【食育クイズ:Vol.1480】「京都府」の「幡枝(はたえだ)離宮」おさらいクイズ! 後水尾上皇が造影した比叡山を拝借する庭園がある寺院とは?

 

【食育クイズ:Vol.1480】

 

本日も、「関西地方(三重県、滋賀県、

 

和歌山県、奈良県、兵庫県、京都府、

 

大阪府)」の「食文化」や「郷土文化」

 

をテーマとした地域社会の在り方や、

 

昔から先人たちが培ってきた、「文化」、

 

「伝統」、「歴史」等の素晴らしさを、

 

クイズを楽しみながら知見を高め、あ

 

らためて「日本」や「日本人」が培っ

 

てきた「良きところ」を共有化し、次

 

代に継承して参りましょう!

 

さて、本日は、「京都府」の「後水尾上

 

皇」にまつわる「幡枝(はたえだ)離宮」

 

について、おさらいクイズ(Vol.683)

 

にチャレンジ致しましょう!

 

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

「江戸時代初期」の頃、「江戸幕府」に

 

よる徹底的な「朝廷勢力の制限」政策に

 

対して、「抗(あらが)う」ように、「雅

 

(みやび:あるがままにの意)」に生き

 

抜き、「85歳」と言う長寿を全うした

 

「第108代、後水尾天皇」は、「慶長

 

16年(1611年)」に「即位」しますが、

 

「即位」するや否や、「朝廷」の行動を

 

統制しようとする「徳川幕府」による

 

「禁中並公家諸法度」が公布され、以降、

 

「朝廷」の「行動全般」が「京都所司代」

 

を通じて「幕府」の管理下に置かれるよ

 

うになるに至、「摂政・関白」による決

 

定事項も、「幕府」の承諾を得なければ

 

施行出来ないと言う「体制」へと、変化

 

を余儀なくされるに至った時代の「天皇」

 

となった訳なのだそうです。

 

 

こうして「上皇」や「公卿」は、「朝廷」

 

による「政策決定過程」から排除される

 

に至った訳であり、「徳川幕府」の方針

 

に忠実に従う「朝廷」の「運営」が行わ

 

れる体制が構築されるに至ったと言う事

 

になった訳なのです。

 

更に「大御所」となった「徳川家康」は、

 

「孫娘」である「和子」の「入内」を画

 

策し、紆余曲折を経て、「1620年」に

 

入内するに至った事から、「1626年

 

(寛永3年)」になると、「徳川秀忠」と

 

「徳川家光」の両名が「上洛」し、「後

 

水尾天皇」による「二条城御幸」を果た

 

し、「拝謁」するに至ると言う経緯と

 

なり、「皇室」と「徳川家」との「縁戚

 

関係」が確認された訳なのです。

 

 

 

 

 

このような権力構造を構築した「徳川幕

 

府」は、翌年の「1627年」には、「朝

 

廷」が「僧侶」に「紫色の法衣や袈裟を

 

与え、報酬を得る」事を「幕府」が禁止

 

すると言う「紫衣事件」が起き、更に、

 

「3代将軍、徳川家光」の乳母である

 

「春日局」が、「無位無冠」の身であり

 

ながら「朝廷」に参内する等と言った、

 

「幕府勢力」による「天皇の権威」を失

 

墜させる事件が頻発するに至った事から、

 

憤慨した「後水尾天皇」は、「幕府」へ

 

の通告をしないまま、無理矢理「皇女」

 

の「第109代、明正天皇」に譲位し、

 

自らは「上皇」となって「院政」を敷く

 

に至ったそうです。

 

 

 

当然に「徳川幕府」は、この「院政」を

 

認めなかった訳なのですが、「寛永11

 

年(1634年)」に、「第3代将軍、徳

 

川家光」の「上洛」をきっかけに、「後

 

水尾上皇」の「皇后」であり、「第2代

 

将軍、徳川秀忠」の「娘」であった「和

 

子(東福門院)」が、「上皇」の方針に理

 

解を示し、擁護した事も「後押し」とな

 

り、最終的には認められると言う経緯と

 

なったそうで、その後も「上皇(法皇)」

 

と「幕府」との確執は続いたものの、

 

「後水尾上皇」の「院政」は、「第110

 

代、後光明天皇」、「第111代、後西

 

(ごさい)天皇」、「第112代、霊元天

 

皇」まで、4代に渡る「天皇」の「後見

 

人」として、「院政」を継続するに至っ

 

たと言う経緯となった訳なのです。

 

 

 

 

 

 

「上皇」となった「後水尾天皇」は、自

 

らの「離宮(住まい)」の土地を探し求

 

め、「比叡山が美しく見える土地」を

 

10年以上かけて探し求めた結果、やっ

 

と辿り着いたのが、「洛北、岩倉」の地

 

だったそうです。

 

こうして「1639年(寛永16年)」に、

 

「岩倉の地」に造営されたのが「幡枝離

 

宮(はたえだりきゅう)」であり、「上皇」

 

は、「比叡山」が良く見えるように、「枯

 

山水庭園」を自らが設計し、「平庭」に

 

置かれた「40数個」の「石」は全て

 

「高さ」を抑えた「低いもの」で揃えら

 

れ、「生垣」も「直線的」に刈り込まれ

 

ている構成となった「庭園」は、「比叡

 

山」を借景とした、見事な「枯山水庭園」

 

が造営されるに至ったと言う事になった

 

訳なのだそうです。

 

この「幡枝離宮」は、その後「上皇」の

 

「第1皇女」であった「梅宮(文智女

 

王)」が「出家」し、「1641年」に「京

 

