【食育クイズ:Vol.1209】「京都府」の「平安京の終焉」おさらいクイズ! 平安京終焉の様子を著した「方丈記」を書いた人物とは?

 

【食育クイズ:Vol.1209】

 

本日も、「関西地方(三重県、滋賀県、

 

和歌山県、奈良県、兵庫県、京都府、

 

大阪府)」の「食文化」や「郷土文化」

 

をテーマとした地域社会の在り方や、

 

昔から先人たちが培ってきた、「文化」、

 

「伝統」、「歴史」等の素晴らしさを、

 

クイズを楽しみながら知見を高め、あ

 

らためて「日本」や「日本人」が培っ

 

てきた「良きところ」を共有化し、次

 

代に継承して参りましょう!

 

さて、本日は、「京都府」の「平安時

 

代(平安京)終焉」の様子を著した事

 

で知られる「方丈記」について、おさ

 

らいクイズ(Vol.413)にチャレン

 

ジ致しましょう!

 

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

「平安時代末期」から「鎌倉時代前期」

 

にかけて、「歌人」、「随筆家」として

 

活躍した「○○」と言う人物は、「京

 

都、下鴨神社」の「禰宜(ねぎ:神社

 

の宮司を補佐する職)」を努める「裕

 

福な家系」の次男として生まれた事か

 

ら、10歳にも満たない幼少の身であ

 

りながら、「従五位下」と言う位を授

 

けられる程の「家」で育ったそうです

 

が、しかし17歳の時父親が没すると、

 

その「後ろ盾」を失い、その後出世コ

 

ースから外れてしまう人生となったと

 

言われています。

 

「平安時代末期」の「平安京」は、そ

 

の「右京」においては、街路が消滅し

 

て荒廃し、田畑に戻ってしまっている

 

状態であり、そこに「1177年(太郎

 

焼亡)」、「1178年(治承の大火(じ

 

しょうのたいか:又は次郎焼亡)」と

 

呼ばれる「大火災」が勃発し、「京都」

 

の1/3が焼けてしまうと言う事態に

 

至ってしまったそうです。

 

 

 

この「大火災」に遭遇した「朝廷」は、

 

「大内裏」や「内裏」等の再建を試み

 

たそうですが、1178年に勃発した

 

2度目の「治承の大火(次郎焼亡)」

 

では、前年の「太郎焼亡」で焼け残っ

 

た内裏も全て焼失してしまったそうで、

 

それ以降再建される事は無かったと言

 

う状況に陥ってしまったそうです。

 

 

その2年後の「1180年」になった

 

時、「朝廷」は「福原京(現在の神戸

 

市)」への遷都を試みたそうですが、

 

僅か半年あまりで失敗し、終焉してし

 

まったそうで、再び「平安京」に戻る

 

と言う事態となってしまったそうです。

 

更にまた、「養和年間、1181~82年」

 

の2年間に渡って、「干ばつ、竜巻、

 

洪水」等の自然災害が立て続いて起き、

 

作物が実らず、「大飢饉(養和の飢饉)」

 

となってしまったそうで、「朝廷」は

 

様々な「加持祈祷」を試みたそうです

 

が、甲斐なく、諸物価は高騰し、人々

 

の生活を苦しめたそうです。

 

更にその翌年には「疫病」が流行し、

 

数多くの人々の命を奪うと言う経緯と

 

なり、「仁和寺」の記録によると、「養

 

和2年、4~5月」の「左京」だけで、

 

42,300人余の死者が出たと言う記録

 

が残っているそうです。

 

このように「平安京」に災難が襲って

 

いる間に、「洛中」以外に地では、「源

 

頼朝」や「源義仲」を始めとする、各

 

地での「武力蜂起」やその「追討」等

 

の内乱が勃発していた訳であり、急速

 

に「武家社会到来」と言う、「避けが

 

たい時代変容の兆し」が表れ始めてい

 

たと言う経緯となった訳なのです。

 

更に1185年になると、丸で「トド

 

メ」を刺すようなかたちで、「文治、

 

京都地震」と呼ばれる「大地震」が勃

 

発したそうで、「○○」が著した「著

 

作本」によると、

 

~「京都」の「山」は崩れ、「海(琵

 

琶湖)」は傾き、土は裂けて岩は谷底

 

に転げ落ちた~

 

と言う詳細な内容が記されているそう

 

で、その余震は3か月にも渡って続

 

いたそうです。

 

 

こうして「平安京終焉」という事態が

 

避けがたい現実となってくるに連れ、

 

「神奈川県、鎌倉」に「幕府」が誕生

 

すると言う経緯となり、「平安時代の

 

