【食育クイズ:Vol.1437】「京都府」の「比叡山延暦寺」おさらいクイズ! 「最澄」が創建した延暦寺の根本中堂は比叡山のどこにある?

 

【食育クイズ:Vol.1437】

 

本日も、「関西地方(三重県、滋賀県、

 

和歌山県、奈良県、兵庫県、京都府、

 

大阪府)」の「食文化」や「郷土文化」

 

をテーマとした地域社会の在り方や、

 

昔から先人たちが培ってきた、「文化」、

 

「伝統」、「歴史」等の素晴らしさを、

 

クイズを楽しみながら知見を高め、あ

 

らためて「日本」や「日本人」が培っ

 

てきた「良きところ」を共有化し、次

 

代に継承して参りましょう!

 

さて、本日は、「京都府」の「比叡山、

 

延暦寺」にまつわる「総本堂」につい

 

て、おさらいクイズ(Vol.640)にチャ

 

レンジ致しましょう!

 

 

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「奈良時代」は、日本で最初に「仏教」

 

が、全国に広まった時代とされていて、

 

「奈良仏教」とは、「南都六宗(法相

 

宗、倶舎宗、三論宗、成実宗、華厳宗、

 

律宗)」と呼ばれる、それぞれの宗派

 

が、それぞれの経典を学ぶ合うと言う、

 

「学派」のようなものが集まったものと

 

言われているそうです。

 

「奈良仏教」は、「選ばれた人たち(僧

 

侶)」だけが、悟りを開く為の方法を研

 

究するものだった訳であり、およそ一般

 

庶民には直接関係しないものだったの

 

で、「仏教」が全ての人々を救うと言う

 

レベルには達していなかった訳であり、

 

一握りの選ばれた「人(僧侶)」だけ

 

が、厳しい戒律を守って解脱し、「仏」

 

になると言う考え方のレベルまでしか達

 

していなかった訳であり、従って「中

 

国」の「髄」や「唐」で「仏教」を学ん

 

できた「留学僧」達は、「本来の仏教の

 

在り方とは違う」と言う意見を頻繁に訴

 

えると言う時代だった訳なのです。

 

「奈良時代後期」になると「疫病」や

 

「権力争いによる内乱」が頻発し、「第

 

45代、聖武天皇」を始めとする「平城

 

京」の「権力者」達は、悟りを開いた

 

「僧侶」の「仏力」を借りて、「国家」

 

や「自らの一族」を様々な災難から守っ

 

てもらう事を期待する事が一般化するに

 

至り、日本全国に「国分寺、国分尼寺」

 

を建立し、そこに「選ばれた僧侶」達を

 

住まわせ、救済を期すると言う「鎮護国

 

家体制」の構築に邁進すると言う経緯と

 

なった事が、「奈良仏教」の最大の特徴

 

となった訳なのです。

 

 

「仏教」には「顕教(けんぎょう)」と

 

「密教(みっきょう)」との2つの種類

 

がある事で知られています。

 

「顕教」とは、「釈迦の教え」を言葉で

 

はっきり伝えると言う「仏教」の在り方

 

であり、その一方で、「密教」とは、「言

 

葉だけでは表せない物事の真理」や、

 

「生きながら仏になる可能性」を説くと

 

言う「仏教」の在り方であり、「秘密の

 

教え」とも言われる「密教」は、「顕

 

教」とは「対義」した「仏教」の在り方

 

と言える訳なのだそうです。

 

 

 

従って「奈良仏教」とは、「日本の仏

 

教」の「発展期」だった訳であり、様々

 

な宗派がそれぞれ教え合いながら、「お

 

釈迦様の教え」を正確に伝えると言う

 

「顕教」の領域の「仏教」が主流だった

 

と言う事になる訳なのです。

 

このように、諸派が入り乱れてカオスな

 

状態になってしまっていた「奈良仏教」

 

の在り方や、「疫病」で半数以上の人口

 

を失っていた「奈良、平城京」を捨てて

 

新天地に「都」を遷都し、「心機一転」

 

を期した「第50代、桓武天皇」は、

 

「平安京遷都」を実行した時に、「奈良

 

仏教」を全て「奈良」に置いてきた訳で

 

あり、更に「仏教のとりまとめ」を果た

 

そうとして、新たに「密教」の在り方を

 

取り入れる為に、「最澄」や「空海」を

 

「唐」に派遣して「密教」を学ばせ、

 

「平安京」に持ち込むに至ったと言う経

 

緯となった訳なのです。

 

 

 

 

 

 

さて、本日は、「平安時代」になると共

 

に、日本に持ち込まれた「密教」の「総

 

本山」として創建された、「比叡山、延

 

暦寺」について、おさらいクイズにチャ

 

レンジ致しましょう!

 

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

「比叡山(滋賀県:標高848m)」全域

 

を境内とする「延暦寺」は、「平安時代

 

初期」の「延暦7年(788年)」に、

 

「中国・唐」から「密教」を学び、日本

 

に持ち込んだ「最澄」によって創建され

 

た、「天台宗」の「総本山」の「寺院」

 

の事を言います。

 

 

問題:「平安時代初期」に、それまでの

 

「奈良」の「南都仏教」に対して「北

 

嶺」と言われ創建された、「比叡山、延

 

暦寺」は、その境内に150もの「堂

 

塔」がある「広大な寺院」として知ら

 

れ、「三塔、十六谷」の地域がある事で

 

知られています。

 

さて、それでは、「延暦寺」の「総本

 

堂」である「根本中堂(こんぽんちゅう

 

どう)」があるのは、「比叡山」のどの地

 

域でしょうか?

