【食育クイズ:Vol.1481】「京都府」の「落語の起源、醒睡笑」おさらいクイズ! 「醒睡笑」を著作した安楽庵策伝が住職を努めた寺院とは?

 

【食育クイズ:Vol.1481】

 

本日も、「関西地方(三重県、滋賀県、

 

和歌山県、奈良県、兵庫県、京都府、

 

大阪府)」の「食文化」や「郷土文化」

 

をテーマとした地域社会の在り方や、

 

昔から先人たちが培ってきた、「文化」、

 

「伝統」、「歴史」等の素晴らしさを、

 

クイズを楽しみながら知見を高め、あ

 

らためて「日本」や「日本人」が培っ

 

てきた「良きところ」を共有化し、次

 

代に継承して参りましょう!

 

さて、本日は、「京都府」の「落語の祖」

 

と言われる「禅僧、安楽庵策伝(あんら

 

くあんさくでん)」にまつわる「寺院」

 

について、おさらいクイズ(Vol.684)

 

にチャレンジ致しましょう!

 

 

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「戦国時代」の「1554年」に、「美濃

 

国(岐阜県)」で生まれた「安楽庵策伝

 

(あんらくあんさくでん)」は、「7歳」

 

の時に「美濃国」にある「禅寺、浄音寺

 

(じょういんじ)」で「出家」し、その

 

後「11歳」で「京都、禅林寺(永観

 

堂)」に転じて、「浄土宗」の修行に励ん

 

だ後、更に「25歳」から「15年間」

 

に渡り「山陽地方」で「布教活動」をし

 

ながら、「備前国、大雲寺」を創建する

 

等、7つの「寺院」の「創建」や「復興」

 

に関わったそうです。

 

 

 

 

 

その後「42歳」となった「1596年

 

(慶長元年)」になると、故郷の「浄音

 

寺」に戻り、「第25世、住持」となる

 

に至ったそうで、以降「17年間」に渡

 

り、「美濃国」の「浄土宗」の維持継続

 

発展に貢献するに至ったそうです。

 

こうして「60歳」になった時、それま

 

での功績が認められ、「京都、新京極」

 

にある「総本山」の「寺院」に招聘され、

 

「第55世、法主(ほっす)」となるに

 

至ると言う経緯となった訳なのだそうで

 

す。

 

 

さて、本日は、「安楽庵策伝」にまつわ

 

る「寺院」について、おさらいクイズに

 

チャレンジ致しましょう!

 

 

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晩年の「策伝上人」は、生涯に渡る「説

 

法」によって集めた、様々な「滑稽話や

 

人情話、1039話」を取りまとめ、収録

 

した「説話集」である、「醒睡笑(せい

 

すいしょう)」と言う「本」を、成立さ

 

せるに至ったそうです。

 

 

この「本」が成立したのは、「策伝上人」

 

が「69歳」の「1623年」だったそう

 

で、「7年程前」に「京都所司代、板倉

 

重宗」の前で話した「説話」が大変面白

 

かった事から、纏めて「著書」とするよ

 

うに薦められた事が、そのきっかけとな

 

ったと言う経緯があったのだそうです。

 

 

ちなみに「醒睡笑」と言う言葉は、「睡

 

り(ねむり)を醒まして笑う」と言う意

 

味だそうで、「本」の中に出てくる「逸

 

話」の中から取り出して、「題名」とし

 

たのだそうです。

問題:その晩年を「京都」にある「浄土

 

宗、総本山」の「寺院」の「法主(ほっ

 

す)」として過ごした「安楽斎策伝上人」

 

は、その著作として知られる「醒睡笑」

 

が成立すると、「策伝上人」の「説話」

 

の面白さを「本」にする事を薦めた、

 

「京都所司代」を務めていた「譜代大名、

 

板倉重宗」へ献呈したそうです。

 

その後「醒睡笑」は「転写」され、広く

 

世の中に流布するに至ったそうで、その

 

内容から、「後世」の「咄本(はなしぼ

 

ん)」や、「落語」に影響を与え、「寄席、

 

落語」の元ネタとして参照されるように

 

なったと言われている事から、「策伝上

 

人」は、「落語の祖」と呼ばれるように

 

なった訳なのです。

さて、それでは、この「安楽再策伝」が、

 

「住職」を努めた、「京都」の「寺院」

 

とは、どれでしょうか?

