【食育クイズ:Vol.1253】「京都府」の「江戸時代の和歌」おさらいクイズ! 「江戸時代」の平安和歌四天王で「ただごと歌」を提唱した歌人とは?

 

【食育クイズ:Vol.1253】

 

本日も、「関西地方(三重県、滋賀県、

 

和歌山県、奈良県、兵庫県、京都府、

 

大阪府)」の「食文化」や「郷土文化」

 

をテーマとした地域社会の在り方や、

 

昔から先人たちが培ってきた、「文化」、

 

「伝統」、「歴史」等の素晴らしさを、

 

クイズを楽しみながら知見を高め、あ

 

らためて「日本」や「日本人」が培っ

 

てきた「良きところ」を共有化し、次

 

代に継承して参りましょう!

 

さて、本日は、「京都府」の「江戸時

 

代の和歌」にまつわる「平安和歌の四

 

天王」について、おさらいクイズ

 

(Vol.457)にチャレンジ致しまし

 

ょう!

 

 

∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

 

「和歌」と言うと、「万葉集」が誕生

 

した「奈良時代」から始まり、「貴族

 

文化」が花開いた華やかかりし「平安

 

時代」を経て、「南北朝時代」頃まで

 

のものが、語られる事が多いと言う印

 

象がありますが、「和歌の歴史」を俯

 

瞰すると、「天下泰平」が続いた「江

 

戸時代」こそ、独特の特色を生み出し

 

た時代であったと言われている事が分

 

かり、「俳諧」や「小説」等が花開い

 

たと同様に、「和歌」の分野も新たな

 

花を咲かせた時代として知られている

 

訳になります。

 

「江戸時代」になると、「和歌」は

 

「南北朝時代」から停滞し続けていた

 

「公卿」や「僧侶」等を中心とした

 

「文化」と言う概念から完全に脱却し、

 

「民衆」にまで広がった時代となった

 

訳であり、かつて、一般的に「民衆の

 

歌」も加わっていたとされている「奈

 

良時代」の「万葉の歌」の例があった

 

ものの、その時代の「和歌文化」の普

 

及していた範囲が非常に狭かったと言

 

う事もあり、「天下泰平」となった

 

「江戸時代」の広がり方の比では無か

 

ったと言う事が伺い知れる訳なのです。

 

さて、本日は、それまで一部の「公卿

 

や僧侶」の間で留まっていた「和歌作

 

り文化」が、幅広く民衆の間に迄広ま

 

ったとされる「江戸時代」に活躍した、

 

「京都、平安の和歌四天王」について、

 

おさらいクイズにチャレンジ致しまし

 

ょう!

 

 

∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

 

「奈良時代」には、「万葉集」に代表

 

されるように、一般的に民衆も加わっ

 

ていたとされる「和歌作りの文化」は、

 

「平安時代」以降になると、「公家や

 

僧侶」等を中心とした一部の特権階級

 

の中だけの「教養の文化」としての

 

「位置づけ」が顕著化されていき、

 

「和歌作り」は、様々なルールや形式

 

等に縛られ、知識人だけのものとなっ

 

ていったと言う経緯があります。

 

そのような形で「固定化」されていっ

 

た「和歌作りの文化」は、「南北朝時

 

代」になると、優れた「歌人」を4名

 

選び、「和歌四天王」として「顕彰」

 

すると言う経緯となり、「頓阿」、「慶

 

運」、「浄弁」、「吉田兼好」の4名が

 

「四天王」とされたそうです。

 

しかしながら、それ以降、「公家」の

 

手の内だけのものとなってしまった

 

「和歌作りの文化」は、「武士」の台

 

頭と「公家」の衰退と言う「社会的大

 

変容」に伴い、「天下泰平」の「江戸

 

時代」になるまでの間、極く一部の人

 

達だけの「停滞」した「文化」となっ

 

てしまい、一時的には「滅びる」寸前

 

にまで追い込まれてしまうと言う経緯

 

となってしまったそうです。

 

ところが、「江戸時代の武士」と言う

 

「新階級」の人々が社会の中心となっ

 

て安定した事で、「彼等」は、衰退す

 

る一方で自信を失ってしまった「公家

 

達」と異なり、自己を信じ、自己の力

 

をあてにする心に満ちていた「人達」

 

であった事から、「儒学」等を中心に、

 

「学問」に対する「好学の精神」に富

 

み、自然なかたちで「文芸」に対する

 

興味が膨らんでいったと言う経緯とな

 

り、まず最初に「漢学」を成し遂げ、

 

次に「俳諧」、「小説」も成し遂げてい

 

くと言う経緯となり、遂にはこのよう

 

な「文芸」に比して、「平安時代」か

 

ら培われてきた「伝統」や、「深い形

 

式」、「貫禄」等に溢れていて、迂闊に

 

は手を着け難いものに見えていた「和

 

歌作り文化」に対しても、自分達のも

 

のにしようと、手を伸ばすと言う経緯

 

となった訳なのです。

 

さて、本日は、この「江戸時代」の

 

「武士達」の「社会的台頭」によって、

 

それまで「公家、僧侶」達だけのもの

 

であった「和歌作り文化」が広まった

 

事について、おさらいクイズにチャレ

 

ンジ致しましょう!

