀県、
和歌山県、奈良県、兵庫県、京都府、
大阪府)」の「食文化」をテーマとし
た地域社会の在り方や、昔から先人た
ちが培ってきた、文化や伝統、歴史等
の素晴らしさを、クイズを楽しみなが
ら知見を高め、共有して参りましょ
う!
さて、本日は、「京都府」発祥の「大根焚
き文化と歴史」について、おさらいクイズ
(Vol.155)にチャレンジ致しましょ
う!
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問題:「京都、右京区、鳴滝」にある「法
輪山、了徳寺」には、教えを説きに来られ
た「とある僧侶」に対して、感動した村人
達が「大根」を炊いてもてなしたと言う
「言い伝え」が残っているそうです。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/06/了徳寺.jpg丸.jpg)
その時、その「とある僧侶」は、その御礼
として、「鍋」についたススを「墨」にし
て、「ススキ」の一穂を「筆」として、「念
仏」を書き上げて去ったと言う「言い伝え」
が「伝説」として残っているそうです。
さて、それでは、その「念仏宗」に関わる
「とある僧侶」とは、誰でしょうか?
次のうちから選んで下さい。
1.法然
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/06/300-225法然丸1.jpg)
2.親鸞
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/06/300-225親鸞1.jpg)
3.空也
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/06/300-225空也1.jpg)
4.一遍
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/06/300-225一遍1.jpg)
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【解説】
「親鸞」は、「鎌倉時代」、日本各地に「念
仏道場」を設けた事で知られている、「浄
土真宗」の宗祖と言われている人物です。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/06/300-225親鸞1.jpg)
「親鸞」は、そもそも天皇家の血筋であっ
た「貴族(清和源氏)」の生まれだったそ
うで、幼名を「松若丸」と称し、当時全盛
だった「平家」によって暗殺される事を危
惧して、「牛若丸(源義経)」が「鞍馬寺」
に預けられたように、9才のときに、「京
都、青蓮院」に入り、後に「天台座主(比
叡山、延暦寺の住職)」となった「慈円
(慈鎮和尚)」のもとで「得度(出家)」し
て、「範宴(はんねん)」と称するようにな
っと言う経緯があるそうです。
こうして9才の時に「出家」した幼き頃の
「親鸞聖人」は、「比叡山、延暦寺」に登
り、以降20年間に及ぶ激しい「天台宗の
修行」を行ったそうです。
しかしながら、「源氏、八幡太郎」の「嫡
流」生まれだった若き頃の「親鸞」にとっ
てみれば、そもそも「八幡神社思想」が
「三つ子の魂」だった訳であり、「天台宗」
の「法華経」はなじまなかったと言う事に
なり、29才になった時、「比叡山」から
下山し、当時69才だった「念仏宗の開祖」
と言われる「法然」の元に行き、「専修念
仏」の教えに触れ、入門し、「綽空(しゃ
っくう)」の名を与えられ、その後、次第
に「法然」の「高弟」となっていったと言
う経緯があります。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/06/300-225法然丸1.jpg)
しかしながら、その後1207年なると、
有名な「承元の法難(じょうげんのほうな
ん)事件」が勃発してしまいます。
この事件とは、「後鳥羽上皇」が「熊野詣」
に行かれ、「御所」を留守になさった事を
見計らったかたちで、当時民衆からの人気
急上昇中だったと言われる、「法然」門下
の「住蓮」や「安楽」等が催している「念
仏集会」に、「後鳥羽上皇」に仕えていた
「宮中の女官」達数名が密かに参加し、し
かも、この内数名の女官が、「念仏宗の教
え」に感銘を受けてしまい、そのまま「出
家」してしまったと言う事件であり、その
後「帰京」し、その事実を知った「後鳥羽
上皇」の逆鱗に触れてしまった「念仏宗一
派」に、大災難が降りかかる事になります。
その災難とは、その時「念仏集会」を実施
した「住蓮」や「安楽」等4名の「法然」
の弟子達は全員「死罪」となった事を始め、
その後の「専修念仏」活動は、民衆を惑わ
すものとして「一切停止」となり、「念仏
宗」の「教祖」である「法然」を始め、
「親鸞」を含む7名の「高弟」達が「流
罪」に処せられたと言うものだった訳にな
ります。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/06/ジョウゲンの方南1.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/06/念仏弾圧.jpg)
この当時の時代背景には、「法然」を始め、
その弟子である「親鸞」等の「念仏宗」が
民衆の間で流行し始めた時であり、「藤原
氏」の氏寺である「興福寺」等、「仏教」
は「貴族や武士」等と言った一部の人たち
のものであると考える、「朝廷」や「権力
者」達と結びつきの強かった「旧仏教教団」
から、広く民衆を巻き込む「念仏宗」の流
行を危惧し、敵視する訴えが「朝廷」に対
して行われていた時代であり、この事件を
きっかけとして、「朝廷」を始めとする
「権力者」達の手によって、「念仏宗一派」
は処断されてしまったと言う経緯になる訳
なのです。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/06/方言の弾圧.jpg)
この事件によって、「法然」や「親鸞」は
「僧籍」を剥奪され、「法然」は「土佐」
に、「親鸞」は「越後国、国府(現、新潟
県上越市)」に流されてしまった訳なので
