【食育クイズ:Vol.1349】
本日も、「関西地方(三重県、滋賀県、
和歌山県、奈良県、兵庫県、京都府、
大阪府)」の「食文化」や「郷土文化」
をテーマとした地域社会の在り方や、
昔から先人たちが培ってきた、「文化」、
「伝統」、「歴史」等の素晴らしさを、
クイズを楽しみながら知見を高め、あ
らためて「日本」や「日本人」が培っ
てきた「良きところ」を共有化し、次
代に継承して参りましょう!
さて、本日は、「京都府」の「空也上人」
にまつわる「国宝」の「十一面観音像」
が「御本尊様」として祀られている「寺
院」について、おさらいクイズ(Vol.
552)にチャレンジ致しましょう!
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「空也上人」は「第60代、醍醐天皇」
の「第二皇子」として、「平安時代中期」
の頃に生まれましたが、若くして出家し、
「空也」と名乗り、その後「生涯」に渡
り、自らの「出生」を明かす事無く、
「在俗」の「一人の修行僧」として諸国
を廻り、「南無阿弥陀仏」の「念仏」を
唱えながら「道路、橋、井戸、寺院…」
を造る等の「社会事業」を行い、その
「生涯」は、常に「庶民」や「病める
人々」に寄り添い、「救う」ものだった
と言う事で知られる「人物」だったそう
です。
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![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/07/300-kuuyasyouninn.jpg)
「空也上人」の有名な「逸話」として、
「951年」に、「京都」で「疫病」が
「大流行」した時に、「空也上人」は、
自ら刻んだ「十一面観音立像」を「荷車」
に乗せて市中を駆け回り、「念仏」を唱
えながら「梅干し」を入れた「薬茶」を
「病人」達に授け、病魔を退散させる事
に尽力したと言う「逸話」がある事で知
られています。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/07/300-十一面観音立像12.jpg)
この「十一面観音立像」は、現在「国宝」
に指定されていて、「12年」に一度
「御開帳」されているそうで、次回の
「御開帳」は、「2024年」だそうです。
その「救済」から12年後に、「空也上
人」は、「京都、東山」の地に「お堂」
を建て、この「十一面観音立像」を安置
するに至ったそうで、これが「寺院、◯
◯」の始まりと言われている訳になるの
です。
さて、本日は、この「空也上人」ゆかり
の「寺院」について、おさらいクイズに
チャレンジ致しましょう!
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問題:「平安時代中期」に、「京都」が
「疫病」に見舞われた時、「空也上人」
は、自ら彫った「十一面観音立像」を荷
車に乗せ、「市中」を駆け回り、「疫病退
散」に尽力した事で知られ、現在この
「観音立像」は「国宝」に指定されてい
る事で知られ、「空也上人」が創建した
「京都、東山」の「寺院、◯◯」に祀ら
れています。
また、この「寺院」には、その他にも、
「国の重要文化財」に指定されている、
「念仏」を唱える姿の「空也上人立像」
や、この「寺院」ゆかりの人物として知
られる「平清盛坐像」がある事で知られ、
更に、「お盆」になると、「ご先祖様」の
「精霊」を迎える為に、「万灯会」が執
り行われる事で知られています。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/07/300-平清盛坐像1.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/07/300-まんとうえ23.jpg)
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さて、それでは、この「京都、東山」に
ある「寺院」とは何でしょうか?
次のうちから選んで下さい。
1.六波羅蜜寺
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/07/300-270六波羅蜜寺11.jpg)
2.浄教寺
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/07/300-270浄教寺23.jpg)
3.平等寺
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4.長楽寺
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【解説】
「六波羅蜜寺」が建立された場所は、現
在の「京都、東山、轆轤(ろくろ)町」
であり、この場所は「平安京遷都」後に、
「都」の人口が増えてきた時、人が亡く
なった場合、そのまま市中に遺体を「野
晒し」にして、「風葬(遺体を埋葬する
ことなく放置して風化を待つ)」する事
が「洛中」に「伝染病」や「害虫」等を
蔓延させてしまう原因となる事から、
「遺体」を「洛中」から指定された「洛
外」の「三ヶ所」に捨てにいき、鳥に食
べさせる「鳥葬」をさせる方法が考案さ
れたそうで、その「埋葬地」の「西側」
に建立されたそうです。
設けられた「三ヶ所」の「埋葬地」とは、
「六波羅蜜寺」のそばである、「洛中」
の「東外側」は、「東山」の「鳥辺野
(とりべの)」であり、「西外側」は「嵐
山」の「化野(あだしの)」で、「北外側」
は「船岡山」の「蓮台野(れんだいの)」
の三ヶ所だったそうです。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/07/300-京都産大埋葬地1.jpg)
この中でも「平安京」最大の「葬送(風
葬)地」であったのが、「鳥辺野」だっ
たそうで、この一帯は「死者の地=あの
世」とされて、その境にある「六波羅蜜
寺」等が立つ「六波羅の地」は、「この
世」と「あの世」との「境い目」とし、
その場所を「六道の辻」として、「この
世」と「あの世」との「出入口」が存在
していると考えられていたそうです。
