2月11日は「建国記念の日」!「建国記念日」とは違います!

【2月11日】は建国記念の日!

 

 

 

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「建国記念の日」と「建国記念日」とは違い

 

 

 

ます!

 

 

 

あえて、「”の“」の文字が挿入されたのには

 

 

 

意味があります。「建国記念の日」とは、

 

 

 

「日本の建国をしのび、国を愛する心を養う」

 

 

 

という意味であり、ただ単に日本国の成り立

 

 

 

ちの日だけを記念しているのでは無く、「日

 

 

 

本の建国のあり方そのものについて思いを巡

 

 

 

らしましょう」ということを意味しています。

 

 

 

「日本の建国のあり方を偲ぶ」という意味は、

 

 

 

日本最古の歴史書である「古事記」や「日本

 

 

 

書紀」に記載されている「日本の初代天皇、

 

 

 

神武天皇」が「辛酉 (しんゆう) 年春正

 

 

 

月、庚辰朔(太陽暦換算:BC660年、2

 

 

 

月11日)」に橿原 (かしはら) におい

 

 

 

て即位したという、日本国の成り立ちが神話

 

 

 

から始まっていることや、現在まで2680

 

 

 

年という「世界一の長さ」となった「日本の

 

 

 

皇統」の永遠性と、私たち日本人一人ひとり

 

 

 

が「同一性」のものであるという歴史の重み

 

 

 

に、思いを巡らせましょうということである

 

 

 

と思います。

 

 

 

また、「国を愛する心を養う」という意味は、

 

 

 

そういった日本の建国のあり方の神秘性や、

 

 

 

その曖昧さまでをも含めて、私たち日本人一

 

 

 

人ひとりがその全てを、理屈や論理を超越し、

 

 

 

否定すること無くあるがままに受け入れまし

 

 

 

ょう、ということであると思います。

 

 

 

「八百万の神々の存する国、日本」を、誇り

 

 

 

に思うのか、バカにするのか、どちらの考え

 

 

 

方も自由ではありますが、せめて皇紀268

 

 

 

0年を迎えたこの日くらいは、日本の長い歴

 

 

 

史を紐解いてみるのもよろしいのではないで

 

 

 

しょうか?

 

 

 

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明治5年、日本の紀元(国が始まった日)と

 

 

 

して「紀元節」が制定され、2月11日を国

 

 

 

民の祝日としました。ところが「紀元節」は、

 

 

 

日本が太平洋戦争に負けた直後の昭和23年、

 

 

 

当時日本を支配していたGHQによって、

 

 

 

「紀元節を認めれば、天皇を神と崇拝する日

 

 

 

本人が団結し、再び戦争を起こすのではない

 

 

 

か」と懸念され、廃止されてしまいました。

 

 

 

そののち、日本の目覚ましい復興とともに、

 

 

 

次第に生まれた国を愛する国民の意思も復活

 

 

 

し、「紀元節」を復活させようとする声が高

 

 

 

まってきて、1966年(昭和41年)、

 

 

 

「建国記念の日」として、初代天皇「神武天

 

 

 

皇」が即位したされる「旧暦の1月1日」と

 

 

 

同じ新暦換算の「2月11日」で復活したわ

 

 

 

けです。

 

 

 

しかしながら、戦争に負けたことによる日本

 

 

 

人のアイディンティ消失度は多く、天皇制の

 

 

 

否定や、日本国そのものを否定する考え方の

 

 

 

人も多く、本来であれば、自分の国の誕生日

 

 

 

を祝うことは全ての国民の総意であるはずな

 

 

 

のが、「紀元節」復活までの道のりはとても

 

 

 

遠いものでした。

 

 

 

一部の専門家たちは、「歴史学上では神武天

 

 

 

皇は実在の人物ではなく、「神話」として位

 

 

 

置づけられている」ことを理由に、「日本の

 

 

 

正確な起源などわかっていないのに建国記念

 

 

 

など定められない」といった意見や、政権野

 

 

 

党の政治家などによる激しい否定活動などが

 

 

 

あり、廃止から18年を経過してやっとの制

 

 

 

定となりました。日本人の多くが「建国を記

 

 

 

念する日」を望んでいるということが、後押

 

 

 

しになったとは言え、「紀元節」の名称から

 

 

 

「建国をしのび、国を愛する心を養う日」と

 

 

 

いう意味を強調した「建国記念の日」という

 

 

 

名称になったのも、否定論者との調整を図っ

 

 

 

た結果であったのです。

 

 

 

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自分の生まれたところ、生まれ故郷や、生ま

 

 

 

れた地域、生まれた国を好きになれないこと、

 

 

 

誇りに思えないことは悲しいことだと思いま

 

 

 

す。世の中の偉人や成功者たちのほとんどは、

 

 

 

美しい故郷の景色の思い出や、素晴らしい建

 

 

 

造物、懐かしいものを出生地に持っていると

 

 

 

聞きます。日本に生まれて良かった、日本人

 

 

 

で良かった、多くの人がそう思える国になる

 

 

 

ように祈りつつ、「建国記念の日」を過ごし

 

 

 

たいと思っています。

 

ABOUTこの記事をかいた人

食育&6次産業化推進センターは、食の国家的安全保障をめざし、日本人の命と健康を守るため、真の食の安心・安全とは何かというテーマを、食育活動や6次産業化推進活動をベースに追求する国家戦略プロフェッショナルの仕事をしています。