【食育クイズ:Vol.1201】「京都府」の「醍醐寺の行事」おさらいクイズ! 2月23日の五大力尊仁王会の行事で参加者が持ち上げる重い物とは?

 

【食育クイズ:Vol.1201】

 

本日も、「関西地方(三重県、滋賀県、

 

和歌山県、奈良県、兵庫県、京都府、

 

大阪府)」の「食文化」や「郷土文化」

 

をテーマとした地域社会の在り方や、

 

昔から先人たちが培ってきた、「文化」、

 

「伝統」、「歴史」等の素晴らしさを、

 

クイズを楽しみながら知見を高め、あ

 

らためて「日本」や「日本人」が培っ

 

てきた「良きところ」を共有化し、次

 

代に継承して参りましょう!

 

さて、本日は、「京都府」の「醍醐寺」

 

にまつわる「五大力尊仁王会(ごおう

 

りきそんにおうえ)」について、おさ

 

らいクイズ(Vol.405)にチャレン

 

ジ致しましょう!

 

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

「仁王会(にんのうえ)」とは、仏教

 

の経典の一つである「仁王般若波羅蜜

 

経(にんのうはらみったきょう)」を

 

講讃して、日本国を守る「鎮護国家」、

 

「万民豊楽」を祈願する「儀式」の事

 

を言うそうで、古くは「仏教伝来」し

 

た後の「飛鳥時代」に、「朝廷」が執

 

り行った「大法要」から始まったと言

 

われています。

 

「日本書紀」によれば、「第37代、

 

斉明天皇」が「660年」、「唐と新羅」

 

の連合軍によって親交が深かった「百

 

済」が滅ぼされてしまい、日本国が危

 

機的状況に陥った事から、「仁王会」

 

を執り行ない、「日本の鎮護」を祈願

 

したのがその始まりとされています。

 

 

 

 

ちなみに、「第37代、斉明天皇」は

 

「第34代、舒明天皇」の皇后だった

 

人物で、「642年」、「舒明天皇」の死

 

後「第33代、推古天皇」と同様に、

 

「中継ぎ」的に「女帝」として、「第

 

35代、皇極天皇」として即位したと

 

言う経緯がある人物だったそうです。

 

 

 

その当時の日本の政情は「豪族」が統

 

治している状況だったそうで、「蘇我

 

蝦夷(えみし)」が大臣として権勢を

 

思うがままにしていた時代であり、そ

 

の息子である「蘇我入鹿(いるか)」

 

が「国政」を牛耳っていたそうです。

 

 

また、「朝鮮半島」では、日本と親交

 

が深かった「百済」が、「中国・唐」

 

と「新羅」との連合勢力の圧力によっ

 

て「滅亡(660年滅亡)」寸前の状況

 

であった事もあり、国内外共に日本国

 

を支えてきた「王朝政権」が極めて不

 

安定な状況にあったと言う時代だった

 

と言われています。

 

 

このような時代背景の中、「皇極天皇」

 

が即位した3年後の「645年」、当時

 

権勢を誇っていた「蘇我蝦夷(えみ

 

し)、蘇我入鹿(いるか)」を、「皇極

 

天皇」の眼の前で、息子である「中大

 

兄皇子(なかのおおえのおうじ:後の

 

天智天皇)」と、近臣の「中臣鎌足

 

(後の藤原氏の始祖)」が誅伐(ちゅ

 

うばつ)すると言う、いわゆる「乙巳

 

の変(いっしのへん)」があり、蘇我

 

氏を滅ぼした後、一連の国政改革とし

 

て「大化の改新」が執り行われ、それ

 

までの「豪族」中心の政治から、「朝

 

廷」を中心とする「中央集権」的な

 

「律令政治」体制に邁進すると言う

 

「大政変」となった訳であり、日本史

 

的に言うと、この「政変(クーデタ

 

ー)」によって、「日本」と言う「国号」

 

や、「天皇」と言う称号が、現在にま

 

で及ぶレベルの正式なものになったと

 

言われている瞬間だった訳なのです。

 

 

 

 

このクーデターを実行した「中大兄皇

 

子」と「中臣鎌足」は、それまで「中

 

継ぎ的役割」を果たしていた「皇極天

 

皇」に退位して頂き、「皇極天皇」の

 

「弟」を「第36代、孝徳天皇」とし

 

て即位して頂くと言う経緯になり、事

 

実上「大化の改新」を進め、その中心

 

的役割を果たすと言う経緯となり、こ

 

の時から「日本国」の新たな時代の始

 

まりとして、「日本」で初めての「元

 

号」とされる「大化」が定められたと

 

言う経緯になるそうです。

 

 

その後「孝徳天皇」は改革を進めまし

 

たが、病に倒れ、654年に死去して

 

しまい、国政の実権は息子である「中

 

大兄皇子」が執っていた訳なのですが、

 

未だ時期尚早と判断され、母親である

 

「皇祖母尊(すめみおやのみこと:皇

 

極天皇退位後の称号)」が、史上初の

 

重祚と言われる、再度の即位をして、

 

