【食育クイズ:Vol.1074】「京都府」の「日露戦争」と「草庵」おさらいクイズ! 「日露戦争」開戦にまつわる京都の「草庵」とは何?

 

【食育クイズ:Vol.1074】

 

本日も、「関西地方(三重県、滋賀県、

 

和歌山県、奈良県、兵庫県、京都府、

 

大阪府)」の「食文化」をテーマとし

 

た地域社会の在り方や、昔から先人た

 

ちが培ってきた、文化や伝統、歴史等

 

の素晴らしさを、クイズを楽しみなが

 

ら知見を高め、共有して参りましょ

 

う!

 

さて、本日は、「京都府」の「日露戦

 

争」開戦にまつわる「京都の草庵」に

 

ついて、おさらいクイズ(Vol.278)

 

にチャレンジ致しましょう!

 

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

「1903年(明治36年)、8月」か

 

ら始まった「ロシア帝国」と「日本」

 

との「日露外交交渉」において、当時

 

「強硬な南下政策」を取り続けていて、

 

日本まで侵略しかねない勢いである

 

「ロシア帝国」を「日本に対する脅威

 

でしか無い」と受け止めていた「明治

 

政府」は、「ロシア」からの日本への

 

侵略を防ぐ「緩衝地域」とするため、

 

「朝鮮半島」を「日本の支配下」に置

 

く代わりに、先の「日清戦争」で日本

 

の支配下となっていた「満州」を「ロ

 

シアの支配下」に置くと言う、いわゆ

 

る「満韓交換論」と言われている「妥

 

協案」を、「ロシア」側へ提案したそ

 

うです。

 

しかし、当時「世界最強」と言われ、

 

積極的な「主戦論」を主張していた

 

「ロシア海軍」を始め、「関東州総督」

 

である「エヴゲーニイ・アレクセーエ

 

フ」等は、強硬な南下政策の成果とし

 

て「朝鮮半島」でも増えつつあった

 

「ロシアの利権」を失いかねないとし、

 

この「妥協案」を全く受け付けなかっ

 

たそうで、更に、「ニコライ2世」や

 

「クロパトキン」等の「支配者層」も

 

「主戦論」に同調したそうです。

 

 

 

このように、そもそも強大な戦力を保

 

有する「ロシア帝国」が、「日本」と

 

の戦争を恐れる理由は何も無かった訳

 

なのであり、「ロシア政府」は、当時

 

「戦争回避論」を唱えるような「大臣」

 

達を左遷すると共に、「日本側」から

 

の「提案への返答」として、「朝鮮半

 

島」の「北緯39度以北」を「中立地

 

帯」とし、そこを「日本の軍事目的で

 

の利用する事を禁ずる」と言う、回答

 

案を示したと言う経緯だったそうです。

 

その回答を受け取った「明治政府」は、

 

この提案を受け入れてしまっては、

 

「日本海」に突き出るような形状の

 

「朝鮮半島」が、事実上「ロシアの支

 

配下」となってしまえば、「日本の独

 

立」さえも「危機的な状況」になって

 

しまうとの判断をしたそうです。

 

また、更に、当時建設中であった「シ

 

ベリア鉄道」が「全線開通」してしま

 

えば、「ヨーロッパ」に配備されてい

 

る「ロシア軍」の「極東方面」への派

 

遣が容易となる事も予測されていた事

 

から、この「ロシア」からの「回答」

 

を、「絶大なる日本への脅威」と受け

 

止めざるを得ず、こうして日本は、

 

「日露戦争開戦」へと、大きく「国論」

 

が傾くと言う経緯となっていった訳な

 

のです。

 

そして、その後、翌年の「1904年2

 

月6日」になると、当時の「外務大臣、

 

小村寿太郎」は、「ロシア」の「ロー

 

ゼン公使」を「外務省」に呼び出し、

 

「国交断絶」を言い渡すと言う結果と

 

なり、同日、「駐露公使、栗野慎一郎」

 

も、「ロシア」の「ラムスドルフ外相」

 

に国交断絶を通知し、ついに「日露戦

 

争開戦」となっていった訳なのです。

 

 

さて、本日は、この「日露戦争開戦」

 

に至る事前に、「明治政府」の「有力

 

者達」が参集して執り行ったと言われ

 

ている、「京都」の「○○草庵会議」

 

について、おさらいクイズにチャレン

 

ジ致しましょう!