すが、その5年後の「順徳天皇」の御代に
なると、「勅免の宣旨」が下りたと言われ
ています。
ところが、「親鸞」は、「勅免」によって
「京都」に戻った「法然」と再開する前に、
「法然」が死去してしまったため、結局
「京都」には戻らず、その後20年間に渡
り「東国(関東)」で「布教活動」に専念
したと言う経緯があり、実際に「親鸞」が
「京都」に「帰京」したのは、60才を超
えてからだったと言う経緯になるそうです。
「帰京」後の「親鸞」は、過去に当時の権
力者から弾圧され続け、自らも厳しい流浪
の日々を送った人生だったと言う経緯から
か、その生活は、主として「著作活動」に
専念されたそうで、穏やかに過ごす晩年だ
ったと言われています。
しかしながら、こうして静かに晩年を過ご
していた「親鸞聖人」ですが、1952年、
80才になった時、「京都、右京区」の
「愛宕山中」にある、かつて亡き「師」や、
「九条公」と、三人で別離を惜しんだ場所
である「月輪寺(つきのわでら)」を訪れ、
故「法然上人」の「遺跡」を訪ねると言う
行動を起こしたそうです。
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![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/06/法然碑-300x300.jpg)
そもそも「京都、愛宕山」は、古くから
「愛宕神社」を中心とする「修験道」の場
であった訳であり、781年に「光仁天皇」
の勅により、「愛宕山」の中興を期して、
五箇所の峰に寺を置いたそうで、その中の、
東側の山深い山中にあるのが「月輪寺」だ
ったと言われています。
この「月輪寺」は、10世紀の「平安時代」
になると、「空也」が来山したと言われて
いる「寺」であり、その後12世紀から
13世紀にかけては、「九条兼実(1149
年 – 1207年)」の「隠棲の場」となった
「寺」だったそうで、この「九条兼実」を
訪ねて、「承元元年(1207年)」に、「流
罪」となる直前の状態だった「法然」と
「親鸞」が、この「寺」を訪れ、3人でそ
れぞれの別離を惜しんだと言う経緯がある
訳なのです。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/06/九条兼実1-291x300.jpg)
「月輪寺」には、この時に3人がそれぞれ
の像を刻んだと言う、言い伝えが残ってい
るそうで、現在でもその「三祖像」が、
「寺」に伝わっていると言われています。
こうして、不幸な事件勃発と、その時代的
背景によって、「師」と共に「流罪」とな
り、更にその「師」の「死」によって再会
も果たせなかった「親鸞聖人」が、「京都」
に戻ってから、「法然」を偲んで「月輪寺」
にある「遺構」を訪ねたのは、至極当然の
事だったと言う訳なのです。
「親鸞聖人」は、「月輪寺」からの帰り道
にあった「了徳寺」に立ち寄り、その地で、
村人たちに対して、ずっと培ってきた「念
仏説法」をする事になったそうで、長きに
渡り培われてきた「親鸞聖人」の「辻説法」
とその「教え」に感銘を受けた村人たちが、
お礼に「塩炊きの大根」を馳走したところ、
「親鸞聖人」はそのもてなしに応え、「す
すきの穂の束」を「筆」代わりとして、
「鍋」についた「残り煤(スス)」を「墨」
の代わりとして、「帰命尽十方無碍光如来
(きみょうじんじっぽうむげこうにょら
い)」と言う、「十字の名号」と言われる
「仏語」で「南無阿弥陀仏」を表した「言
葉(念仏)」を書いて、そのお礼として残
され、去っていったと言う経緯になる訳な
のです。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/06/300-200月輪寺と了徳寺.png)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/06/了徳寺.jpg丸.jpg)
この故事に因んで「了徳寺」では、毎年
「親鸞聖人」の「報恩講」を執り行うよう
になったそうで、その通称として、故事に
因み、「大根焚」と呼ぶようになったと言
う経緯があると言われている訳なのです。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/06/大根焚寺.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/06/了徳寺大根だき1.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/06/了徳寺大根焚.jpg)
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2.親鸞
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大阪市立大学の研究グループが、大豆
などに含まれるイソフラボンが肺気腫
や慢性気管支炎などの「COPD(慢性
閉塞性肺疾患)」の予防効果を有するこ
とを明らかにしました。
食Pro.お薦めの「大豆ミート」は、
少量摂取でも人にとって必須な「タン
パク質」「食物繊維」「核酸」などの栄
養素が摂取できるように、大豆の油脂
分を除いてから作っています。
必要な栄養素が原料大豆の約1.2倍
以上となり、濃縮された分だけ、多く
含まれています。
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たんぱく質が50g!(半分がたんぱ
く質です)
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ミートをはじめ、食に関するいろいろ
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かったら一度遊びにきてくださると嬉
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と、情報更新のお知らせが届くように
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