【食育クイズ:Vol.996】
本日も、「関西地方(三重県、滋賀県、和歌
山県、奈良県、兵庫県、京都府、大阪府)」
の主として「食文化」や「歴史」をテーマ
とした地域社会の在り方や、昔から先人た
ちが培ってきた、文化や伝統、歴史等の素
晴らしさを、クイズを楽しみながら知見を
高め、共有して参りましょう!
さて、本日は、「京都府」の「茶道文化」に
ついて、おさらいクイズ(Vol.202)にチ
ャレンジ致しましょう!
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/08/300-225郷土文化歴史.jpg)
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日本で、「茶」を飲む習慣は「奈良時代」か
ら「平安時代」頃までに始まったと言われ
ていますが、伝わった当初の「茶」は、「薬」
として捉えられていたそうで、「貴族」や
「僧侶」等の間で儀礼的に用いられるだけ
で、習慣性は無く、一般的に根付く事は無
かったと言われています。
その後、「鎌倉時代」になると、「栄西」が
「禅宗」と共に「中国」から再び「茶」を
持ち帰り、「茶の種」を「京都、宇治」の
「明恵上人」にも送った事から、「茶」の栽
培が普及するきっかけとなったそうで、そ
れが現在の「宇治茶」の起源となったと言
われています。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/08/300-栄西.png)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/08/流れ橋とお茶畑1.jpg)
こうして「茶」の栽培が普及すると、「茶」
を飲む習慣が次第に普及していく事となり、
更に「栄西」は、1214年、「茶」と共に
「喫茶養生記」を記して「源実朝」に献上
した事もあって、これが「武士階級」に
「茶」を広めるきっかけとなったと言われ
ています。
その後「室町時代」になると、「武士」や
「大名」の間で、飲んだ「茶」の産地を当
てると言う「闘茶」や、盛大な「茶会」が
催される等、「武家社会の台頭」と共に、
「お茶文化」が広く流行するようになった
と言う経緯があります。
こうして流行した「お茶会文化」は、その
後「勃発」した「応仁、文明の乱」によっ
て、「茶会」どころでは無くなってしまう
15世紀後半まで続いたそうですが、この
「応仁の乱」によって社会情勢が変容した
結果、その後「足利義政」の「茶の師匠」
であった「村田珠光」が、「茶会」での「博
打事(闘茶)」や「飲酒」を禁止し、「亭主
と客との精神的交流」を重視する「茶会」
のあり方を説いた事により、これが「わび
茶」の源流となっていったと言う経緯があ
る訳になります。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/08/村田珠光-2.jpg)
こうして「足利義政」は、1472年、「京都、
東山」に隠居し、「東求堂」を建て、その中
に「同仁斎」と呼ばれる日本最古の「書院、
茶の湯形式の茶室」を設けたそうで、「四畳
半」の簡素な小部屋で「禁欲的な茶礼」を
行うと言う、「書院茶の湯」としての展開が
主流になっていくきっかけとなったと言わ
れています。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/08/とうきゅうどう同仁斎.jpg)
この「村田珠光」が提唱した「わび茶文化」
の基本精神は、それまでの武士の間で流行
していた、高価な中国製の道具である「唐
物(特に愛称の付けられた道具を『名物』
と呼んだ)」を競って用いる風潮を禁じ、そ
れに代わり、敢えて「くすんだ色」の青磁
の道具である、「粗製(侘びた)の陶磁器
(珠光青磁)」と呼ばれる道具を使用するも
のへと変容させ、且つ「信楽焼」や「備前
焼」等の高価な道具についても、「茶の道の
精神」に至らぬ人達が使用する事が「言語
道断」とされたと言う経緯があり、こうし
て、いわゆる「詫びの精神」を重視する
「お茶文化」へと変容していったと言う事
になる訳なのです。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/08/唐もの名物茶器1.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/08/珠光茶碗1.jpg)
この「わび茶」の精神は、「禅宗」の普及と
共に、「村田珠光」の弟子である「武野紹鴎」
等によって発展し、「安土桃山時代」になっ
て、「武野紹鴎」の弟子であった「千利休」
が完成させたと言う経緯になる訳なのです。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/08/千利休.jpg)
「千利休」の「わび茶」の「精神文化」と
は、高価な「中国、唐の道具」では無く、
「国産」の道具を用い、更には自身によっ
て道具を考案し、職人等に作らせる事から
始まったと言われています。
例えば、「利休」が作らせた「楽茶碗」は、
高価な「唐物」として知られる「天目茶碗」
とは異なり、粗末な道具だったそうです。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/08/利休茶碗1.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/08/利休茶碗え33.jpg)
