大江戸講座・8代将軍徳川吉宗考―その2
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吉宗と食!吉宗は食の立て直しにも大変貢献
しました。吉宗と言えばサツマイモ事業でし
ょうか?1732(享保17)年に発生した
「享保の大飢饉」!西日本でウンカ(稲の害
となる昆虫)が大発生したことと冷夏が重な
り、農村を中心に深刻な食糧難に陥り、1万
人以上が命を落としたそうです。この事態を
憂えた吉宗は、長崎出身の近臣・深見新兵衛
に九州の飢饉の様子を尋ねたところ、サツマ
イモの生産を奨励していた薩摩で、餓死者が
ほとんど出なかったことを聞きます。
更に腹心で有名な江戸町奉行である大岡忠相
が、以前からサツマイモを救荒作物にする研
究をしていた儒学者・青木昆陽を吉宗に推挙
したそうです!
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2019/12/吉宗と大岡越前.jpg)
青木昆陽
米に頼らない食糧体制構築を模索していた
吉宗は、青木昆陽の自著『蕃藷孝』を上程
され、サツマイモは、天候の不順や荒れた
土地、病気にも負けずに育ち、栄養価は高
く、長期保存が可能ということを知り、吉
宗はサツマイモの有用性を信じました!
こうしてサツマイモは飢饉対策の柱と定めら
れたのです。
吉宗は早速青木昆陽を登用し、関東地方にお
けるサツマイモ普及活動に乗り出しました!
吉宗はまず、庶民にも読めるよう、『蕃藷孝』
を仮名混じり文に書き改めさせました!
更に栽培のポイントや食べ方、保存法などの
要点をわかりやすくまとめさせ、薩摩より取
り寄せた種芋と一緒に、伊豆七島などに配布
したそうです!また、昆陽を中心に江戸の小
石川薬草園や下総の馬加(まくわり)村(現
在の千葉県・幕張)でサツマイモの試作を開始
しました!さらにそこで収穫した種芋を諸国
に分け、栽培させました!この繰り返しで、
少しずつ栽培地域を拡大していったのです!
こうして、徐々に関東地方にサツマイモ栽培
が定着していき、のちの天明の大飢饉をはじ
めとする飢饉の度に多くの命を救うこととな
ったそうです!
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政治がやるべき仕事はまさに未来へのインフ
ラ投資です!これは政治(今で言えば国)が
やるべき仕事です。インフラ投資は民間では出
来ません!農業支援!自給率向上!食糧危機に
向けたインフラ投資は、食料自給率が先進国中
最低の38%しかない日本政府の喫緊の課題な
のに、何故政府は輸入関税を緩め、農業を衰退
させる政策に終始しているのでしょうか?吉宗
がいたら何と言うのでしょうか?
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話を素に戻します。青木昆陽の活躍に感謝し
た人々によって馬加村(今の千葉県幕張)に
昆陽をまつった神社が建てられました!
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2019/12/昆陽神社1.jpg)
昆陽神社(千葉市花見川区)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2019/12/昆陽碑.jpg)
昆陽甘藷作地碑(千葉市幕張町)
このサツマイモの普及によって、米に比重を置
き過ぎた今までの政策が改善され、どれだけ庶
民の助けとなったか、うかがい知れます!
現在の関東地方を中心に、「…新田」と呼ば
れている地域や地名は、ほとんどこの時代の
ものなのです!