【食育クイズ:Vol.950】「京都府」の「錦市場」おさらいクイズ! 京都の絵師「伊藤若冲」の絵が掲げられている「錦市場」がある通り名とは?

 

【食育クイズ:Vol.950】

 

本日も、「関西地方(三重県、滋賀県、

 

和歌山県、奈良県、兵庫県、京都府、

 

大阪府)」の「食文化」をテーマとし

 

た地域社会の在り方や、昔から先人た

 

ちが培ってきた、文化や伝統、歴史等

 

の素晴らしさを、クイズを楽しみなが

 

ら知見を高め、共有して参りましょ

 

う!

 

さて、本日は、「京都府」の「京の台所」

 

について、おさらいクイズ(Vol.158)

 

にチャレンジ致しましょう!

 

 

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古くから「京の台所」と呼ばれてきた「京

 

都、錦市場」の歴史は、今から400年以

 

上前の、天下泰平の「江戸時代」になった

 

ときに、「幕府」から正式な「魚問屋」の

 

称号が与えられ、「魚市場」として栄えた

 

事から始まっていると言われているそうで

 

す。

 

 

当時の「錦市場」誕生の最大の要因は、こ

 

の地に湧き出る豊富な「地下水(井戸)」

 

を利用して、「魚」や「野菜」等の「生鮮

 

食材」を冷やして商売が出来た事だと言わ

 

れていて、「江戸時代」には、たいそう繁

 

盛したと言う経緯になります。

 

 

 

 

その後、「明治維新」になると、「魚市場」

 

としての「特権廃止」や、「昭和2年」に

 

は、全国に先駆けて開設された「京都中央

 

卸売市場」が出来た事をきっかけとした一

 

部店舗の移転等々…の、いくつもの困難を

 

地元の人たちの多くの努力によって乗り越

 

え、現在のような「錦市場」の形に変容し

 

てきたと言う経緯があり、今でもその賑わ

 

いを維持する事が出来ていると言う事にな

 

る訳なのです。

 

さて、本日は、この「錦市場」について、

 

おさらいクイズにチャレンジしましょう!

 

 

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問題:「錦市場」は、「京の台所」と呼ばれ、

 

「江戸時代」、そこの「大店」に生まれ、

 

40歳で隠居し、その後著名な「絵師」と

 

なった「伊藤若沖」と言う人物とも深い関

 

わりがあるとも言われています。

 

 

さて、それでは、「京都」の中心部にあり、

 

現在でも大変賑わい続けている「錦市場」

 

が位置している「京都」の「通り名」とは

 

何でしょうか?

 

 

次のうちから選んで下さい。

 

1.夷川通

 

2.二条通

 

3.錦小路通

 

4.松原通

 

↓↓↓↓↓答えはここから↓↓↓↓↓ 

 

【解説】

 

「京都、錦市場」は、「京都」の目抜き通

 

りである「四条通」の1本北の「錦小路通」

 

に位置していて、約400m続く、道幅

 

3.5m~ 5mと言う狭い歩道の「アーケ

 

ード型商店街」で、そこには130もの店

 

舗が軒を連ね、「魚屋」を始め、「八百屋」、

 

「京漬物」、「湯葉」、「うなぎ」、「佃煮」、

 

「干物」、「抹茶」、「すし」、「豆腐」、「出し

 

巻き玉子」等々…と、色々な人々の胃袋を

 

満たす、数多くの「京都」ならではの食材

 

がひしめきあっている場所として、「京都

 

人」を始め、数多くの「観光客」が訪れ、

 

現在でも、歩くのも困難な程の賑わいを果

 

たしていると言われています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに、「錦市場」の地下を流れる名水

 

「錦の水」は、1年を通して水温が15~

 

18℃と一定に保たれているそうです。

 

 

 

この「名水」が、食材の保存技術が現代の

 

ようなレベルでは無かった「江戸時代」に

 

は、「魚」等を保存するための冷蔵庫のよ

 

うな役割を果たした訳であり、「錦市場」

 

の発展に、この「名水」の存在は「欠かせ

 

ないもの」だったと言われています。

 

 

 

現在でも、多くの店舗に、この「地下水」

 

が引かれているそうで、「商売繁盛の守護

 

神」的な役割を果たし続けていると言われ

 

