【食育クイズ:Vol.939】「京都府」の「河川と池」の歴史おさらいクイズ! 「京都、巨椋池」の西側にある地域で「芋洗」とも呼ばれている地名とは?

 

【食育クイズ:Vol.939】

 

本日も、「関西地方(三重県、滋賀県、

 

和歌山県、奈良県、兵庫県、京都府、

 

大阪府)」の「食文化」をテーマとし

 

た地域社会の在り方や、昔から先人た

 

ちが培ってきた、文化や伝統、歴史等

 

の素晴らしさを、クイズを楽しみなが

 

ら知見を高め、共有して参りましょ

 

う!

 

さて、本日は、「京都府」の「河川と池と

 

の歴史の経緯」について、おさらいクイズ

 

(Vol.148)にチャレンジ致しましょ

 

う!

 

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

「巨椋池(おぐらいけ)」は、「京都府」の

 

南部(現在の京都市伏見区、宇治市、久御

 

山町)にまたがる場所にかつて存在した

 

「大池」で、その規模の大きさから言えば

 

「池」よりも「湖」と呼ぶ方が相応しいと

 

言われる程の「巨大な池」だったそうです。

 

 

ちなみに、現在の日本の「池」で最大と言

 

われている「湖山池(こやまいけ:鳥取県

 

鳥取市北部にある汽水湖)」よりも大きか

 

ったそうです。

 

「古代」から「豊臣秀吉」による「伏見城」

 

築城までの「巨椋池」は、「琵琶湖」から

 

流れ出る唯一の河川であった「宇治川」が

 

「京都盆地」に流れ込む流域で最も低いと

 

ころに位置していて、更に「京都盆地」の

 

西側に位置している「桂川」、「木津川」の

 

二川と合流場所が、広大な「遊水池」を形

 

成する事になり、これがこの時代までの

 

「巨椋池」となっていたと言う経緯があり

 

ます。

 

 

天下人となった「豊臣秀吉」は、晩年にな

 

ると、「伏見城」を築城して、「伏見」に居

 

を移しますが、その時に「宇治川」に堤防

 

を築き、「巨椋池」と分離させる事によっ

 

て、「宇治川」の流路を「伏見城」の「外

 

濠」へと導いたそうです。

 

 

「宇治川」からの水の供給を絶たれた「巨

 

椋池」は、その水位が下がり、「伏見城下」

 

に「港」を設置する事を可能にしたそうで、

 

「秀吉」が築いた「大阪城」と「伏見城」

 

と言う二つの城を「水運」で結んだ事にな

 

り、その後の政治都市としての「伏見」の

 

繁栄に貢献する事になったと言う訳になり

 

ます。

 

 

しかしながら、その一方で、「宇治川」の

 

上流部分からの水の供給を絶たれた「巨椋

 

池」は、かろうじて、その下流部分では僅

 

かに狭い口で結ばれてはいたものの、その

 

後「明治時代」になる頃には、「宇治川」

 

に繋がる「鴨川」が運ぶ土砂により、その

 

僅かな口も塞がれてしまい、出口を持たな

 

い「沼」のように変化してしまい、生態系

 

も著しく変容し、マラリア蚊の発生場所と

 

なってしまった事から、結局「干拓」され

 

る事となったと言う経緯があるそうです。

 

 

ちなみに、「宇治川」の流れを変えた代表

 

的な「堤(堤防)」は三つあり、「伏見城」

 

の「外濠」の役割を果たした「槇島堤(宇

 

治堤)」を始め、「京都、伏見」と「大阪、

 

淀城」を結ぶ道となった「淀堤(文禄堤)」

 

と、「巨椋池」の中を縦断し、「伏見城下」

 

から「向島」に「宇治川」を渡る「豊後橋

 

(現在の観月橋)」を架橋し、その「堤上」

 

に「伏見と奈良」との距離を縮める「大和

 

街道」を新たに造ったとされる「小倉堤

 

(巨椋堤、太閤堤)」の三つがあるそうで

 

す。

 

更に、この「三つの堤」の他にも、「大池

 

堤」、「中池堤」がこの時期に築かれたそう

 

で、こうして「巨椋池」は、「大池(おお

 

いけ)」、「二の丸池(にのまるいけ)」、「大

 

内池(おおうちいけ)」、「中内池(なかう

 

ちいけ)」に完全に分断される事になった

 

と言う経緯があり、「江戸時代」には「大

 

池」と呼ばれるようになったそうで、「巨

 

椋池」という地名が復活したのは、近代に

 

入ってからであると言われているそうです。

 

 

さて、本日は、現在は幻となっている「巨

 

椋池」に関係する事柄について、おさらい

 

クイズにチャレンジしましょう!

 

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

周囲約16キロメートル、水域面積約8

 

平方キロメートルで、「京都」最大の面積

 

を持つ淡水湖だった「巨椋池(おぐらい

 

け)」は、「天下人」となった「豊臣秀吉」

 

が「京都、伏見」に「居」を移すため、

 

「伏見城」を「築城」する際、築城資材を

 

運搬する目的もあり、「伏見」と「大阪、

 

淀」とを水運で結ぶため、「巨椋池」内に

 

点在していた島と島とを結ぶ、「宇治川」

 

の大規模「堤防工事」を実施した事で、そ

 

の姿が大きく変貌したと言う経緯がありま

 

す。

 

 

 

この堤防は「太閤堤」とも呼ばれていて、

 

結果として後世において、「巨椋池」の全

 

面干拓へと誘うきっかけとなった訳になり

 

ます。

 

 

問題:かつて「巨椋池(おぐらいけ)」の

 

西岸にあった「○○」と言う地は、その三

 

方が「池」に面していて、出入りするのに

 

一箇所しか無かったそうで、中世の時代に

 

は種々の要因から、「芋洗(いもあらい)」

 

とも呼ばれていた地だったそうです。

 

さて、それでは、その地名「○○」とはど

 

れでしょうか?

