大江戸講座・8代将軍徳川吉宗考―その1

大江戸講座・8代将軍徳川吉宗考―その1

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故作家林えり子先生の大江戸講座の中で、徳

川8代将軍吉宗が語られました。

江戸300年の歴史の中で、初代将軍家康か

ら順に2代秀忠、3代家光、4代家綱、5代

綱吉、6代家宣、7代家継と続きます。

7代将軍家継は4才~8才で死んでしまい、

とうとう家康宗家の血筋が途絶えてしまいま

す。そこで家康の子の兄弟である御三家(尾

張藩、紀州藩、水戸藩)の中から将軍職継承

の白羽の矢が放たれることになりました。

吉宗が将軍になるったのはほとんど奇跡に近

い経緯がありました。1705年、吉宗は二

人の兄によって紀州藩の藩主となったことか

ら始まり、その後12年間で将軍職継承の重

要人物が偶然過ぎる度重なる死もあり、吉宗

は1716年、将軍になったわけですが、そ

の裏にはさらに当時の江戸城内の軋轢もあっ

たようです。

5代将軍綱吉時代から、一部の将軍側近によ

る独善的な政治色が強く、相反する「譜代門

閥」や「前将軍下」の老中たちの不平不満や

ストレスが半端でなかったことや、大奥の権

力者である6代将軍家宣の正室「天英院」と

7代将軍家継の生母「月光院」との権力争い

も半端でなかったことなど、それまでの将軍

の周辺を廻るいろいろなエネルギーが陰に日

向に働いたことも将軍吉宗誕生の方向に働き

ました。

こうして初めて家康の直系でない将軍になっ

た吉宗は、就任後「享保の改革」を実施し、

崩れかかっていた幕府の体制を見事に立て直

し、「徳川幕府・中興の名君」として讃えら

れるまでになりました。こうして7代で終わ

っていたかもしれない徳川幕府が、15代ま

で継続する歴史が作り上げられたのです!

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食育&6次産業化推進センターは、食の国家的安全保障をめざし、日本人の命と健康を守るため、真の食の安心・安全とは何かというテーマを、食育活動や6次産業化推進活動をベースに追求する国家戦略プロフェッショナルの仕事をしています。