【食育クイズ:Vol.1184】
本日も、「関西地方(三重県、滋賀県、
和歌山県、奈良県、兵庫県、京都府、
大阪府)」の「食文化」や「郷土文化」
をテーマとした地域社会の在り方や、
昔から先人たちが培ってきた、「文化」、
「伝統」、「歴史」等の素晴らしさを、
クイズを楽しみながら知見を高め、あ
らためて「日本」や「日本人」が培っ
てきた「良きところ」を共有化し、次
代に継承して参りましょう!
さて、本日は、「京都府」の「花街、
島原」ならではの「伝統儀式」につい
て、おさらいクイズ(Vol.388)に
チャレンジ致しましょう!
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/300-225花街島原1.jpg)
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
「京都、島原(嶋原)」は、「下京区」
にある「花街(かがい)」の事を言い
ます。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/300-花街、島原11.jpg)
「島原」地区の正式名は「西新屋敷」
と言うそうで、「6つの町(上之町、
中之町、中堂寺町、太夫町、下之町、
揚屋町)」で構成されているそうです。
「島原」は、かつて「京都」の東端に
ある「先斗町」等他の「5花街」が
「庶民的な歓楽街」であった事と異な
り、「二条城」へ上がる途中の場所に
あった為、「幕府の役人」や「公家・
貴族」相手の歓楽街」であったと言う
経緯があるそうです。
従って、「明治維新」以降の時代にな
ると「侍」と言う職業が廃業となった
事や、「京都」にいた「公家や貴族」
達が、「東京遷都」に伴って「東京」
に引っ越ししていった事等の理由によ
り、それまでの主要な顧客を失ってし
まい、次第に廃れていってしまったと
言う経緯になったそうです。
こうして、「公家、武家」等の「常連
客」を失ってしまった「島原」は、経
営的に「窮状」状況に追い込まれてし
まった訳なのですが、「太夫道中」等
を始めとする、かつて全盛を誇ってい
た頃の、「格式の高い行事」等の人気
で支えられいていたと言う経緯があっ
たそうです。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/300-225太夫道中111.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/300-太夫道中2323.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/300-太夫道中4545.jpg)
しかしながら、このような、「島原の
街」に残る「古色ゆかしき伝統文化」
も、その採算性の低下もあって、次第
に寂れていってしまい、「昭和時代後
期」の頃になると、「お茶屋、太夫、
芸妓」等の「担い手」が激減しまった
事により、ついに、それらを支えてき
た「お茶屋組合」が解散してしまうと
言う事態となり、その「歓楽街」だっ
た跡地は、普通の住宅地と化してしま
ったそうです。
こうして「島原」の地は、それまで残
されていた数多くの「花街」当時の
「建物」や「門」等が取り壊され、姿
を消してしまったそうで、現在迄残っ
ているものは、「大門(島原の入り口
にある島原大門の事)」と、「太夫や芸
姑」等の「置屋」と「お茶屋」を兼ね
ていた「輪違屋(わちがいや)」と、
お客様の遊興の場所であった「揚屋
(料亭)」の「角屋(すみや)」の3つ
のみとなってしまっているそうです。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/300-花街島原大門22.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/300-225角屋1.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/300-225輪違屋2.jpg)
こうして現在でも「島原」で「お茶屋」
として営業を続けているのは「輪違屋」
のみであり、また「角屋」は、「揚屋
(あげや:置屋から太夫、天神、花魁
等の高級遊女を呼んで遊ぶ店の事)」
としての営業は行ってはいないそうで
すが、その「建築物」だけが、日本に
現存している唯一の「揚屋造」の「遺
構」として、「国の重要文化財」に指
定された関係で残されているそうです。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/300-225島原、輪違屋33.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/300-225角屋1.jpg)
近年では、「花街、島原」は、更に寂
れてしまい、ついに「1976年(昭和
51年)」には、「京都花街組合連合会」
からの脱会を余儀なくされてしまった
と言う経緯があり、現在では「輪違屋
(わちがいや)」の一件だけが、正式
な「お茶屋」としての「鑑札」を有し、
かつての「置屋」兼「お茶屋」として
の営業を行っていると言う経緯になっ
ているそうです。
さて、本日は、現在では寂れてしまい、
一件だけの営業になってしまったとは
言え、かつて全盛を誇っていた頃から
継続しているとされる、「花街、島原」
の「伝統行事」について、おさらいク
イズにチャレンジ致しましょう!
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
問題:「京都」の「花街、島原」に現
存する「輪違屋(わちがいや)」、「角
屋(すみや)」等で現在でも行われて
いる「島原独自」の「伝統行事」とは
何でしょうか?