655年に、「第37代、斉明天皇」と

 

なったと言う経緯となり、これは62

 

歳での即位だったそうです。

 

 

 

即位後、朝鮮半島では、「660年」、

 

ついに「百済」が「唐・新羅」の連合

 

軍によって滅ぼされてしまった為、

 

「斉明天皇」は直ちに「朝廷」に滞在

 

していた「百済」の王子である「扶余

 

豊璋(ふよほうしょう)」を「半島」

 

に送り返し、「百済」の復興を図った

 

そうです。

 

 

それと共に、「百済」救援を指揮する

 

為、「斉明天皇」自らが「中大兄皇子」

 

と共に「筑紫」の地に赴任し、「朝倉

 

宮」を作り、そこに滞在すると言う経

 

緯となりましたが、「661年、8月」、

 

無念な事に「斉明天皇」はこの赴任先

 

で崩御なさったしまったそうです。

 

 

その後「663年」に、日本は「斉明

 

天皇」の意思を引き継ぎ、「白村江の

 

戦い」を起こし、「百済」の復興を期

 

しましたが、敗戦してしまい、その敗

 

戦処理に奔放する事態となったと言う

 

のが、歴史的な経緯となります。

 

 

「中大兄皇子」は、「斉明天皇」の崩

 

御の後でも、以上のように国内外の情

 

勢が非常に不安定だった事もあって、

 

すぐに「即位」出来ず、その後7年間

 

に渡り、「皇太子」のまま「称制(即

 

位せず政務を執る事)」を行ったそう

 

で、「668年」になって、「白村江の

 

戦い」の「敗戦処理」が終了した事に

 

よって、ようやく42歳で、「第38代、

 

天智天皇」に即位すると言う経緯とな

 

ったそうです。

 

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

このような「日本史上」においても、

 

極めて「国家的危機」に遭遇した激動

 

期であった「飛鳥時代」の日本で、

 

「重祚」までして2回に渡り「女帝」

 

として「天皇」を努めた「第35代、

 

皇極天皇→第37代、斉明天皇」は、

 

「第38代、天智天皇、第40代、天

 

武天皇(第39代、弘文天皇は天智天

 

皇の第一皇子)」の母親だった人物で

 

あると共に、「百済」を救済する為、

 

「天皇」自らが「筑紫」の地まで赴任

 

する等、極めて「国を思う愛国の精神」

 

と、「気丈な精神」を持ちわせていた

 

人物であり、「内憂外患」の「脅威」

 

に染まっていた当時の「日本国」の

 

「鎮護」を願い、尽力した人物だった

 

と言う訳になるのです。

 

 

 

 

 

 

さて、本日は、脅威を回避し、国家の

 

鎮護を期す為、「斉明天皇」が日本で

 

最初に執り行ったと言われている、

 

「日本国の鎮護」を祈る「仁王会」の

 

儀式について、おさらいクイズにチャ

 

レンジ致しましょう!

 

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

本日「2月23日」は、現在の日本の

 

「天皇陛下」の「誕生日」であると共

 

に、遥か昔の「飛鳥時代」の「660

 

年」、当時日本と親交が深かった「朝

 

鮮半島」の「百済」が、「中国・唐と

 

新羅」との連合軍によって滅ぼされ、

 

日本国に対して重大な侵略の危機が本

 

格化したと言う事態になった事から、

 

「第37代、斉明天皇」が、日本で初

 

めて「日本国の鎮護」を祈る「仁王会」

 

と呼ばれる「儀式」を執り行ったとさ

 

れている日でもあります。

 

 

現在の「日本国」は、「日本」を「敵

 

国扱い」としている「中国」を筆頭に、

 

「北朝鮮」、「ロシア」等の「隣国3国」

 

は、おびただしい数の「核弾頭ミサイ

 

ル」が「日本中の都市」に向けられて

 

いる訳であり、遥か昔の「斉明天皇」

 

の御世以上の最大レベルの危機的状況

 

にあります。

 

更に、「北方領土」や「竹島」等の

 

「日本の領土」が、既に「暴力(武

 

力)」によって奪われたままであり、

 

「尖閣諸島」や「対馬」等を始め、

 

「北海道」、「沖縄」等の「日本国領土」

 

も、事実上は「日本」を「敵国」扱い

 

している国に実質上奪われつつある状

 

況であり、現在の「日本」は、「日本

 

の歴史」上において、かつて無いレベ

 

ルの未曾有の危機的状況なのであると

 

言う事を、「お花畑状態」と言われて

 

いる多くの日本人の中でも、さすがに

 

気づき始めた人が少なく無くなってき

 

ています。

 

そんな、今だからこそ、本日の「2月

 

23日」と言う記念すべき日を「大き

 

な区切りの日」として、私達日本人の

 

一人ひとりが、「日本国の鎮護」、「日

 

本国の安全保障」について、真剣に考

 

えなくてはならない時が来ているので

 

は無いでしょうか?