都、修学院」の地に「円照寺」を創建し

 

た事で、度々「愛娘」に会う為に「修学

 

院の地」を訪れる事になった「上皇」が、

 

「幡枝離宮」以上に「比叡山」が眺望で

 

きるこの地に惚れ込んでしまうに至り、

 

更に「修学院離宮」を造営する事となり、

 

「近衛家」に「下賜」される事になった

 

訳なのだそうです。

 

 

こうして「上皇」が「修学院離宮」を

 

「造営」するに当たっては、「皇后」で

 

ある「東福門院」が、「実家」である

 

「徳川家」への支援を仰いだ事もあり、

 

「徳川幕府」から「造営費用」が捻出さ

 

れるに至ったそうで、「上皇」はその後

 

「12年の歳月」をかけて、設計はもと

 

より、草木や土石の1つ1つの配置ま

 

でもこだわりながら、自らのイメージで

 

設計し、「1656年」に、広大な「山荘

 

(離宮)」として知られる「修学院離宮

 

(しゅうがくいんりきゅう)」が完成さ

 

れるに至ったと言う経緯となった訳なの

 

だそうです。

 

 

 

 

 

ちなみに「修学院離宮」造営にまつわり、

 

「愛娘」の「梅宮」が創建した「円照寺」

 

は、「大和(奈良)」に移され、それまで

 

の「上皇」の住まいだった「幡枝離宮」

 

は、「近衛家」に下賜され、その後

 

「1678年」に、「寺院」となるに至る

 

と言う経緯となった訳なのだそうです。

 

さて、本日は、この「寺院」となった

 

「幡枝(はたえだ)離宮」について、お

 

さらいクイズにチャレンジ致しましょ

 

う!

 

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

「江戸時代初期」の頃、「朝廷」の行動

 

を制限しよう目論んだ「徳川家康」は、

 

「孫娘」の「和子」を無理矢理に「第

 

108代、後水尾天皇」の「皇后」とし、

 

「皇室」と「徳川家」との縁戚を結ぶに

 

至った事で知られています。

 

 

 

 

しかしながら「徳川幕府」による度重な

 

る「天皇の権威失墜」の事件が相次いだ

 

事によって、「後水尾天皇」は「皇女」

 

に譲位して「上皇」となり、「院政」を

 

始めるに至り、「京都、岩倉」の地に

 

「幡枝(はたえだ)御所」を造営し、移

 

り住むに至った事で知られています。

 

 

 

 

問題:「比叡山」を「借景」とした「枯

 

山水の庭園」がある事で知られ、「第

 

108代、後水尾上皇」の「幡枝御所」

 

が起源となり、「近衛家」に下賜された

 

後「寺院」となった事で知られている、

 

その「寺院名」とは、何でしょうか?

 

 

次のうちから選んで下さい。

 

1.霊願寺

 

 

 

2.正伝寺

 

 

 

3.閑臥庵(かんがあん)

 

 

 

4.円通寺

 

 

 

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【解説】

 

「京都、岩倉」にある「円通寺」は、

 

「延宝6年(1678年)」に、「第112

 

代、霊元天皇」の乳母であった「圓光院

 

文英尼」が「開基」となって、「臨済宗、

 

妙心寺派」の「禅寺」に改め、「妙心寺、

 

10世、景川宗隆」を「勧請開山」とし

 

て「開山」されるに至ったそうです。

 

 

 

 

その際、そもそもこの「寺院」は、(寛

 

永16年(1639年)」に、「上皇」とな

 

った「第108代、後水尾上皇」が、「離

 

宮(住まい)」として造営した「幡枝

 

(はたえだ)離宮」だった事もあり、

 

「後水尾上皇」は、「寺院」の「開山」

 

に対して「圓通」の「勅額」を「下賜」

 

するに至ったそうで、その後「1680年

 

(延宝8年)」には、「皇室」の「勅願

 

所」にもなるに至ったそうです。

 

 

「円通寺」の「枯山水式庭園」は、「上

 

皇」自らの設計だった事で知られ、現在

 

でも造営当時のままで保存されていて、

 

「国の名勝」にも指定されているそうで

 

す。

 

「苔」を主体に、「比叡山」が見えるよ

 

うに低い「刈込みと石」を配していて、

 

特に「大小40余りの庭石」は、「上皇」

 

自らが配したと言われているそうです。

 

この低い「刈込みと立木」の背後に望む

 

「比叡山」が「借景」となっている姿は、

 

「客殿」の奥から見ると、見事な「額縁

 

庭園」となっている事で知られている訳

 

になるそうです。

 

 

 

 

 

ちなみに、「京都市」では、この「円通

 

寺庭園」の借景を守る為、急速に進む

 

「都市開発」によって、「高層マンショ

 

ン建築」による「借景破壊」を懸念し、

 

「借景保護眺望条例(正式名称は京都市

 

眺望景観創生条例)」を制定したそうで、

 

周辺区域では「高さ」だけでなく、「屋

 

根の形式」等にも制限をかけるに至った

 

そうです。

 

「東京都、小池都知事」が邁進する「ソ

 

ーラパネル義務化政策」を始め、「都立

 

葛西臨海公園」の「樹木1400本伐採

 

計画」や、「明治神宮外苑」の「3000

 

本伐採」と比して、「京都」と「東京」

 

との「知事」を始め、「府民、都民」も

 

含めて、その「文化や歴史」に対する

 

「考え方」を始め、「見識、良識」の

 

「相違」が、如実に顕れた事例であると

 

思われる訳なのです。

 

 

 

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4.円通寺

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

大阪市立大学の研究グループが、大豆

 

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