貴族統治」の終焉と、「武家政権誕生」

 

と言う、「歴史的大変容の時代」とな

 

った訳なのです。

 

このような「大変容の時代」において、

 

「下鴨神社」の「禰宜(ねぎ)」の役

 

職を務めると言う、裕福な「家」に生

 

まれた「○○」と言う人物の人生は、

 

「生家」の没落から始まり、そこに加

 

えて「平安時代」の「貴族統治」の終

 

焉と、それに変わる「武家社会(鎌倉

 

時代)」の誕生と言う、大きな「歴史

 

的変容」に伴う「激動の権力争いの時

 

代」に遭遇してしまうと言う経緯があ

 

り、更にそこに、「大火事」、「大飢饉」、

 

「大地震」が勃発すると言う歴史的背

 

景に遭遇した人生だった訳であり、

 

「数多くの困難に直面する時代」に生

 

きる人生となってしまった訳なのです。

 

最終的に「○○」は「出家」し、「僧

 

侶」なって「四畳半一間」の「遁世生

 

活」を過ごす事になったそうで、そこ

 

で「平安京の大変容の様子」や、日本

 

史上における「国体の大変容」の様子

 

を書き残したと言う経緯となった訳な

 

のだそうです。

 

 

さて、本日は、現在の「日本」と全く

 

同様に、「戦争、大災害」等の「内憂

 

外患の脅威」に満ち溢れた状況下にあ

 

る時代に生きて、それまでの「秩序」

 

や「国家体制」が劇的に大きく変容せ

 

ざるを得なかった「歴史的必然」の時

 

代の「真っ只中」を経験し、その晩年

 

は「世の無常観」を悟り、「遁世」の

 

暮らしをして執筆活動をしたとされて

 

いる、「変庵時代末期」から「鎌倉時

 

代前期」を生きた、「文人」であり

 

「随筆家」である「○○」と言う人物

 

について、おさらいクイズにチャレン

 

ジ致しましょう!

 

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

問題:「平安時代末期」から「鎌倉時

 

代前期」の「貴族統治」から「武家統

 

治」に「歴史的大変容」する時代を生

 

きた人物で、「歌人」として「後鳥羽

 

上皇」にも目を掛けられる程の「文人」

 

であったものの、「世の無常観」を悟

 

ったその晩年は、「四畳半一間」の質

 

素な暮らしをしながら、その著書とし

 

て「方丈記」や「発心集」等を著した

 

事で知られている人物とは誰でしょう

 

か?

 

 

1.吉田兼好(よしだけんこう)

 

 

2.鴨長明(かものちょうめい)

 

 

3.藤原俊成(ふじわらのとしなり)

 

 

4.西行(さいぎょう)

 

 

↓↓↓↓↓答えはここから↓↓↓↓↓ 

 

【解説】

 

1155年、「下鴨神社」の「禰宜」を

 

努めていた「鴨長継」の次男として、

 

「京都」で生まれた「鴨長明」の幼少

 

時代は、裕福な家庭に生まれた、いわ

 

ゆる「ボンボン」育ちだったと言われ

 

ているそうです。

 

 

そんな良き「家」に生まれ育った「鴨

 

長明」は、17歳の時に父親を失って

 

から不幸な出来事が続き、「家系の役

 

職」だった「下鴨神社、禰宜」から外

 

れてしまった事から急変してしまった

 

そうです。

 

そこに「平安時代の終焉」と「鎌倉時

 

代誕生」と言う激動の「国家体制の大

 

変容」があり、それに加えて「大火

 

災」、「大飢饉」、「大地震」にも遭遇す

 

る等の人生となってしまったそうで、

 

「神職」としての出世の道を閉ざされ

 

た「長明」は、50歳になった時「大

 

岡寺」で「出家」し、「東山」、次いで

 

「大原」、最後には「日野(現・京都

 

市伏見区醍醐)」に「庵」を構え、「仏

 

教の無常観」を悟り、「隠遁生活」を

 

送ったと言う経緯となったそうです。

 

 

 

「隠遁生活」を営んだ「長明」は、

 

1212年に、「日野」の地に構えた

 

「四畳半一間」の「庵」で成立したと

 

される「方丈記」を著したそうで、

 

「方丈記」は、「和漢混淆文」による

 

「文芸の祖」と称されるものとなり、

 

「徒然草(兼好法師)」や「枕草子

 

(清少納言)」と並び、「日本三大随筆」

 

の一つと言われるものとして知られる

 

ようになったそうです。

 

 

ちなみに、「方丈(ほうじょう)」とは、

 

「仏教的」な意味合いの強い言葉で、

 

「僧侶の住まい」と言う意味を表す言

 

