【食育クイズ:Vol.1481】
本日も、「関西地方(三重県、滋賀県、
和歌山県、奈良県、兵庫県、京都府、
大阪府)」の「食文化」や「郷土文化」
をテーマとした地域社会の在り方や、
昔から先人たちが培ってきた、「文化」、
「伝統」、「歴史」等の素晴らしさを、
クイズを楽しみながら知見を高め、あ
らためて「日本」や「日本人」が培っ
てきた「良きところ」を共有化し、次
代に継承して参りましょう!
さて、本日は、「京都府」の「落語の祖」
と言われる「禅僧、安楽庵策伝(あんら
くあんさくでん)」にまつわる「寺院」
について、おさらいクイズ(Vol.684)
にチャレンジ致しましょう!
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/12/安楽庵策伝1.jpg)
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「戦国時代」の「1554年」に、「美濃
国(岐阜県)」で生まれた「安楽庵策伝
(あんらくあんさくでん)」は、「7歳」
の時に「美濃国」にある「禅寺、浄音寺
(じょういんじ)」で「出家」し、その
後「11歳」で「京都、禅林寺(永観
堂)」に転じて、「浄土宗」の修行に励ん
だ後、更に「25歳」から「15年間」
に渡り「山陽地方」で「布教活動」をし
ながら、「備前国、大雲寺」を創建する
等、7つの「寺院」の「創建」や「復興」
に関わったそうです。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/12/300-安楽庵策伝.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/12/300-300常音寺.jpg)
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![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/12/300-290大雲寺.jpg)
その後「42歳」となった「1596年
(慶長元年)」になると、故郷の「浄音
寺」に戻り、「第25世、住持」となる
に至ったそうで、以降「17年間」に渡
り、「美濃国」の「浄土宗」の維持継続
発展に貢献するに至ったそうです。
こうして「60歳」になった時、それま
での功績が認められ、「京都、新京極」
にある「総本山」の「寺院」に招聘され、
「第55世、法主(ほっす)」となるに
至ると言う経緯となった訳なのだそうで
す。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/12/300-安楽庵策伝.jpg)
さて、本日は、「安楽庵策伝」にまつわ
る「寺院」について、おさらいクイズに
チャレンジ致しましょう!
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/12/安楽庵策伝1.jpg)
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晩年の「策伝上人」は、生涯に渡る「説
法」によって集めた、様々な「滑稽話や
人情話、1039話」を取りまとめ、収録
した「説話集」である、「醒睡笑(せい
すいしょう)」と言う「本」を、成立さ
せるに至ったそうです。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/12/300-醒睡笑.jpg)
この「本」が成立したのは、「策伝上人」
が「69歳」の「1623年」だったそう
で、「7年程前」に「京都所司代、板倉
重宗」の前で話した「説話」が大変面白
かった事から、纏めて「著書」とするよ
うに薦められた事が、そのきっかけとな
ったと言う経緯があったのだそうです。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/12/300-板倉重宗1.jpg)
ちなみに「醒睡笑」と言う言葉は、「睡
り(ねむり)を醒まして笑う」と言う意
味だそうで、「本」の中に出てくる「逸
話」の中から取り出して、「題名」とし
たのだそうです。
問題:その晩年を「京都」にある「浄土
宗、総本山」の「寺院」の「法主(ほっ
す)」として過ごした「安楽斎策伝上人」
は、その著作として知られる「醒睡笑」
が成立すると、「策伝上人」の「説話」
の面白さを「本」にする事を薦めた、
「京都所司代」を務めていた「譜代大名、
板倉重宗」へ献呈したそうです。
その後「醒睡笑」は「転写」され、広く
世の中に流布するに至ったそうで、その
内容から、「後世」の「咄本(はなしぼ
ん)」や、「落語」に影響を与え、「寄席、
落語」の元ネタとして参照されるように
なったと言われている事から、「策伝上
人」は、「落語の祖」と呼ばれるように
なった訳なのです。
さて、それでは、この「安楽再策伝」が、
「住職」を努めた、「京都」の「寺院」
とは、どれでしょうか?
次のうちから選んで下さい。
1.行願寺
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/12/300-290行願寺1.jpg)
2.矢田寺
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/12/300-290矢田寺1.jpg)
3.安楽寺
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/12/300-290安楽寺.jpg)
4.誓願寺
↓↓↓↓↓答えはここから↓↓↓↓↓
【解説】
「誓願寺(せいがんじ)」は、「京都、新
京極通」にある「浄土宗、西山深草派」
の「総本山」の「寺院」として知られ、
「平安時代」には、波乱万丈の半生を過
ごした「和泉式部」が「女人往生」の
「教え」を「性空上人」から授かり、こ
の「寺院」を訪れ、「浄土宗」に「帰依」
し、「戒名」を授かり、「出家」した事で
知られている「禅宗」の「寺院」の事を
言います。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/12/300-290誓願寺1234.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/12/300-250和泉式部1.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/12/300-性空上人1.jpg)
「安楽庵策伝」上人は、「60歳」の時
に、それまでの功績が認められ、「誓願
寺」の「55世法主(ほっす)」となり、
その晩年になると「醒睡笑」を著し、そ
の完成と同時に、「誓願寺」内に「塔頭、
竹林院」を造営し、「隠居」するに至っ
たそうで、その「庭」に建てた「茶室、
安楽庵」で余生を送ったそうです。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/12/300-安楽庵策伝.jpg)
こうして「策伝上人」は、それ以降「安
楽庵策伝」と呼ばれるようになったと言
う事になった訳なのだそうです。
ちなみに「落語」の世界の用語では、
「手ぬぐい」を「曼荼羅」と呼んだり、
「高座」や「前座」と言う言葉は「お説
教」に由来したものだそうです。
また「噺」のネタにも、「寿限無(じゅ
げむ)」や「こんにゃく問答」、「もち屋
問答」、「野ざらし」等と言った「仏教」
と関係が深いものが沢山ある訳であり、
「上方落語」には「浄土系」の「噺」が
多く、「江戸落語」には「法華系」の
「噺」が多いとも言われている訳なのだ
そうです。
最後に、「小噺」の一つを紹介します。
~『振る舞われた料理の中に、ミョウガ
の刺し身があったので、ある人が年少の
稚児に向かい、
「ミョウガは昔から、学問をするような
人は皆、鈍根草《どんごんそう》と名付
けて、物忘れをすると言って食べないも
のですよ。」
と言ったところ、稚児はそれを聞いて
「そういうことなら私は食べましょう。
食べて空腹を忘れましょう」
と言いました。』~
ちなみに「策伝上人」は、そもそも「説
法の達人」と評判だった人物だったそう
で、字が読めない等、教養の低い一般民
衆の人達に対しても、「仏の道」をわか
り易く教える為に、「説話」の最後に
「落ち」を用い、笑わせたそうです。
著作した「醒睡笑」にも、この手法が生
かされていた事から、「策伝上人」が
「落語の祖」と呼ばれるようになった
「由縁」となった訳なのだそうです。
↓↓↓↓↓↓↓答え↓↓↓↓↓↓↓
4.誓願寺