また、「呂宋壺」や「高麗茶碗」等々…の
「輸入品」についても、産地では雑器扱い
の大量生産品を用いたそうです。
その他にも、「利休」は、自身で「竹」を切
って作った簡易な道具を好んで使用したと
言われ、また、道具だけでは無く、「茶」を
飲む空間にも革新を加え、「数寄屋」と呼ば
れる、ただ単に「書院造」の部屋の一部に
畳を敷いて「茶席」とするのでは無く、「茶
室」を「書院造の建物」から独立させ、「小
間の茶室」である「草庵」を生み出した事
も、特筆されるべき変容であり、この「利
休」が生み出した「侘びの茶湯座敷」は、
後に「囲い」とも呼ばれるようになったと
言う経緯があるそうです。
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さて、本日は、この「わび茶文化」を完成
させたと言われている「千利休」の「茶室」
について、おさらいクイズにチャレンジ致
しましょう!
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「茶室(ちゃしつ)」文化は、「日本の茶道」
において、「茶事」の「主催者(主人、亭
主)」が客を招き、茶を出してもてなすため
に造られた施設の事を言います。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/08/待庵かけこみ天井1-300x300.jpeg)
「茶席」、「囲い」、「数寄屋」等とも呼ばれ、
大別すると「草庵風」のものと「書院風」
のものとの別れ、独立した建物として造ら
れるのが「草庵風」であり、「書院」等の建
物内に造り込まれるのが「書院風」である
と言う訳になります。
「茶室」文化は、「室町時代末期」から「安
土・桃山時代」にかけて発展し、「千利休」
によって完成されたと言われている「建築
様式」であり、「日本」の建築の中でも特殊
な位置を占めていると言われています。
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問題:「京都、大山崎」にある仏教寺院であ
る「妙喜庵」には、「千利休」の作として唯
一現存すると言われている、「国宝の茶室」
がある事で知られています。
さて、それでは、その「茶室」の名は何と
呼ばれているでしょうか?
次のうちから選んで下さい。
1.待庵(たいあん)
2.蜜庵席(みったんせき)
3.如庵(じょあん)
4.燕庵(えんあん)
↓↓↓↓↓答えはここから↓↓↓↓↓
【解説】
現在、日本国内には、「国宝」の「茶室」が
三棟あります。
「京都、大山崎、待庵」、「愛知、犬山、如
庵」、「京都、大徳寺、密庵」の3つであり、
そのうち「千利休」の作として伝えられて
いる確かなものは「待庵(たいあん)」のみ
となっているそうです。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/08/待庵4-1.jpg)
「待庵」は、日本最古の「茶室建造物」と
され、帯刀していては入れない狭い出入り
口である「にじり口」が設けられた「小間
(せまい部屋)」の「茶室」であり、日本の
「数寄屋造り(小規模な部屋)」の原型とな
っている「草庵」の事を言います。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/08/にじりぐち1-1.jpg)
「待庵」は、「利休」独特の構想で建てられ
たもので、日本最古の遺構であると共に、
その屋根は「切妻造りこけら葺き」の簡素
なものである事が特徴で、重要文化財に指
定されている「妙喜庵の書院」の南側に接
して建てられているものだそうです。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/08/待庵2-1.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/08/待庵かけこみ天井1-1-300x300.jpeg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/08/待庵3-1.jpg)
この「茶室」は、二畳しかない狭い部屋を
広く見せるよう、「掛け込み天井」と「棹縁
天井」の組み合わせが特徴であり、「床の間」
の隅や「天井」を塗りまわしている「室床」
の構造も、広く見せるような構造となって
いると言われているそうです。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/08/300-赤字待庵かけこみ天井1-300x300.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/08/待庵3.jpg)
また、「武士」も「町民」も同等の人間と言
う「利休」の考え方により、「帯刀」で「茶
室」に入れないように、敢えて狭い「出入
り口」にしたと言われる、「にじり口」と呼
ばれる構造も、「待庵」が最初だったそうで、
当初は、「にじり口」の手前上方には「刀掛
け」設けられていたと言われていますが、
今は現存していないそうです。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/08/にじりぐち1.jpg)
この「にじり口」の構造は、一節によると
「待庵」の「下地」の部分に、「淀川」の