 

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

問題:「明治維新」から36年経過し

 

た1903年、南下政策を続ける「ロシ

 

ア帝国」による「満州」や「朝鮮半

 

島」、更には「日本」を侵略する脅威

 

が著しくなったと言う厳しい状況を乗

 

り切るため、「山県有朋」、「伊藤博文」、

 

「井上馨」、「桂太郎」、「小村寿太郎」

 

等の「明治政府」の有力者が「京都」

 

の「とある草庵」に参集して、「対露

 

外交政策」の協議を行ったそうで、そ

 

の後の歴史は、「翌1904年(明治36

 

年)2月~1905年(明治38年)9

 

月」にかけての「日露戦争」になった

 

と言う経緯があります。

 

 

 

 

 

 

さて、それでは、その「明治政府」の

 

有力者達が集まった、「京都のとある

 

草庵」とは、どこだったでしょうか?

 

次のうちから選んで下さい。

 

1.長楽館(ちょうらくかん)

 

 

2.清風荘(せいふうそう)

 

 

3.對龍山荘(たいりゅうさんそう)

 

 

 

4.無鄰菴(むりんあん)

 

 

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【解説】

 

「無鄰菴(むりんあん)」とは、「山縣

 

有朋」の別邸の事を言い、「七代目、

 

小川治兵衛」の作庭による「日本庭園」

 

がある事で有名な別荘の事を言います。

 

 

 

「無鄰(むりん)」とは、「草菴」の隣

 

に別の家が無いと言う意味だそうで、

 

「山縣有朋」の故郷である「長州、下

 

関」に作った「草庵」が、最初の「無

 

鄰菴」だったそうです。

 

 

その後、「京都、木屋町二条」に購入

 

した別邸も「無鄰菴」と称したそうで、

 

更に、第三の「無鄰菴」となったのが、

 

「京都、南禅寺、参道前」に造営した

 

別邸であり、この場所こそが、「明治

 

政府」の有力者達による「対露政策」

 

が論じられた、いわゆる「無鄰菴会議」

 

の舞台になったと言う経緯がある訳に

 

なります。

 

 

 

 

「日露戦争」開戦直前の1903年(明

 

治36年)4月、この「無鄰菴」にあ

 

る「洋館」において、いわゆる「無鄰

 

菴会議」と言われている「対露政策会

 

議」が執り行われたそうで、「無鄰菴」

 

の持ち主である「元老、山縣有朋」を

 

始め、「政友会総裁、伊藤博文」、「総

 

理大臣、桂太郎」、「外務大臣、小村寿

 

太郎」等が、「日露戦争」前夜の日本

 

の「外交方針」を話し合うと言う、歴

 

史的な会議が開かれたそうです。

 

 

 

 

 

 

当時の日本政府内においては、「対露

 

主戦派」の「小村寿太郎」、「桂太郎」、

 

「山縣有朋」等と、「戦争回避派」の

 

「伊藤博文」、「井上馨」等との間で、

 

激しい論争が続いていたと言う経緯が

 

あり、この「無鄰菴会議」によって、

 

強硬な「南下政策」を推し進める「ロ

 

シア帝国」に対して、「総理大臣、桂

 

太郎」が主張した、「ロシアの満州に

 

おける権利は認めても、朝鮮における

 

日本の権利はロシアに認めさせる、こ

 

れを貫くためには対露戦争も辞さな

 

い!と言う態度で対露交渉にあたる!」

 

と言う「対露交渉方針」について、

 

「主戦派、山縣有朋」と「戦争回避派、

 

