【食育クイズ:Vol.1200】
本日も、「関西地方(三重県、滋賀県、
和歌山県、奈良県、兵庫県、京都府、
大阪府)」の「食文化」や「郷土文化」
をテーマとした地域社会の在り方や、
昔から先人たちが培ってきた、「文化」、
「伝統」、「歴史」等の素晴らしさを、
クイズを楽しみながら知見を高め、あ
らためて「日本」や「日本人」が培っ
てきた「良きところ」を共有化し、次
代に継承して参りましょう!
さて、本日は、「京都府」の「醍醐の
花見」にまつわる「庭園」について、
おさらいクイズ(Vol.404)にチャ
レンジ致しましょう!
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/300-225醍醐の花見11.jpg)
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「京都、伏見区、醍醐」にある「醍醐
寺」は、「平安時代初期」の「874年」
に創建された、「京都」の南東に広が
る「醍醐山(笠間山)」の山麓に200
万坪もの広大な境内を持った「寺院」
で、「国宝」や「重要文化財」を始め
とする約15万点もの「寺宝」を所蔵
し、1994年には日本で5件目の「世
界遺産」に登録されている、「空海」
が日本にもたらした「真言宗」の「寺
院」としてその名を馳せています。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/420-醍醐寺33.jpg)
「醍醐寺」にある「国宝」は、「建造
物、絵画、彫刻、書籍類」等合わせて
41点あり、「重要文化財」は約4万点
も所蔵されていて、「醍醐寺」は「文
化財の宝庫」とも言われています。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/300-225醍醐寺金堂国宝.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/300-200醍醐寺五重の塔国宝.jpg)
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![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/300-200醍醐寺国宝薬師堂.jpg)
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さて、本日は、「応仁の乱」から「戦
国時代」の長きに渡り、戦禍に巻き込
まれ、焼失し、荒廃してしまった「醍
醐寺」が、「安土桃山時代」になって
「天下人、豊臣秀吉」の手によって復
興し、「秀吉」晩年の頃には、有名な
「醍醐の花見」が行われるようになっ
たと言う経緯にまつわる、「花見」の
メイン会場となった「庭園の逸話」に
ついて、おさらいクイズにチャレンジ
致しましょう!
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/420-200醍醐寺の花見秀吉1-tile.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/300-225醍醐の花見11.jpg)
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問題:「京都、伏見区、醍醐」にある
「醍醐寺」で執り行われた「醍醐の花
見」に際して、主催した「豊臣秀吉」
自らがそのメイン会場となる「庭園」
の「作庭」に関わったとされているそ
うです。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/300-200豊臣秀吉2-1.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/300-200醍醐寺2-1.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/300-秀吉醍醐寺の花見2.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/300-200醍醐寺の花見秀吉1.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/300-225醍醐寺の花見ひでよし.jpg)
さて、それでは、この「庭園」は、
「京都、醍醐寺」のどの「塔頭」に造
られたのでしょうか?