次のうちから選んで下さい。

1.行願寺

 

 

2.矢田寺

 

 

3.安楽寺

 

 

4.誓願寺

 

↓↓↓↓↓答えはここから↓↓↓↓↓   

 

【解説】

 

「誓願寺(せいがんじ)」は、「京都、新

 

京極通」にある「浄土宗、西山深草派」

 

の「総本山」の「寺院」として知られ、

 

「平安時代」には、波乱万丈の半生を過

 

ごした「和泉式部」が「女人往生」の

 

「教え」を「性空上人」から授かり、こ

 

の「寺院」を訪れ、「浄土宗」に「帰依」

 

し、「戒名」を授かり、「出家」した事で

 

知られている「禅宗」の「寺院」の事を

 

言います。

 

 

 

 

 

「安楽庵策伝」上人は、「60歳」の時

 

に、それまでの功績が認められ、「誓願

 

寺」の「55世法主(ほっす)」となり、

 

その晩年になると「醒睡笑」を著し、そ

 

の完成と同時に、「誓願寺」内に「塔頭、

 

竹林院」を造営し、「隠居」するに至っ

 

たそうで、その「庭」に建てた「茶室、

 

安楽庵」で余生を送ったそうです。

 

 

こうして「策伝上人」は、それ以降「安

 

楽庵策伝」と呼ばれるようになったと言

 

う事になった訳なのだそうです。

 

ちなみに「落語」の世界の用語では、

 

「手ぬぐい」を「曼荼羅」と呼んだり、

 

「高座」や「前座」と言う言葉は「お説

 

教」に由来したものだそうです。

 

また「噺」のネタにも、「寿限無(じゅ

 

げむ)」や「こんにゃく問答」、「もち屋

 

問答」、「野ざらし」等と言った「仏教」

 

と関係が深いものが沢山ある訳であり、

 

「上方落語」には「浄土系」の「噺」が

 

多く、「江戸落語」には「法華系」の

 

「噺」が多いとも言われている訳なのだ

 

そうです。

最後に、「小噺」の一つを紹介します。

~『振る舞われた料理の中に、ミョウガ

 

の刺し身があったので、ある人が年少の

 

稚児に向かい、

 

「ミョウガは昔から、学問をするような

 

人は皆、鈍根草《どんごんそう》と名付

 

けて、物忘れをすると言って食べないも

 

のですよ。」

 

と言ったところ、稚児はそれを聞いて

 

「そういうことなら私は食べましょう。

 

食べて空腹を忘れましょう」

 

と言いました。』~

 

ちなみに「策伝上人」は、そもそも「説

 

法の達人」と評判だった人物だったそう

 

で、字が読めない等、教養の低い一般民

 

衆の人達に対しても、「仏の道」をわか

 

り易く教える為に、「説話」の最後に

 

「落ち」を用い、笑わせたそうです。

 

著作した「醒睡笑」にも、この手法が生

 

かされていた事から、「策伝上人」が

 

「落語の祖」と呼ばれるようになった

 

「由縁」となった訳なのだそうです。

 

↓↓↓↓↓↓↓答え↓↓↓↓↓↓↓

4.誓願寺

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食育&6次産業化推進センターは、食の国家的安全保障をめざし、日本人の命と健康を守るため、真の食の安心・安全とは何かというテーマを、食育活動や6次産業化推進活動をベースに追求する国家戦略プロフェッショナルの仕事をしています。