ています。

 

 

また、「伊藤 若冲(いとう じゃくちゅう)

 

と言う人物は、「江戸時代」、この「錦市場」

 

にある「青物問屋、桝源」と言う大店の長

 

男として生まれ、生来「絵を描く事」が好

 

きだったため、40才で家督を弟に譲り、

 

絵に没頭したと言われている人物だそうで

 

す。

 

 

しかしながら、「伊藤若冲」は、隠居後も

 

「町年寄」役を努めていた関係上、「錦市

 

場」が商売敵であった「五条市場」と紛争

 

し、「営業停止」の危機に陥った時があり、

 

その時に、食材を提供する「農家」の協力

 

を得る等の行動を起こし、営業再開にこぎ

 

着けた立役者となったと言う経緯があり、

 

もし、「伊藤若冲」がいなかったら、現在

 

にまで続く「錦市場」は存在しなかったと

 

も言われる程の活躍をした人物だったそう

 

です。

 

従って、現在でも、「錦市場」の天井やシ

 

ャッター等には、「伊藤若冲」の絵が、至

 

るところで掲げられている訳で、「錦の水」

 

と共に、「錦市場」の「守護神」的な存在

 

となっていると言われている訳になります。

 

 

 

 

 

 

「京都」には、長い歴史に培われた、数多

 

くの「名産食材」がありますが、昔から

 

「京の台所」と呼ばれてきた「錦市場」に

 

行くと、そのほとんどの店舗が、極端なま

 

での専門性に満ち溢れていて、「老舗」も

 

多く、「江戸時代初期」の頃から営業を続

 

けている店舗が12軒もあり、「明治時代」

 

からの店舗は17軒、「大正、昭和時代」

 

からの店舗が15軒と、その「専門性」に

 

おいては、他に類を見ないレベルを保ち、

 

誇っていると言われています。

 

例えば、現在でも「マグロ」 1 本で商売

 

をしている店を始め、「魚卵」の店や、「焼

 

き魚」の専門店等々…、それぞれの店舗が

 

それぞれの独自の「顔」をもって商売をし

 

ているそうで、その他にも、「生麩」や

 

「湯葉」を扱う店舗や、「京」の「だし文

 

化」を担う重要な「乾物屋」等々…、現在

 

でも「錦市場」が、いきいきと生き残り続

 

けている最大の要因は、昔からの品質を決

 

して落とさない事であり、「料亭」や「プ

 

ロの職人」を始めとして一般消費者まで、

 

訪れる人達を決してがっかりさせない品揃

 

えをし続けてきた事が、その大きな魅力と

 

なっていると言う訳になります。

 

 

 

 

 

 

 

 

こうして、「錦市場」には、午前中は「プ

 

ロの料理人」が訪れ、午後になると「主婦」

 

が買い出しに訪れ、夕方には、「お惣菜」

 

等を求める「ビジネスマン」等の姿も見ら

 

れることから、まさに色々な人達の暮らし

 

に密着するかたちで、親しまれてきた訳で

 

あり、その結果として、「京の台所」とま

 

で言われるようになったと言う経緯がある

 

訳になります。

 

1200年の長きに渡り「日本の都」であり、

 

「日本の文化、発祥の地」であった「京都」

 

の、「いたずらに変えない」と言う、優れ

 

た「精神性」や「文化性」の典型的な「る

 

つぼ」的存在が、まさに「錦ブランド」で

 

あると言える訳であり、現在にまで繋がる

 

「にぎわい」の大きな理由となっていると

 

言う事になる訳なのです。

 

今や、世界一の「観光地」となった「京都」

 

では、「錦市場」のあり方そのものを始め、

 

こうして、その賑わいの様子が、SNS映

 

えする事からも、「観光客」にとっては、

 

「舌」だけでは無く、「目」でも楽しむ事

 

が出来るスポットの一つとして、その人気

 

を博している訳になります。

 

 

 

 

 ↓↓↓↓↓↓↓答え↓↓↓↓↓↓↓

 

3.錦小路通

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食育&6次産業化推進センターは、食の国家的安全保障をめざし、日本人の命と健康を守るため、真の食の安心・安全とは何かというテーマを、食育活動や6次産業化推進活動をベースに追求する国家戦略プロフェッショナルの仕事をしています。