【食育クイズ:Vol.1385】「京都府」の「和歌と歌碑」おさらいクイズ! 「京都の名所」と「女流歌人の歌碑」との組み合わせで間違っているのは?

 

【食育クイズ:Vol.1385】

 

本日も、「関西地方(三重県、滋賀県、

 

和歌山県、奈良県、兵庫県、京都府、

 

大阪府)」の「食文化」や「郷土文化」

 

をテーマとした地域社会の在り方や、

 

昔から先人たちが培ってきた、「文化」、

 

「伝統」、「歴史」等の素晴らしさを、

 

クイズを楽しみながら知見を高め、あ

 

らためて「日本」や「日本人」が培っ

 

てきた「良きところ」を共有化し、次

 

代に継承して参りましょう!

 

さて、本日は、「京都府」の「女流歌人

 

の和歌」にまつわる「歌碑」について、

 

おさらいクイズ(Vol.588)にチャレン

 

ジ致しましょう!

 

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

問題:次に挙げた「京都の寺社仏閣」と、

 

そこにある「平安時代中期」に活躍した

 

著名な「女流歌人」の「歌碑」について、

 

間違った「組み合わせ」が一つだけあり

 

ます。

 

さて、それでは、その「組み合わせ」と

 

はどれでしょうか?

 

次のうちから選んで下さい。

 

1.清少納言―泉涌寺

 

 

 

 

2.紫式部―廬山寺

 

 

 

 

 

3.和泉式部ー貴船神社

 

 

 


4.小式部内侍―誠心院

 

 

 

 

↓↓↓↓↓答えはここから↓↓↓↓↓   

 

【解説】

 

「小式部内侍」は、「平安時代中期」の

 

頃、「紫式部」と共に活躍した「女流歌

 

人」として知られる「和泉式部」の「娘」

 

であり、「平安時代中期(999年)」頃

 

に誕生したと言われています。

 

 

 

その後母親の「和泉式部」と共に「親子」

 

で、「第66代、一条天皇」の「中宮」

 

として知られる「藤原彰子(上東門院)」

 

に出仕するに至ったそうで、その事によ

 

り、「小式部内侍」の名は、母親である

 

「和泉式部」と区別するために「小式部」

 

と命名されるに至ったと言う経緯になっ

 

た訳なのだそうです。

 

 

 

ちなみに、「母親」の「和泉式部」は、

 

「和泉守、橘道貞」の「妻」となった時

 

に、「夫の任国」であった「和泉国」に

 

ちなんで、「和泉式部」と言う「女房名」

 

になったそうです。

 

若くして母親と共に「中宮」に仕えた

 

「小式部内侍」の「逸話」の一つとして、

 

「小倉百人一首」にも選定された、「大

 

江山の歌」のエピソードがあります。

 

その「大江山の歌の逸話」とは、下記の

 

様な内容だそうです。

 

~「小式部内侍」は、「和泉式部」が

 

「母親」であった事から、若くして「宮

 

中」努めを始めるに至った訳なのですが、

 

それにも関わらず、類稀れな歌の才能を

 

示していた事から、「母(和泉式部)」が、

 

「歌」を「代作」しているのでは無いか

 

と言う「悪しき噂」が立っていたそうで

 

す。

 

そんな時に、「歌合」に「歌」を「詠進」

 

する事になった「小式部内侍」に対して、

 

「小四条中納言(藤原定頼)」が、「内侍」

 

のいる「部屋」の前を通りかかった際に、

 

「内侍」の事をからかってやろうと思い

 

立ち、次のような言葉をかけたそうです。

 

~『丹後(天橋立)にいる「母上」に対

 

して「代作」を頼む使者は出しました

 

か?今は母上が貴女の側にいないので、

 

「代作」が届くまでさぞかし不安でしょ

 

うが、その使者は帰って来ましたか?』

 

 

と言って「内侍」の事をからかいながら、

 