「葦(ヨシ)」が使われている事もあって、
「淀川」の「屋形船」の入り口がヒントに
なったと言う説もあると言われているそう
です。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/08/待庵下地1.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/08/淀川の葦.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/08/淀川屋形船乗船口1.jpg)
「待庵」の内部の最大の特徴は、「二畳敷き」
と言う「狭さ」であり、それまでの「茶室」
のサイズであった「四畳半」の概念を打破
しているところにあります。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/08/待庵かけこみ天井1-1-300x300.jpeg)
更に、「土壁」が、「ひび割れ防止」の目的
で入れる「藁(わら)すさ」を表面に出し
た塗り方となっている事や、「柱」が「北山
杉の丸太」である事、「大山崎」の地は「竹」
が多い事から、二畳しかない狭い部屋の圧
迫感を和らげるため、「掛け込み天井」仕様
にして、そこに「山崎の竹」を多く使用し
ている事等々…、至る所に「簡素な材」を
使った、「侘びの精神性」溢れる造りの「茶
室」であると言う事が伺い知れる訳なので
す。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/08/300-赤字待庵かけこみ天井1-300x300.jpg)
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「蜜庵(みったん)」は、「京都、大徳寺」
の「塔頭(たっちゅう)」の一つである「竜
光院」の書院に接続された「四畳半台目
(だいめ)」の「茶室」で、これも「待庵」
と同様に「国宝」指定となっています。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/08/京都 大徳寺 龍光院.jpg)
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「如庵(じょあん)」は、1618年に、「織
田信長」の弟である「織田有楽斎」によっ
て、「京都、建仁寺」の「塔頭」である「正
伝院」の再興に伴って建造された「茶室」
で、これも「国宝」指定されています。
当初、「京都」の地にあった「如庵」は、そ
の後「東京」、「神奈川」に移築された後、
現在の「愛知県、犬山市」に移築されてい
ます。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/08/愛知犬山、如庵1-1.jpg)
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「燕庵(えんあん)」は、「藪内(やぶのう
ち)家」を代表する「茶室」の事を言いま
す。
「大坂の陣」に出征する「古田織部(おり
べ)」が、義弟にあたる「藪内家」の初代で
ある「剣仲(けんちゅう)」に与えた「茶室」
であったと伝えられていますが、「2代目」
の「真翁(しんおう)」の時、「西本願寺」
の「茶道師家」に迎えられた事により、「西
本願寺」の「門前」に、屋敷と共に、この
「茶室」も移されたそうで、その後「薮内
家」の代表的な「茶室」として尊重されて
きたと言う経緯があるそうです。
その後、1864年(元治1)の「兵火」に
よって、「藪内家」は類焼し、「燕庵」も失
われてしまったそうですが、その後「現、
神戸市」の「武田儀右衛門」によって、
1867年(慶応3)に再興され、現在まで
残されている「燕庵」となっているそうで
す。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2022/08/燕庵1.jpg)
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1.待庵
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大阪市立大学の研究グループが、大豆
などに含まれるイソフラボンが肺気腫
や慢性気管支炎などの「COPD(慢性
閉塞性肺疾患)」の予防効果を有するこ
とを明らかにしました。
食Pro.お薦めの「大豆ミート」は、
少量摂取でも人にとって必須な「タン
パク質」「食物繊維」「核酸」などの栄
養素が摂取できるように、大豆の油脂
分を除いてから作っています。
必要な栄養素が原料大豆の約1.2倍
以上となり、濃縮された分だけ、多く
含まれています。
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★大豆プロテイン100g中に植物性
たんぱく質が50g!(半分がたんぱ
く質です)
★低脂質(2.7g)です!
★高食物繊維(20g、腸内発酵を促進
し、腸内健康の源となります。)
これを毎日食すると腸内発酵が促進さ
れ、お通じが良くなり、腐敗から発酵
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と、情報更新のお知らせが届くように
なりますのでなお嬉しいです。
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