【食育クイズ:Vol.1208】「京都府」の「平安京の変容」おさらいクイズ! 「平安時代中期」に、慶滋保胤が平安京変容の様子を書いた著作物の名は?

 

【食育クイズ:Vol.1208】

 

本日も、「関西地方(三重県、滋賀県、

 

和歌山県、奈良県、兵庫県、京都府、

 

大阪府)」の「食文化」や「郷土文化」

 

をテーマとした地域社会の在り方や、

 

昔から先人たちが培ってきた、「文化」、

 

「伝統」、「歴史」等の素晴らしさを、

 

クイズを楽しみながら知見を高め、あ

 

らためて「日本」や「日本人」が培っ

 

てきた「良きところ」を共有化し、次

 

代に継承して参りましょう!

 

さて、本日は、「京都府」の「平安京、

 

市街地の変容」について、おさらいク

 

イズ(Vol.412)にチャレンジ致し

 

ましょう!

 

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

「京都、平安京」の「左京(東側)」

 

 地域は、南北に「鴨川」が流れ、その

 

「背景(東側)」には、「東山三十六景」

 

の連邦が連なっている事で知られてい

 

ます。

 

 

 

このようにこの地域は、「風光明媚」

 

な地域であった事から、「寺院」や

 

「貴族の邸宅」が増えていったと言う

 

経緯があり、順調に発展していったと

 

言う経緯がありましたが、その一方で

 

「平安京、右京(西側)」の地は、特

 

に「京都盆地」の西南部分そのものが

 

「低地帯」であり、泥深い「沼や泉」

 

が多かった事から、「住居地」として

 

は不適切な地であった為、その開発も

 

「遷都」当時の計画通りにいかず、手

 

間取る一方だったそうで、例え「家屋

 

や道路」が整備されたとしても、次第

 

に荒廃してしまうケースが多かった事

 

もあって、「平安京遷都」後約200

 

年を経た「平安時代中期」以降になる

 

と、一部の「貴族の邸宅」等を残して、

 

次第に「耕地化」されていってしまっ

 

たと言う経緯になったそうです。

 

 

こうして、順調に発展していった「平

 

安京、左京(東側)」は、「街路」の名

 

称や位置が、現在に至るまで「踏襲、

 

継続」されている訳なのですが、その

 

一方で「右京(西側)」の地域は、次

 

第に「耕地化」されていってしまうと

 

言う経緯となり、「平安京遷都」当時

 

に整備された「街路」についても、次

 

第に消滅していってしまい、その後も

 

再建されなかった所も数多くあったと

 

言われている訳になるのだそうです。

 

 

以上のような「平安京、市街地」の

 

「歴史的変容」の状況を記述した「文

 

献」も残っている訳であり、「平安京

 

遷都」後約100年を経た「871年」

 

の「太政官符」を紐解くと、「平安京、

 

右京(西側)」の「京都盆地」の「西

 

南隅の部分」についての記載があり、

 

その内容は、「計画通りの市街地」と

 

はせずに、「葬送地」と「放牧地」と

 

して定める、と言う内容のものだった

 

そうです。

 

更に、その後約100年を経た「平安

 

時代中期(982年)」頃に、「貴族」

 

であり「文人」であった「慶滋保胤

 

(よししげのやすたね)」が書いた

 

「○○」を紐解くと、

 

 

~『平安京「東・西」の「二京(右

 

京・左京)」を見ていくと、「西京(右

 

京:内裏に向かって左側)」は、「人家」

 

が追々と疎らになり、ほとんど幽墟に

 

近くなってしまっている。人は去って

 

も来る事が無いようだ。それらの家屋

 

は崩壊しても建造される事が無い状態

 

だ』~

 

との記述があり、当時の「右京(平安

 

京、西側)」が、「市街地」としては既

 

に衰微していた事が詳細に描かれてい

 

ると言う内容となっている事で知られ

 

ています。

 

しかしながら、その当時は、未だ「貴

 

族の邸宅」等も点在していたそうで、

 

完全に衰退していた訳では無かったと

 

言う事が判っていますが、その後更に

 

100年を経た「平安時代後期(1086

 

年)」の「扶桑略記」を紐解くと、「西

 

京(右京)」にある300余町の田の

 

「稲」を「検非違使」を遣わして刈り

 

取り、牛馬の飼料としたと言う旨の記

 

録があるそうで、当時の「右京、全面

 

積」である「608町」のうち、約半

 

分の部分が既に「耕地」となってしま

 

っていたと言う事が伺い知れる訳なの

 

です。

 

 

さて、本日は、この「平安京、市街地」

 

の変遷について、おさらいクイズにチ

 

ャレンジ致しましょう!