葉だそうで、「長明」が最後に「日野

 

の地」に構えた「四畳半一間」の「庵」

 

を「方丈」と言い換えて、その場所で

 

「平安京の大変容」の様子を著したの

 

が「方丈記」と言う呼称となった訳な

 

のだそうです。

 

 

ちなみに「方丈記」の冒頭部分の文章

 

を紐解くと、

 

~ゆく河の流れは絶えずして、しかも

 

もとの水にあらず~

 

から始まっていて、この内容は、

 

~さらさらと流れゆく川の水は、絶え

 

ることがありません。しかもよく見て

 

ください。新しい水と、常に入れ替わ

 

っています。実は勢いよく変化してい

 

るのです。~

 

と言う事になります。

 

 

さらに続いて、

 

~よどみに浮かぶうたかたは、かつ消

 

えかつ結びて、久しくとどまりたるた

 

めしなし~

 

~世の中にある人と栖(すみか)と、又

 

かくのごとし~

 

となっていて、この内容は、

 

~流れが止まっている水面には、ぶく

 

ぶくと泡が浮かんできます。しかも大

 

きな泡も、小さな泡も、生まれたかと

 

思うと、またすぐに消えていきます。

 

いつまでもふくらんでいる泡なんて、

 

見たことが無いし、そもそも無いので

 

す。~

 

~まさに人の一生も、同じではないで

 

しょうか。川の流れのように幸せも、

 

悲しみも、時とともに過ぎていきます。

 

水面の泡のように、大切な家も、財産

 

も、人の命も、儚く消えていくと言う

 

定めなのです。~

 

以上のように、「方丈記」の冒頭には、

 

まさに「長明」が生まれた時から経験

 

してきた人生を辿ったものを背景とし

 

た、この「大変容する時代」特有の、

 

どうにもならない「無常観」が切々と

 

書かれている訳になります。

 

ちなみに、仏教用語としての「無常観」

 

とは、「すべてのものは移ろい変わり

 

ゆくものだと観ずる」と言う事を表し

 

た言葉だそうで、「長明」が見た「平

 

安時代末期」の日本は、「大火事」、

 

「大竜巻」、「福原遷都の失敗」、「大飢

 

饉」、」「大地震」が立て続けに起きた

 

と言う事態そのものが、まさに「無常

 

観」を表していた訳であり、現在の

 

「日本」も、当時の「長明」が見たも

 

のに匹敵するか、それ以上の数多くの

 

「日本人の命」が失われるかも知れな

 

いと思われる「大変容(大リセット)

 

の時代」に差し掛かっているように見

 

える事から、どうしようも無い「無常

 

観に溢れている時代」と言う意味では、

 

全く同じように見える訳なのです。

 

「平安時代末期」と言う、今から

 

800年以上も前の時代において、「良

 

い家」生まれの「ボンボン育ち」だっ

 

た「鴨長明」が、その晩年には「無常

 

観」を著す人物へと変遷したと言う、

 

その内容を紐解くと、様々な「大変容

 

の歴史」に遭遇した「長明」が、その

 

晩年になって、「小さな庵」に居を構

 

え、生きていく最小限の暮らしをしな

 

がら、「無常観」と言う「辛い現実を

 

知る事で、本当に大事な事を知り得る

 

事が出来る」と言う仏教の教えを悟り、

 

「平安京の終焉」を書き綴った「方丈

 

記」の冒頭を、「無常観」溢れる表現

 

にしたのは、どうする事も出来ない

 

「時代の変容」を淡々と受け止める

 

「境地」を悟ったからでは無いかと思

 

われる訳なのです。

 

その境地とは、「無常を観ずるは、菩

 

薩心の一つなり」と言う、「世の無常

 

を見つめる事は、本当の幸せを求める

 

心を起こす為の第一歩である」と「仏

 

教の教え」に伴った「悟り」である訳

 

なのであり、「日本史上最大」レベル

 

の「日本人滅亡の危機」にある今の時

 

代だからこそ、私達日本人一人ひとり

 

が、「金儲けや自己利益至上主義」に

 

囚われずに、継続していく事の素晴ら

 

しさや、何が本当の「日本人としての

 

幸せ」なのかを、「長明」が著した

 

「無常観」と共に、見つめ直す時が来

 

ているのではないでしょうか?

 

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2.鴨長明(かものちょうめい)

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

大阪市立大学の研究グループが、大豆

 

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食育&6次産業化推進センターは、食の国家的安全保障をめざし、日本人の命と健康を守るため、真の食の安心・安全とは何かというテーマを、食育活動や6次産業化推進活動をベースに追求する国家戦略プロフェッショナルの仕事をしています。