大江戸講座・8代将軍徳川吉宗考―その2

大江戸講座・8代将軍徳川吉宗考―その2

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

吉宗と食!吉宗は食の立て直しにも大変貢献

しました。吉宗と言えばサツマイモ事業でし

ょうか?1732(享保17)年に発生した

「享保の大飢饉」!西日本でウンカ(稲の害

となる昆虫)が大発生したことと冷夏が重な

り、農村を中心に深刻な食糧難に陥り、1万

人以上が命を落としたそうです。この事態を

憂えた吉宗は、長崎出身の近臣・深見新兵衛

に九州の飢饉の様子を尋ねたところ、サツマ

イモの生産を奨励していた薩摩で、餓死者が

ほとんど出なかったことを聞きます。

更に腹心で有名な江戸町奉行である大岡忠相

が、以前からサツマイモを救荒作物にする研

究をしていた儒学者・青木昆陽を吉宗に推挙

したそうです!

 

 青木昆陽

 

米に頼らない食糧体制構築を模索していた

吉宗は、青木昆陽の自著『蕃藷孝』を上程

され、サツマイモは、天候の不順や荒れた

土地、病気にも負けずに育ち、栄養価は高

く、長期保存が可能ということを知り、吉

宗はサツマイモの有用性を信じました!

こうしてサツマイモは飢饉対策の柱と定めら

れたのです。
吉宗は早速青木昆陽を登用し、関東地方にお

けるサツマイモ普及活動に乗り出しました!

吉宗はまず、庶民にも読めるよう、『蕃藷孝』

を仮名混じり文に書き改めさせました!
更に栽培のポイントや食べ方、保存法などの

要点をわかりやすくまとめさせ、薩摩より取

り寄せた種芋と一緒に、伊豆七島などに配布

したそうです!また、昆陽を中心に江戸の小

石川薬草園や下総の馬加(まくわり)村(現

在の千葉県・幕張)でサツマイモの試作を開始

しました!さらにそこで収穫した種芋を諸国

に分け、栽培させました!この繰り返しで、

少しずつ栽培地域を拡大していったのです!

こうして、徐々に関東地方にサツマイモ栽培

が定着していき、のちの天明の大飢饉をはじ

めとする飢饉の度に多くの命を救うこととな

ったそうです!

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

政治がやるべき仕事はまさに未来へのインフ

ラ投資です!これは政治(今で言えば国)が

やるべき仕事です。インフラ投資は民間では出

来ません!農業支援!自給率向上!食糧危機に

向けたインフラ投資は、食料自給率が先進国中

最低の38%しかない日本政府の喫緊の課題な

のに、何故政府は輸入関税を緩め、農業を衰退

させる政策に終始しているのでしょうか?吉宗

がいたら何と言うのでしょうか?

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

話を素に戻します。青木昆陽の活躍に感謝し

た人々によって馬加村(今の千葉県幕張)に

昆陽をまつった神社が建てられました!

昆陽神社(千葉市花見川区)

昆陽甘藷作地碑(千葉市幕張町)

このサツマイモの普及によって、米に比重を置

き過ぎた今までの政策が改善され、どれだけ庶

民の助けとなったか、うかがい知れます!

現在の関東地方を中心に、「…新田」と呼ば

れている地域や地名は、ほとんどこの時代の

ものなのです!

ABOUTこの記事をかいた人

食育&6次産業化推進センターは、食の国家的安全保障をめざし、日本人の命と健康を守るため、真の食の安心・安全とは何かというテーマを、食育活動や6次産業化推進活動をベースに追求する国家戦略プロフェッショナルの仕事をしています。