 

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

「平安京遷都」から約200年以上を

 

経た「平安時代中期」以降になると、

 

「平安京」の市街地の様子は、「遷都

 

直後」の計画通りとはいかずに、大き

 

く変容していったと言われています。

 

「平安時代中期」に活躍した「貴族」

 

で、「漢詩文」に優れた「文人」であ

 

った「慶滋保胤(よししげのやすた

 

ね)」が、「平安京、右京(西側)」の

 

様子を叙述した「○○」と言う本を紐

 

解くと、その当時の「右京」が、「市

 

街地」として既に衰微し始めていた事

 

を伺い知る事が見て取れると言われて

 

います。

 

 

 

この当時の、「平安時代中期(982

 

年)」頃になった「平安京、右京(西

 

側)」は、勢いのある「貴族」の「邸

 

宅」等が、未だ点在してはいたそうで

 

すが、その後次第に「武家」が台頭し

 

ていくにつれ、「貴族」の力が衰えて

 

撤退していった言う経緯もあり、その

 

100年後の「平安時代後期(1086

 

年)」の記録によると、「市街地」とし

 

てはすっかり衰退してしまい、「耕地

 

化」していったと言う経緯になる訳な

 

のです。 

 

 

さて、それでは、「平安時代中期(10

 

世紀後半以降)」頃、「平安京、右京

 

(西側)」が衰退してきた様子を叙述

 

した「慶滋保胤(よししげのやすた

 

ね)」の著書で、如何ともし難い「こ

 

の世の無常感」を伺い知る事ができ、

 

後世にも影響を与えたとされる「本」

 

の題名とは何でしょうか?

 

次のうちから選んで下さい。

 

1.池亭記(ちていき)

 

2.今昔物語

 

3.作庭記

 

4.宇治拾遺物語

 

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【解説】

 

「慶滋保胤(よししげのやすたね)」

 

が著した「随筆」として知られる「池

 

亭記(ちていき)」は、「平安時代中期」

 

頃の982年に成立したと言われてい

 

て、この当時の「京都」の風俗が良く

 

描かれている事から、貴重な資料とな

 

っていると言われている「著作物」と

 

して知られています。

 

 

「池亭記」は全12巻で、当時の「京

 

都」の世相を描いた「第1節」と、本

 

人が「隠遁生活」に入る様子を描いた

 

「第2節」との「2部構成」になって

 

いるそうで、この「第1節」に中に、

 

「京都」の「左京(東部)」には人が

 

密集して住んでいて発展する一方で、

 

「右京(西側)」は荒れ果てつつある

 

様子が描かれている事で知られている

 

そうです。

 

 

ちなみに、「池亭記」と言う呼称は、

 

50歳を過ぎた「保胤」が、当時の

 

「京都、右京(西側)」にある「荒地」

 

となってしまっている地に、敢えて

 

「池」と「亭」を構え、「無常感、寂

 

寥感」を抱きながら、「念仏」と「読

 

書」に明け暮れると言う、極めて「閑

 

雅」な「晩年」を送るに至った心境を

 

吐露した内容であった事から、「池亭

 

記」と命名されたと言われているそう

 

です。

 

以上、「平安京の姿」の推移に伴った

 

かたちで、「平安時代(794年~

 

1185年)」の約400年の推移を紐解

 

くと、「第50代、桓武天皇」が成し

 

た「平安遷都」から約80年を経過し

 

ても、「平安京、南西部」の「隅一帯」

 

の地域は、その「水はけ」の悪さから、

 

「街路」も造成されず、「市街地」と

 

して完成していなかったと言う事から

 

始まり、やがて「平安建都」から約

 

200年近くを経た、「平安時代中期」

 

頃になると、「右京(西側)」の「市街

 

地」はすっかり衰亡してしまいつつあ

 

り、更に「平安遷都後」約300年を

 

経過した「平安時代後期」の頃になる

 

と、「右京(西側)」の約半分の土地が

 

「耕地」と化してしまったと言う経緯

 

となった事が伺い知れる訳なのです。

 

 

 

 

ちなみに、「慶滋保胤」と言う人物は、

 

その著書である「池亭記」の「第2

 

節」に書かれているように、その晩年

 

は「諸行無常」の観念に基づいた、世

 

間に対して「無関心(諦念)的」な

 

「精神性」となり、敢えて荒廃してし

 

まった「京都、右京(西部)」の地に

 

小さな「庵」を建て、「隠遁生活」を

 

営みながら「執筆」に取り組むと言う

 

「人生」を選んだ事から、「隠棲文学

 

の祖」とも言われるようになったそう

 

で、その後に登場する「源通親(みな

 

もとのみちちか)」の「久我草堂記」

 

や、「鴨長明」の「方丈記」に多大な

 

る影響を与えた人物であったと言われ

 

ている訳になります。

 

 

 

特に「鴨長明」が残した「記述」の中

 

には、「池亭記」の文中に見られる

 

「京都の世相」を始め、そして「長明」

 

自身も世間を離れ、小さな「庵」を建

 

てて「隠遁生活」に入ってしまう等の

 

記述が見られる事から、いかに「慶滋

 

保胤」が表した「諸行無常」感の影響

 

を受けたかが、伺い知れる訳なのです。

 

 

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1.池亭記(ちていき)

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

大阪市立大学の研究グループが、大豆

 

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