次のうちから選んで下さい。
1.初寄り
2.かにかくに祭
3.都の賑わい
4.かしの式
↓↓↓↓↓答えはここから↓↓↓↓↓
【解説】
「太夫」とは、「官許」により宴席で
「歌舞音曲」をもって接待する「女性」
の中で「最高位」の位を持つ「女性」
の事を言うそうで、「歌舞音曲」を始
めとして、「茶道」、「華道」、「和歌」、
「俳諧」、更には「囲碁」や「双六」
等にも長けていた「女性」であり、
「花街、島原」では、かつてその主要
な客層が「公家や貴族」達だった為に、
「太夫」のようなマルチな才覚に溢れ
た女性が必要な地域だった訳である事
から、他の比較的庶民的なお客様の遊
興場所であった「花街」とは異なる、
独自の「文化」や「行事(習わし)」
が誕生したと言う経緯がある事になる
訳なのです。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/300-200太夫11.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/300-太夫333.jpg)
こうして誕生したのが、「角屋(すみ
や)」に代表される、「島原」独自の
「揚屋(あげや)」文化であった訳で
あり、「揚屋」とは、自分の店では
「太夫」や「芸姑」等を抱えずに、
「輪違屋(わちがいや)」に代表され
る「置屋」から「太夫」を呼んで宴会
を催すと言う、「料亭的」な「専門店」
の事を言うそうです。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/300-225輪違屋2.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/300-225角屋1.jpg)
「角屋」は、現在で言えば「料亭」に
あたる訳であり、訪れた「お客様」や
「太夫」を二階に揚げる事から、「揚
屋」と呼ばれるようになったそうで、
全盛を誇っていた「江戸中期」以降か
らの「揚屋」は、「大座敷」とそれに
面した「広庭」、「茶室」、「寺院の庫裏」
と同規模の大きな「台所」を備える規
模の「大宴会場」へと発展したお店も
多かったそうですが、残念な事に現在
では「角屋」のみが、しかも「建物」
のみが残るだけとなってしまいました
が、唯一の現存遺構として、「国の重
要文化財」に指定されているそうです。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/300-225角屋1.jpg)
ちなみに、「島原」の「太夫文化」と
「揚屋文化」が生み出した、「太夫道
中」とは、「置屋」から呼ばれた「太
夫」が「揚屋」に向かう「道中」の事
を言うそうで、着飾った「太夫が」、
「禿(かむろ)」や「引船(ひきぶね)」
等と言った多くの付人を引き連れて、
「差しかけ傘」で「内八文字」を踏み
ながら「練り歩く」事を言うそうです。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/300-225太夫道中111.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/300-太夫道中2323.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/300-太夫道中4545.jpg)
そして、出題の解答となるのが「かし
の式」であり、これは、「置屋」から
呼び寄せた「太夫」を、「揚屋」で待
っている「お客様」に紹介する「儀式」
の事を言うそうです。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/300-225かしの式3333.jpg)
「かしの式」とは、「太夫」が「盛装」
を凝らして「盃台」の前に座り、「盃」
を回すしぐさを見せている傍らで、
「仲居」が「太夫」の名前を呼んで
「お客様」に紹介すると言う内容にな
っているそうで、特になじみの「太夫」
さんがいない「お客様」が「揚屋」に
来た時に行わるそうで、まず最初に、
「置屋」から複数人の「太夫」を呼び
よせ、二階に揚げて並んでもらい、彼
女達がそれぞれ「○○だえ(だゆう)
~~はん」と呼ばれると、その一人ひ
とりが2、3分をかけて「盃」を回す
しぐさをしながら、無言で「お客様」
に自分自身を最大限にアピールするし
ぐさを見せるのだそうです。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/300-かしの式22.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/300-かしの式1.jpg)
「江戸時代」の全盛期から誕生したと
される「かしの式」は、「仮視の式」
と書かれ、「仮に太夫を視る儀式」と
言う意味の事を言う訳だそうで、この
儀式によって「選ばれた太夫」は、一
旦「置屋」に戻り、改めて「太夫道中」
をして、「揚屋」に向かうと言う「習
わし」になっているそうです。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/300-太夫道中2323.jpg)
このように、何とも優雅で気の長い、
「島原」らしい「格式の高さ」が溢れ
る「儀式」である事が伺い知れる訳な
のです。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/300-花街島原大門22.jpg)
↓↓↓↓↓↓↓答え↓↓↓↓↓↓↓
4.かしの式
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
大阪市立大学の研究グループが、大豆
などに含まれるイソフラボンが肺気腫
や慢性気管支炎などの「COPD(慢性
閉塞性肺疾患)」の予防効果を有するこ
とを明らかにしました。
食Pro.お薦めの「大豆ミート」は、
少量摂取でも人にとって必須な「タン
パク質」「食物繊維」「核酸」などの栄
養素が摂取できるように、大豆の油脂
分を除いてから作っています。
必要な栄養素が原料大豆の約1.2倍
以上となり、濃縮された分だけ、多く
含まれています。
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
★大豆プロテイン100g中に植物性
たんぱく質が50g!(半分がたんぱ
く質です)
★低脂質(2.7g)です!
★高食物繊維(20g、腸内発酵を促進
し、腸内健康の源となります。)
これを毎日食すると腸内発酵が促進さ
れ、お通じが良くなり、腐敗から発酵
にチェンジするので、おならが臭くな
くなります。
デドックス効果で身体もスッキリ!!
每日の食で「医者いらず!薬いらず!」
低脂質!ダイエットに最適な高たんぱ
くプロテイン!
国産の遺伝子組み換えでない大豆だけ
で作った「みそちゃんおじさんオリジ
ナル」の「スーパープレミアム大豆プ
ロテイン」です!
毎日の食に取り入れ、病気になりにく
い若々しい体を維持しましょう!
↓↓↓↓↓ここから入手!↓↓↓↓↓
青森産大和しじみのお味噌汁!限定徳
用セットはここから入手!↓↓↓↓↓
https://6jika.thebase.in/items/25021970
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
国産の食応援「和乃家(わのか)」は、
日本の食の安全保障として日本人の命
と健康を守る活動をしています。大豆
ミートをはじめ、食に関するいろいろ
な情報を発信していますので、よろし
かったら一度遊びにきてくださると嬉
しいです。「いいね」もしてくださる
と、情報更新のお知らせが届くように
なりますのでなお嬉しいです。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