 

遥か昔の「飛鳥時代」において、当時

 

の「日本国存続の危機」を回避する為、

 

「斉明天皇」は、日本で最初の「仁王

 

会」を執り行いましたが、その後「平

 

安時代」になって、「第56代、清和

 

天皇(858年~876年)」の時に、

 

「天皇」即位後の「一代に一度仁王会」

 

を執り行うと言う制度が確立したそう

 

で、その後「鎌倉時代末」まで「朝廷

 

の大極殿」で「仁王会」が修せられた

 

と言う経緯がある訳になります。

 

 

「日本記略」を紐解くと、「平安時代」

 

の「808年(大同3年)」に、「疾病

 

流行」の為に執り行われた「7日間の

 

法要」が修せられたと言う記録があり、

 

この時が「民衆」の為に修せられた

 

「初めての仁王会」と言われているそ

 

うです。

 

さて、本日は、現在の「日本」におい

 

てこそ、「日本国」を継続する意味で、

 

非常に大切な「行事」であると思われ

 

る、この「仁王会」について、おさら

 

いクイズにチャレンジ致しましょう!

 

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

問題:「京都、醍醐寺」で毎年「2月

 

23日」に執り行われている「行事」

 

に、「五大明王」の法力に祈祷して、

 

「国家の鎮護」を始め、「国民の無病

 

息災」を願う「五大力尊仁王会(ごだ

 

いりきそんにんのうえ)」と言う「行

 

事」があります。

 

 

 

 

この「儀式」の「法要」終了後に行わ

 

れている「行事」に、参加者が「とあ

 

る物」を持ち上げて、その時間を競う

 

と言う内容の「行事」がありますが、

 

さて、それでは、その持ち上げる「重

 

い物」とは何でしょうか?

 

次のうちから選んで下さい。

 

1.鏡餅

 

2.庭石

 

3.米俵

 

4.丸太

 

↓↓↓↓↓答えはここから↓↓↓↓↓ 

 

【解説】

 

「京都、醍醐寺」が毎年「2月23日」

 

に執り行う「伝統行事」である、「五

 

大力尊仁王会」は、「平安時代」の

 

「貞観16年(874年)」の創始以来、

 

1100年以上も続けられている「古式

 

ゆかしきな行事」として知られている

 

そうです。

 

 

 

「五大明王」とは、「不動(ふどう)

 

明王」、「降三世(ごうざんぜ)明王」、

 

「軍荼利(ぐんだり)明王」、「大威徳

 

(だいいとく)明王」、「金剛夜叉(こ

 

んごうやしゃ)明王」の5名であり、

 

「大日如来の化身」とされる「不動明

 

王」を中心にして、その東西南北を4

 

名の明王が囲むと言う配置にしたもの

 

で、「空海」が日本にもたらした「真

 

言密教」ならでは「仏」の事を言い、

 

その「法力」によって「国の平和」や

 

「国民の幸福」をもたらすと言われて

 

いるそうです。

 

 

 

「2月23日」の「仁王会」当日は、

 

「醍醐寺、金堂」において、法要が執

 

り行われ、「仁王般若波羅蜜経」を講

 

讃して、「鎮護国家」、「万民豊楽」が

 

祈願されるそうですが、その前準備と

 

して、2月15日から21日までの7

 

日間をかけて、「1日3座、合計21

 

座」の前法要が、50名の僧によって

 

執り行われているそうで、21日にな

 

ると、その重さが100Kgもある「紅

 

白の大鏡餅」が10組、「金堂」に奉

 

納されると言う経緯があるそうです。

 

 

 

こうして、「本法要」当日の「2月23

 

日、午前中」に執り行われる「法要」

 

が終了し、午後になると、「金堂」前

 

の広場にて、「餅上げ力奉納」と称さ

 

れる「行事」が、戦後から執り行われ

 

るようになったと言う経緯があるそう

 

です。

 

「餅上げ行事」の詳細内容は、「男性」

 

が「直径80㎝、重さ150Kg」の、

 

「女性」が、「重さ90Kg」の「巨大

 

な二段重ね鏡餅」を、一人で持ち上げ

 

て、その持続時間が競われると言う内

 

容になっているそうです。

 

 

 

 

 

また、23日当日の参拝者に限定して、

 

「五大堂で7日間、21座」に渡り

 

「祈祷」された「五大力さん」の「分

 

身御影(おみえ)」と呼ばれている

 

「御霊符」が、授与される事が「習わ

 

し」となっているそうです。

 

 

こうして、「飛鳥時代」から、「天皇」

 

が「日本国」の「国家鎮護」を祈願し

 

てきたと言う、いかにも「日本」なら

 

ではと思われる「習わし」が、現在で

 

も継承され続けている事を、私たち

 

「日本人」の一人ひとりが、あらため

 

て見つめ直し、「日本国」の「独立」

 

と、「日本人」の「主権」を、「他国」

 

からの「侵略」から守ると言う、「観

 

念と精神性」を取り戻す時がきている

 

のでは無いでしょうか?

 

 

 

↓↓↓↓↓↓↓答え↓↓↓↓↓↓↓

 

1.鏡餅

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

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