 

次のうちから選んで下さい。

 

1.一口

 

2.椥辻

 

3.神足

 

4.納所

 

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【解説】

 

「小椋池(おぐらいけ)」の西のほとりに

 

あった小さな村の現在の地名は「京都府、

 

久世郡、久御山町、一口(いもあらい)」

 

と言う事になります。

 

 

「一口(いもあらい)」と言う地名は、難

 

読地名として広く知られていますが、近世

 

以降になるとその読み方の解釈が諸説なさ

 

れるようになったと言われています。

 

 

「一口」の地は、三方が池に面していたた

 

めに、村の出入り口は一方向(一カ所)の

 

みだったそうで、「一口」と言う漢字にす

 

ると、この土地の立地状況を正確に表して

 

いるとも言えます。

 

古くはこの「一口」地域を囲む「池」の事

 

を、「いも」と呼んでいたそうで、その理

 

由は、「疱瘡(しゅとう:天然痘)」を「洗

 

う(治す)」ために使われた「池」だった

 

からだそうです。

 

この「疱瘡を祓う」という言い回しが、

 

「疱瘡」を「いも」と呼び、「祓う」が

 

「洗う」となって「いもあらい」となった

 

とも言われています。

 

古来、「芋(いも)」とは「疱瘡」にかかっ

 

た時にできる「あばた」を指す言葉だった

 

そうで、「あばた」とは、「疱瘡」にかかる

 

と出来る「水疱」が「膿疱(ほうしょう)」

 

と進み、その後に「あばた」となるのです

 

が、その「あばた」を水で洗い、「疱瘡」

 

からの快復を祈ったと言う事になる訳です。

 

また、かつての「巨椋池」は「漁業」が盛

 

んだった事から、「豊漁」を祈るための

 

「忌み清まる」と言う浄化の言葉が、「斎

 

払い(イミハライ)」と変化し、それが

 

「イモアライ」と言う呼び方に転訛したも

 

のとも言われているそうです。

 

従って当初は「ヒトクチのイモアライ」と

 

呼んでいたのが、次第に「一口」と書いた

 

だけで、「イモアライ」と読ませるように

 

なっていったと考えられている事も頷ける

 

訳なのです。

 

 

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「椥辻(なぎつじ)」は、「京都、山科盆地」

 

の中央に位置する地域です。村内に「梛

 

(なぎ)」の大樹があって、どこからでも

 

目印になったので、村の名前にしたと言わ

 

れています。

 

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「神足(こうたり)」は、「京都、長岡京市」

 

にある地名で、その命名は古く、「桓武天

 

皇」が「奈良」から「長岡京」に遷都した

 

時に遡るそうです。

 

「桓武天皇」が夢の中で、「神」がこの地

 

に降り立ち、宮中を襲う魔物を防いでいる

 

様子を見たそうです。目が覚めた後、家来

 

をこの地へ向かわせると、家来は神の姿を

 

見たのですが、あまりの眩い(まばゆい)

 

姿のため、足しか見えなかったそうです。 

 

それがきっかけとなってこの地を「神足

 

(こうたり)」と呼ぶようになったそうで

 

す。

 

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「納所(のうそ)」は、「京都、伏見区」に

 

あり、年貢などを収納し保管する場所や、

 

年貢を納める事、または、それらの業務を

 

司る役人の事を言うそうです。

 

「納楚」は、「宇治川」と「桂川」に挟ま

 

れた地域にあり、「豊臣秀吉」の側室であ

 

った「淀君(茶々姫)」の産所として「淀

 

城」を築いたところであり、「水運」の要

 

地として、「淀川」を舟で運ばれてきた物

 

資がここで陸揚げされたそうです。

 

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

かつて巨大な淡水湖であった「巨椋池」の

 

第一次産業は、「漁業」と「農業」に「二

 

分」され、「水」が多い時は「漁業」に都

 

合が良く、その一方「田」では水の引きが

 

悪くなり米の生産が減少したそうで、逆に

 

「水」が少ない時は、「米」の生産が良好

 

となり、「漁業」が悪いと言う、「相克の関

 

係」にあったと言われてきたそうですが、

 

明治四十三年(1910年)、「淀川」の改

 

修工事が行われ、「三川」の合流地点をず

 

らした事によって、「巨椋池」は「宇治川」

 

の下流付近の「東一口(ひがしいもあら

 

い)」付近だけで僅かに繋がるだけとなり、

 

しかも、洪水時に「宇治川」の水かさが増

 

えると、川の水が逆流し、三角州を形成す

 

るようになってしまったそうで、次第に

 

「巨椋池」は完全に「沼化」してしまった

 

そうで、水位が低下し、生活排水等により

 

水質が悪化し、夏になると蚊が大発生する

 

ようになり、昭和2年にはマラリア蚊流行

 

指定地となってしまい、結果、国の食糧増

 

産事業として国営第1号の「干拓事業」

が実施されることになり、昭和8年~16

 

年にかけて行われ、巨大な農地と変貌した

 

と言う経緯があります。

 

 

こうして「巨椋池干拓地」となった「巨椋

 

池跡地」は、「京都、大阪」に近接した

 

「一大農業地帯」として、「米や野菜」の

 

大生産地となっている訳になります。

 

 

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1.一口(いもあらい)

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

大阪市立大学の研究グループが、大豆

 

などに含まれるイソフラボンが肺気腫

 

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閉塞性肺疾患)」の予防効果を有するこ

 

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