次のうちから選んで下さい。
1.光台院(こうだいいん)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/300-200光台院.jpg)
2.報恩院(ほうおんいん)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/300-200報恩院.jpg)
3.成身院(じょうしんいん)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/300-200成身院.jpg)
4.三宝院(さんぽういん)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/300-200三宝院.jpg)
↓↓↓↓↓答えはここから↓↓↓↓↓
【解説】
「京都、伏見区」にある「醍醐寺」は、
「応仁の乱」から「戦国時代」へと続
いた長い間の「戦禍」により焼失し、
荒廃してしまっていましたが、「安土
桃山時代」になり、「天下人」となっ
た「豊臣秀吉」の時代になると、「秀
吉」との親交が厚く、「天皇、上皇、
武家」からも「尊崇」を受けていた僧
侶「義演(ぎえん)」が、「秀吉」から
の手厚い庇護を受けて、「1576年
(天正4年)」に、「義演」自身が「醍
醐寺の大僧都」となり、その復興に着
手したと言う経緯となったそうです。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/300-200豊臣秀吉2-1.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/300-義演.jpg)
その当時「義演」は、「醍醐寺」の
「塔頭」の一つであった「金剛輪院」
の「院主」として、そこを「住居」と
していたそうで、「天下人、秀吉」は、
この「金剛輪院」に「庭園」を作庭す
る事を取り決めると言う経緯となり、
「花見」に相応しい「庭園」の作庭を
希望する「秀吉」は、自らが基本設計
をして、積極的に庇護したそうです。
この「金剛輪院」の復興に伴い、「秀
吉」は、「義演」自らが「三宝院32
世」を名乗る事を許すと言う経緯とな
り、「金剛輪院」は「三宝院」に改称
されるに至ったと言う経緯となったそ
うです。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/300-200三宝院.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/300-225醍醐寺三宝院唐門書院.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/300-200ロゴ 三宝院庭園1.jpg)
こうして、「応仁の乱」で焼失してし
まい、「廃寺」状態となってしまって
いた、「醍醐寺」の創建時からの「本
坊」的な存在であった「三宝院」が、
「秀吉」と「義演」との尽力により、
見事に復活を果たしたと言う経緯とな
った訳なのです。
「秀吉」の手厚い庇護により「三宝院」
の復活を果たした「義演」は、次第に
「秀吉」の最期が近い事を感じ取るよ
うになっていったそうで、「義演」は、
「豊臣秀吉」と言う一代で築き上げた
「天下人」と言う「稀代の英雄」の最
後に相応しい大舞台をしつらえる為、
「東奔西走」の手配をして、「醍醐寺」
における盛大な「花見」の準備を施し、
「秀吉」が「作庭」の基本設計をした
翌年の「1598年(慶長3年)」に、
復活した「三宝院」をメイン会場とし
た「醍醐の花見」が実現されるに至っ
たと言う経緯になった訳なのであり、
この「花見」が無事終了した5ヶ月後
に、「秀吉」は他界したと言う経緯に
なった訳なのです。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/300-200醍醐寺の花見秀吉1.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/300-225醍醐寺の花見ひでよし.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/300-秀吉醍醐寺の花見2.jpg)
「義演」は、「秀吉」の死後において
も、その後天下を収めた「徳川家康」
からも、引き続き「醍醐寺」の「大僧
都」としての信任を受けると言う経緯
となり、「徳川幕府」からの支援を受
けて「醍醐寺」の復興は継続していっ
たそうです。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/徳川家康1-1.jpg)
従って「三宝院庭園」の整備事業も、
「秀吉」が基本設計をした翌年に亡く
なってしまった事から未完成であった
訳なのですが、「義演」はその完成に
向けて継続し続ける事が出来たそうで、
「秀吉」の設計を元に構想を発展させ、
当時の一流の庭師を集める等して、
「作庭」事業を継続し続けたと言う経
緯があり、その完成は「義演」が亡く
なる年の、「江戸時代、1624年(元
和10年)」まで要したそうで、実に
「作庭」の着手から「完成」まで、
27年間をかけたと言う壮大な事業だ
ったと言う事になる訳なのです。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/300-225三宝院庭園9898.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/300-200ロゴ 三宝院庭園1.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/300-200醍醐寺三宝院国宝中庭.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/300-200三宝院庭園8786.jpg)
ちなみに、「三宝院庭園」は、近年の
「1952年(昭和27年)」に、「国の
特別史跡および特別名勝」に指定され
たと言う経緯となっているそうです。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/300-225醍醐寺三宝院唐門書院.jpg)
↓↓↓↓↓↓↓答え↓↓↓↓↓↓↓
4.三宝院
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大阪市立大学の研究グループが、大豆
などに含まれるイソフラボンが肺気腫
や慢性気管支炎などの「COPD(慢性
閉塞性肺疾患)」の予防効果を有するこ
とを明らかにしました。
食Pro.お薦めの「大豆ミート」は、
少量摂取でも人にとって必須な「タン
パク質」「食物繊維」「核酸」などの栄
養素が摂取できるように、大豆の油脂
分を除いてから作っています。
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と健康を守る活動をしています。大豆
ミートをはじめ、食に関するいろいろ
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かったら一度遊びにきてくださると嬉
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