 

 

 

次のうちから選んで下さい。

 

 

 

1.東塔(とうどう)

 

2.西塔(さいとう)

 

3.横川(よかわ)

 

4.無動寺谷(むどうじだに)

 

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【解説】

 

「延暦寺」の創建は「788年」です

 

が、「最澄」が現在の「根本中堂」のあ

 

る場所に、「小堂」を創建したのがその

 

始まりと言われているそうです。

 

 

 

この「草庵」には、「最澄」自身が「一

 

刀三礼」して刻んだと言われている「薬

 

師瑠璃光如来(秘仏)」を「御本尊」と

 

して祀られたと言われ、この宝前に灯明

 

を掲げて以来、この「最澄」の灯した

 

「灯火」は現在まで「1200年間」に渡

 

り、一度も消えることなく輝き続けてい

 

る為、「不滅の法灯」と呼ばれているそ

 

うです。(※信長による焼き討ち後の再

 

建時には「立石寺」から分灯を受けたと

 

言われています。)

 

 

 

 

 

ちなみに「中堂」と言う呼称の由来は、

 

「最澄」が創建した当時には「三堂(薬

 

師堂、文殊堂、経蔵)」があり、その中

 

心に位置していた「薬師堂」を「中堂」

 

と呼んでいたそうなのですが、後にこの

 

三堂が一つの伽藍にまとめられた時に、

 

「中堂」と言う名前のみが残ったと言う

 

訳なのだそうです。

 

創建後の「延暦寺」は益々発展し、広大

 

な「寺院」となった訳なのですが、「中

 

道」が「延暦寺」の発祥の場所であり、

 

中心である事に変わりが無い事から、

 

「根本中堂」と呼ばれるようになるに至

 

ったそうで、「比叡山」の「三塔十六

 

谷」の括り方で言えば、「東塔」区域の

 

中心となる建築物であると言う事になる

 

訳なのであり、「第52代、嵯峨天皇」

 

により、「延暦寺」の寺号を賜った時か

 

ら「根本中堂」と正式に改称されるに至

 

ったそうです。

 

 

 

 

 

 

ちなみに、「桓武天皇」によって「中

 

国・唐」に派遣された二人の「僧侶」の

 

うち、「空海」は、「密教」のみを学び、

 

「最澄」は、「天台教学」や「禅の教

 

え」等も学んで帰国するに至ったそう

 

で、それぞれに異なる方向性で「密教の

 

教え」を確立していくと言う経緯となっ

 

たそうです。

 

「空海」の「真言宗」に伝わる「密教」

 

は、「第52代、嵯峨天皇」から託され

 

た「京都、東寺」を「根本道場」とした

 

為、「東密(とうみつ)」呼ばれ、その一

 

方で、「最澄」の「天台宗」に伝わる

 

「密教」は、「台密(たいみつ)」と呼ば

 

れるようになったそうです。

 

 

 

 

 

 

この二つの「密教」は、「866年」に、

 

「第56代、清和天皇」から「最澄」へ

 

「伝教大師」と言う「諡号(しごう)」

 

が与えられ、「921年」には、「第60

 

代、醍醐天皇」から「空海」へ「弘法大

 

師」と言う「諡号(しごう)」与えられる

 

に至り、「日本仏教」の「発展」に大き

 

く貢献したと言う事になる訳なのです。

 

 

 

 

 

「延暦寺」は、広大で、「比叡山」の

 

「山上」から「東麓」にかけて位置する

 

「東塔(とうどう)」、「西塔(さいと

 

う)」、「横川(よかわ)」と呼ばれる「三

 

つの区域」に分かれ、これらを総称して

 

「三塔」と呼ぶそうです。

 

この「三塔」を更に細分化して、「三

 

塔、十六谷、二別所」と呼称し、それら

 

に所在する「塔堂」の総数は150規模

 

になるそうで、その中心となるのが「東

 

塔、根本中堂」であると言う事になる訳

 

なのです。

 

 

 

ちなみに現在「根本中堂」は、過去何度

 

も「改修」が為されていますが、「平安

 

時代」では、「887年(仁和3年)」

 

と、「980年(天元3年)」に改修が行

 

われたそうで、その後「戦国時代」にな

 

ると、「1571年」に、「信長」によって

 

「焼き討ち」され、焼失してしまいまし

 

たが、「天正13年(1585年)」の「豊

 

臣秀吉」の統治の時に、「仮堂」が建立

 

され、「江戸時代」になってから「三代

 

将軍、徳川家光」により、9年の歳月を

 

かけて再興されたそうです。

 

 

 

 

 

その後、「1798年(寛政10年)」に本

 

堂の「屋根」部分が「銅板葺」に変えら

 

れ、「1955年(昭和30年)」になった

 

時、半解体修理を施すと言う「昭和の大

 

改修」が行われたそうです。

 

そして「世界遺産」となった現在では、

 

平成28年(2016年)」から10年間

 

の予定で、予算約50億円規模の大改修

 

に着工していて、現在は未だ工事中と言

 

う事になるそうです。

 

 

 

 

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1.東塔

 

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大阪市立大学の研究グループが、大豆

 

などに含まれるイソフラボンが肺気腫

 

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