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![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/07/300-225六道の辻.jpg)
そもそも「平安時代」では、「三位以上」
の「身分」ある者しか「墓」を造る事が
許されていなかったそうで、「土葬」が
一般的では無かった為、「鳥辺野」の地
では、山の枝に「遺体」をかけ、「鳥」
に食べさせると言う、「鳥葬」と呼ばれ
る方法を取った事から、「鳥辺野」と言
う名称になったとも言われている訳なの
だそうです。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/07/300-225鳥辺野地区22.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/07/300-217鳥辺野3333.jpg)
こうして「京都」最大の「葬送地」とな
った「鳥辺野」は、「死者の住む、あの
世」とされた訳であり、ここから「六波
羅蜜寺」を越えて「西側」に行くと、
「生者の住む、この世」と考えるように
なっていった訳であり、その「境い目」
である場所に、「六道(仏語用語で、地
獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天上の
6つの世界の事)」へ通じる道の分かれ
る場所として、「6つの仏堂」が建立さ
れると言う経緯になった訳であり、現存
しているのは「六波羅蜜寺」、「西福寺」、
「六道珍皇寺」の三つと言う事になる訳
なのだそうです。
ちなみに、その「三つの寺院」の一つで
ある「六道珍皇寺」には、「平安時代初
期」の公卿として知られる「小野篁(た
かむら)」が、昼間は「朝廷」で「官吏」
を、夜間は「冥界」に出かけていって
「閻魔大王」のもとで裁判の補佐をして
いたと言う「伝説」があり、「六道珍皇
寺」にある「井戸」が「冥土通いの入口」
であり、「旧境内に」ある「井戸」が
「黄泉がえりの出口」)であるとされ、
「現世と冥府」とを往復をしていたと言
う「伝説」もあるそうで、この事からも、
「鳥辺野」のの入口部分に設置されてい
る「六道の辻」は、「この世とあの世」
との境目であると言う事になる訳なのだ
そうです。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/07/300-小野篁2.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/07/300-冥土が良いの井戸12.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/07/2016-02-15-06.jpg)
「六波羅蜜寺」が建立された当時、この
場所には「人骨」が至るところに転がっ
ていたそうで、「髑髏(どくろ)町」と
言う地名が付けられていたそうですが、
「江戸時代」以降になると「縁起が悪い」
とされ、「轆轤(ろくろ)町」に改名さ
れたと言う逸話が残っています。
「空也上人」が常に唱えていた「南無阿
弥陀仏」と言う「6文字」の「称名念仏
(口称念仏)」を唱えると、たちまちの
うちに6体の「阿弥陀如来」の姿に変
わったと言う「伝説」を「像」にしたの
が、「六波羅蜜寺」にある「空也上人像」
であり、「重文」指定になっているそう
です。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/07/300-kuuyasyouninn.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/07/300-空也上人2.jpg)
また、「平安時代末期」になると、台頭
してきた「平家」の「平清盛」の父親で
ある「平忠盛」が「六波羅蜜寺」の「塔
頭」に軍勢を駐屯させた事に始まり、そ
の後「平清盛」によって「平家」が全盛
になると、「平家」の「屋敷群」となっ
てしまうに至ったそうで、「六波羅蜜寺」
の内外一帯に出来た「平家一門」の「屋
敷数」は、「5,200棟」に及んだそうで
す。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/07/300-225平清盛.jpg)
その後「平家」の滅亡と共に、「六波羅
蜜寺」のほとんどが「仏像」のある「本
堂」を残して、焼失してしまったそうで
すが、その後に「政権」を取った「鎌倉
幕府」が、「朝廷」監視の為に、この地
に「六波羅探題」を設置するに至ったと
言う経緯となったそうで、その跡地の石
碑も残されているそうです。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/07/300-200六波羅探題跡地-300x197.jpg)
こうして、「平安時代」に始まった「六
波羅蜜寺」の「歴史」を紐解くと、様々
な「ジャンル」の時代の「息使い」が、
ギッシリと詰まっている事が伺い知れる
訳なのです。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/07/300-空也上人2.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/07/300-平清盛坐像1.jpg)
↓↓↓↓↓↓↓答え↓↓↓↓↓↓↓
1.六波羅蜜寺
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大阪市立大学の研究グループが、大豆
などに含まれるイソフラボンが肺気腫
や慢性気管支炎などの「COPD(慢性
閉塞性肺疾患)」の予防効果を有する
事を明らかにしました。
食Pro.お薦めの「大豆ミート」は、
少量摂取でも人にとって必須な「タン
パク質」「食物繊維」「核酸」などの栄
養素が摂取できるように、大豆の油脂
分を除いてから作っています。
必要な栄養素が原料大豆の約1.2倍
以上となり、濃縮された分だけ、多く
含まれています。
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
★大豆プロテイン100g中に植物性
たんぱく質が50g!(半分がたんぱ
く質です)
★低脂質(2.7g)です!
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