部屋の前を通り過ぎようとした時に、そ

 

れを聞いた「小式部内侍」は、部屋の

 

「御簾」から体半分を出して「定頼」の

 

服を掴んで引き戻し、即興で下記の「歌」

 

を詠んで返したそうです。

 

 

 

~『大江山いく野の道の遠ければ まだ

 

文も見ず天橋立』~

 

【現代語訳】~『大江山(大枝山)を越

 

えて、「行く野(生野と掛かっている)」

 

へと向かう道のりですら遠くて行った事

 

が無いのに、更に遠いところにある「生

 

野」の向こうにある、「母」のいる「天

 

の橋立」の地を「踏んだ」事も無ければ、

 

「母」からの「手紙」も、(踏むと文

 

(ふみ)とを掛けている)、見る事はあ

 

る筈がありません!』~

 

と言う内容の歌を聞かせたそうです。

 

 

「からかい言葉」を言いながら通りすが

 

る一瞬に間に、「即興」で見事な「歌」

 

を詠まれ、しかも「掛け言葉」も駆使さ

 

れた「機知」に飛んだ内容の「歌」を聞

 

かされた「定頼」は、「狼狽」のあまり

 

「返歌」も出来ずに、逃げるように立ち

 

去るだけしか出来ず、「大恥」を掻くに

 

至ったそうで、この出来事から「小式部

 

内侍」の「歌人」としての才能が「母親

 

勝り」であるとの「評価」に繋がり、そ

 

の「名声」が確固たるものになったと言

 

う事が「伝説」となった訳なのだそうで

 

す。

 

 

 

 

この「内侍」の歌の中に出てくる「地名」

 

にちなんだ場所2ヵ所に「歌碑」がある

 

そうで、「京都、福知山市、生野」にあ

 

る「生野ノ里」と、「京都、天橋立」の

 

「天橋立駅前」との2つの場所だそうで

 

す。

 

 

 

 

 

ちなみにこの歌の「大江山」とは、「京

 

都、福知山市」にある「洛中」から遠い

 

「酒吞童子」が潜んでいたとされる「大

 

江山」では無く、「洛中」にほど近い

 

「山城国と丹波国」との国境にある「大

 

枝山」だそうで、また、「行く野」は、

 

「兵庫県、朝来市、生野」では無く、

 

「京都、福知山市」にある「生野」だそ

 

うで、そうすると「内侍」が詠んだ歌の

 

順番通りに、「洛中」から「天橋立」に

 

行く道順が「大枝山(大江山)➡いく野

 

(生野)➡天橋立」となり、内容が正し

 

く成立すると言う事になる訳なのだそう

 

です。

 

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

ちなみに、「小式部内侍」の早逝によっ

 

て、「娘」よりも長く人生を生きる事に

 

なってしまった「和泉式部」の人生も、

 

次々と「恋の遍歴」を重ねるものだった

 

そうで、その中でも「敦道親王」との恋

 

愛では、「親王」が、「宮妃」を追い出し

 

てまで「式部」を自邸に引き取ると言う

 

スキャンダルなものだった事が、世間に

 

知られてしまい、非難を浴びてしまうと

 

言う経緯となり、「関白、藤原道長」か

 

らも、「うかれ女」とも言われてしまう

 

に至ってしまったそうです。

 

 

 

こうして「和泉式部」は、世間から「妖

 

艶が故に奔放な生涯となった女性」とし

 

ての「風評」が定着してしまい、そうい

 

う切り口で「後世」に「伝承」されるに

 

至ると言う経緯になった訳なのだそう

 

です。

 

ちなみに、「平安時代中期」の時代を代

 

表する「四名の女流歌人」の「人物評

 

価」は、「紫式部の貞淑」と、「清少納言

 

の機知」と、「赤染衛門の謙譲」であり、

 

その一方で「和泉式部」は、「愛情一筋

 

に生きた、艶麗な美女の典型」の「女性

 

像」として、語り継がれるようになった

 