伊藤博文」との同意が得られた、と言

 

う結果になったそうで、その後もし

 

「日露開戦」となった場合の、「日本

 

政府」としての「判断基準」が定まっ

 

たと言う事になった訳であり、事実、

 

このような内容での「日露交渉」が進

 

めれた結果として、翌年には「日露戦

 

争開戦」に至ったと言う、歴史的な経

 

緯となった事になる訳なのです。

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

「京都、長楽館」は、「1909年(明

 

治42年)」、「煙草王」として知られ

 

る「村井吉兵衛」氏の別邸として建て

 

られた「洋館」の事を言います。

 

 

 

4度も「内閣総理大臣」の大役を努め、

 

「維新」後の日本を支えた、「明治時

 

代」の重鎮の一人として知られる「伊

 

藤博文」公が、この建物が完成した直

 

後に滞在したそうですが、その時「館」

 

からの眺めに感動し、「この館に遊ば

 

ば、其の楽しみやけだし長(とこし)

 

へなり」と言った事にちなんで、以来、

 

「長楽館」と名付けられたそうです。

 

当時の「長楽館」は、東京の「迎賓館」

 

として建てられた、「鹿鳴館(ろくめ

 

いかん)」を凌ぐとも言われ、「伊藤博

 

文」公を始め、「英国皇太子ウェール

 

ズ殿下」、「米国財閥ロックフェラー」、

 

「井上馨」、「大隈重信」等々…の、名

 

だたる賓客が多数訪れる、「西の迎賓

 

館」的役割を果たしたそうです。

 

 

現在でも驚くほどに「瀟洒な館」の姿

 

を維持しているそうで、多数の「家具、

 

調度品」を含め、1986年に「京都市

 

指定有形文化財」に登録されたそうで

 

す。

 

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

「清風荘」とは、「京都、左京区、田

 

中」にある、「西園寺公望」の別邸と

 

して造られたもので、日本近代庭園の

 

先駆者として知られる「作庭家」の、

 

「七代目、小川治兵衛」による日本庭

 

園を始め、「数寄屋造り」の主屋や、

 

「茶室」等の付属建物から成り、現在

 

の所有者は「京都大学」だそうで、主

 

屋などの建造物12棟が、2012年に

 

重要文化財に指定されたそうです。

 

 

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

「對龍山荘(たいりゅうさんそう)」

 

とは、「京都、左京区、南禅寺境内」

 

にある、「南禅寺、界隈別荘」の一つ

 

であり、庭師の「七代目、小川治兵衛」

 

による「日本庭園」を始め、「京数奇

 

屋名邸十撰」にも選ばれる名建築から

 

成っているそうです。

 

 

 

 

「明治時代初期」、政府の「廃仏毀釈

 

政策」により、広大な境内に「塔頭」

 

が立ち並んでいた「南禅寺」は、他の

 

寺院と同様に、寺領の上知を命ぜられ、

 

「境内」は縮小されてしまい、「塔頭」

 

も「統廃合」を余儀なくされたと言う

 

経緯があり、このとき上知された寺の

 

土地はやがて民間に払い下げられ、

 

こうして、「南禅寺界隈」の「東山地

 

区」は、「別荘地」とする方針が進め

 

られていったと言う経緯になる訳なの

 

であり、「對龍山荘」を始め、本日の

 

問題の答えである「無鄰菴」や、「何

 

有荘(かいうそう)」、「碧雲荘(へき

 

うんそう)」等々…と言う「南禅寺界

 

隈別荘地」群は、「明治維新」後に、

 

当時の有力者や富裕層によって築造さ

 

れていった、と言う経緯になった訳な

 

のです。

 

 

 

 

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4.無鄰菴(むりんあん)

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

大阪市立大学の研究グループが、大豆

 

などに含まれるイソフラボンが肺気腫

 

や慢性気管支炎などの「COPD(慢性

 

閉塞性肺疾患)」の予防効果を有するこ

 

とを明らかにしました。

 

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