と言う経緯にとなった訳なのだそうです。

 

 

 

 


 

従って後世に伝承された「逸話や文章」

 

等を紐解くと、「和泉式部と小式部内侍」

 

親子は、「艶麗な美女」親子と言う切り

 

口で、様々な場面に登場し、更にまた語

 

り継がれていくと言う経緯になった訳な

 

のです。

 

 

 

「和泉式部」の波乱の「恋愛遍歴人生」

 

の顛末と共に、「和泉式部」以上に「艶

 

麗さ」と「才能」を持ち合わせていたと

 

言われる「小式部内侍」が若くして死ん

 

でしまったと言う「悲劇」の様子が、

 

「和泉式部」が残した「歌」を通して語

 

り継がれている事で知られていて、その

 

一部が「歌碑」になって残されていると

 

言う事になる訳なのだそうです。

 

この「内容」を「紐解く」と、以下の通

 

りになります。

 

~『和泉式部は、最初の夫であった「道

 

貞」と仕事の関係で別居生活となってし

 

まった事で、「為尊親王(ためたかしん

 

のう)」と「不倫関係」となるに至り、

 

世間の知るところとなった事から「道貞」

 

との「夫婦関係」は破綻してしまった。

 

 

しかしその後まもなく「為尊親王」が亡

 

くなってしまうに至ると、「式部」は、

 

その「弟」の「敦道親王」との「恋愛関

 

係」に落ちたそうです。

 

しかしながら、その「敦道親王」も亡く

 

なってしまうに至り、暫く失意にいた後

 

に、やがて「藤原保昌」と再婚するに至

 

ったそうです。

 

しかしながら、せっかく再婚したにも関

 

わらず、その新たな「夫婦関係」が上手

 

くいかない事を嘆いた「和泉式部」は、

 

自身の人生を見つめ直し、感情の持ち方

 

も改善したいと思うようになったそうで、

 

「貴船神社」を参拝し、祈願に行くに至

 

ったと言う経緯になったそうです。

 

 

「和泉式部」は、「貴船川」に飛ぶ「蛍」

 

を見ながら、自らの「切ない心情」と、

 

「人生を諦念しそうになる気持ち」を、

 

「歌」に詠んで「貴船神社」に託し、祈

 

願したところ、「社殿」の中から低い男

 

性の声で「慰めの返歌」が聞こえてくる

 

と言う「奇跡」が起きるに至ったそうで、

 

その結果、「式部」の願いは叶えられ、

 

「夫婦仲」が円満になったと言う経緯と

 

なったそうで、この「逸話」から、「貴

 

船神社」は「縁結びのご利益」があると

 

言われるようになったそうです。


このように、後世に「和泉式部」を語り

 

継ぐ人々達にとっては、「式部」の心情

 

溢れる「歌」そのものが、「神」をも動

 

かす力があると言う「逸話」と捉えたそ

 

うで、その例を表す「逸話」も少なく無

 

く残されていると言う事になる訳なのだ

 

そうです。

 

ちなみに、「和泉式部」が「夫婦円満」

 

を祈願しながら詠んだ「歌」とは下記の

 

通りだそうです。

 

~『ものおもへば沢の蛍もわが身よりあ

 

くがれいづる魂かとぞみる』~

 

【現代語訳】~『あれこれと思い悩んで

 

ここまで来ると、蛍が貴船川一面に飛ん

 

でいます。そのはかない光はまるで自分

 

の魂が体から抜け出て飛んでいるように

 

も思え、この世に生きていないような気

 

持にもなってしまいそうです』~

 

その時、奇跡が起きて「神様」から返っ

 

てきたとされている「返歌」とは、

 

~『おく山にたぎりて落つる滝つ瀬の玉

 

ちるばかりものな思ひそ』~

 

【現代語訳】~『しぶきをあげて飛び散

 

る奥山の滝の水玉のように、魂が抜け出

 

て飛び散り消えていくの見て、死んでし

 

まおうと思うほどに、そんなに深く考え

 

る必要などは全く無いですよ、もっと気

 

軽に生きなさい』~

 

この「返歌」を聞いた「式部」は、心の

 

迷いが解けて、目が覚めたように「強い

 

日差し」を感じたそうで、「心の迷路」

 

が露わとなり、大船に乗った気持ちにな

 

り、「このまま真っ直ぐで素直な気持ち

 

で生き抜けば良い」と言う思いとなり、

 

「夫婦円満」も実現するに至ったと言う

 

訳なのだそうです。

 

 

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

「和泉式部」の最初の子供であった「小

 

式部内侍」も、「母親」の「和泉式部」

 

と同様に、「恋多き女流歌人」と言われ

 

る人生を過ごした事で知られ、「藤原教

 

通、藤原頼宗、藤原範永、藤原定頼」

 

等々と言った数多くの「貴族」達と交際

 

を重ねた事で知られている訳なのですが、

 

「藤原公成」の「子」を出産した際に、

 

20代の若さで死去してしまうと言う悲

 

運な運命を辿ってしまうに至ります。

 

愛する「娘」の突然の死を知った「和泉

 

式部」は、深い悲しみに打ち萎れ、下記

 

のような「歌」を詠んだそうです。

 

~『とどめおきて誰をあはれと思ふらむ

 

子はまさるらむ子はまさりけり』~

 

【現代語訳】~『亡くなった後、娘は誰

 

のことを思い出しているのだろう、それ

 

は母親の私のことじゃなくて、自分の子

 

どものことだろう、だって、私も今、娘

 

のあなたを失ってこんなに悲しんでいる

 

のだから』~

 

後世の人達はこの「歌」の感想として、

 

自分以上の才能と妖艶さを持った最愛の

 

「娘」を失った「式部」の、あまりにも

 

哀しく切ない、無念極まりない「心情」

 

を汲み取って、思わず「ウルウル」とし

 

た気持ちになってしまうに至ったとされ、

 

この「歌」は、「後拾遺和歌集、哀傷歌」

 

の「傑作」として、現在にまで語り継が

 

れている「名歌」となったと言う訳なの

 

です。

 

ちなみに「誠心院」は、「和泉式部」ゆ

 

かりの「寺院」として知られています。

 

その「創建」の「逸話」は下記の通りだ

 

そうです。

 

「小式部内侍」を失った「和泉式部」が、

 

「娘」の「菩提」を弔うと共に、自らの

 

「人生や往生」も考えるようになり、

 

「播磨国、書写山、圓教寺」の「性空上

 

人」を訪ね、そこで「女人往生」の術を

 

教わり、「京都」に戻ってからその「教

 

え」を元に「誓願寺」に入り、出家し、

 

「専意法尼」と言う「戒名」を授かった

 

そうです。

 

こうして「出家」し、「専意法尼」とな

 

った「和泉式部」に対して、かつて「宮

 

中」で「小式部内侍」と共に仕えていた

 

「中宮、藤原彰子」が、「父親」である

 

「関白、藤原道長」に、「一宇」を「建

 

立」するようにお願いしたところ、当時

 

全盛の勢力を誇っていた「道長」は、建

 

立中だった「法成寺、塔頭、東北院」の

 

一角に、「東北院誠心院(じょうしんい

 

ん)」と名付けた御堂を建立して、「専意

 

法尼」を「初代住職」とさせたそうで、

 

これが「誠心院」の起源であると言われ

 

ているそうです。

 

 

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4.小式部内侍―誠心院(正解は生野ノ里と天橋立駅前)

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

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ABOUTこの記事をかいた人

食育&6次産業化推進センターは、食の国家的安全保障をめざし、日本人の命と健康を守るため、真の食の安心・安全とは何かというテーマを、食育活動や6次産業化推進活動をベースに追求する国家戦略プロフェッショナルの仕事をしています。