 

 

∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

 

問題:「江戸時代」に登場し、「和歌作

 

り文化」を広めた事で知られる「和歌

 

四天王」の4名は、「京都」に住んで

 

いた事から、「平安の和歌四天王」と

 

呼ばれたそうです。

 

さて、それでは、この「四天王」の中

 

で、「平易素直」に表現する「ただこ

 

と歌」と言う概念を主張し、それまで

 

の「和歌の定型」とされていたものを

 

覆した事で知られ、「六帖詠草」と言

 

う「歌集」や、「布留の中道(ふるの

 

なかみち)」と言う「歌論」を著した

 

事で知られる人物とは誰でしょうか?

 

 

 

 

次のうちから選んで下さい。

 

1.澄月(ちょうげつ)

 

2.慈延(じえん)

 

3.小沢蘆庵(おざわろあん)

 

4.伴蒿蹊(ばんこうけい)

 

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【解説】

 

「江戸」で引き起こされた「和歌作り

 

文化」の「新風」は、やがて最も保守

 

的な地であった「京都」にも及んだそ

 

うで、さすがに「江戸で新風」が起き

 

た時から30年くらいの時を要したと

 

は言われていますが、「四天王」の一

 

人として知られる「小沢蘆庵(ろあ

 

ん)」によって「革新」されると言う

 

経緯になったそうです。

 

 

「露菴」によって革新される以前の

 

「京都」では、日本のあらゆる「文芸」

 

の中でも、「和歌」だけは特別なもの

 

であるとされていて、「古式ゆかしき

 

伝統」と、「公家の専用物」として譲

 

らないものだった訳であり、「貴族統

 

治」が否定され、「武家統治」となっ

 

た「鎌倉時代」から「室町時代」と言

 

う、いわゆる「京都の文芸」の「暗黒

 

時代」と言われた「時代」においても、

 

「和歌」だけは「公家達のもの」と言

 

う概念として固く守られたと言う経緯

 

があり、むしろ強まっていく傾向にあ

 

ったと言われている訳なのです。

 

「革新者」となった「露庵」は、「歌

 

論」の著作として「布留の中道」を著

 

した事で知られ、その内容は、当時の

 

「京都」にあった「和歌」の「宗匠家」

 

の一つであり、「露菴」自身が「師事」

 

していた「冷泉為村」の「冷泉家(離

 

反後に破門)」を始め、「武者小路家」、

 

「烏丸家」、「姉小路家」、「柴山家」

 

等々…、その全てが「藤原定家」を

 

「宗」として、「学び」や「形式」を

 

一字一句違える事無く「踏襲」する事

 

を守り続けてきた、「天下の歌人達、

 

全員」に「反旗を翻す」と言う内容だ

 

った訳なのです。

 

 

こうして「小沢蘆庵」が提唱した「和

 

歌」とは、「ただごと歌」と言われ、

 

それまでの「京都の和歌一門」がこぞ

 

って守っていた「手法」が、「比喩

 

(ひゆ)」によって遠隔的に表現する

 

と言うものであり、それが「基本中の

 

基本」であった事を、その一方で「露

 

庵」は、「比喩無し」で、「直接的に物

 

事を表現する(ただごと歌)」と言う

 

事を提唱したと言う訳なのです。

 

今でこそ「歌」は、「心」を主とした

 

表現方法である事が「自明の事」と理

 

解されている訳なのですが、当時の

 

「京都」の「和歌一門家」の間では、

 

この自明の事が全く「新しい事」であ

 

った訳だったのであり、この「間違い」

 

は、「新古今和歌集」が編纂された時

 

代に遡り、この「歌集」編纂の頃から、

 

「京都の歌壇」は、「和歌の作り方」

 

について、本来あるべき「心」の表現

 

を捨て去り、「技巧」や「形式」だけ

 

の姿を重んじると言う傾向が「顕著化」

 

する言う経緯になった事が伺い知れる

 

訳なのだそうで、「新古今和歌集」を

 

紐解くと、「和歌」の形式だけが「主」

 

となり、「和歌を詠む心」が「従」と

 

なってしまっているものが多く、「歌

 

心」をまっすぐに表現した「和歌」が

 

見受けられないと言う事で知られてい

 

る訳になるのだそうです。

 

こうして「露庵」の著した「歌論」は、

 

「ただごと歌」の概念を捨てて、「比

 

喩の表現」に走ってしまっていた「京

 

都」の「歌門、宗家」を痛烈に批判し

 

たものだったと言う事になる訳であり、

 

「自己の現実は全て歌になる得る」と

 

言い切った「露庵」の「ただごと論」

 

は、極めて「自信に溢れた、現実主義」

 

に基づくものであった訳であり、その

 

一方で「武家」の勢力に圧倒され続け、

 

どんどん衰退していくと言う「歴史」

 

が続き、「厭世観」に苛まれていった

 

「公家」達の「心底」に潜む、「現実

 

からの逃避観」が、「比喩」の表現と

 

して固定化されていったと言う事が、

 

まさに正反対の「和歌」の有り方とし

 

て、明確に対比されたと言う経緯とな

 

ったと言える訳なのです。

 

この対比は、まさに「歴史の必然」が

 

生み出した「逸話」であり、「露庵」

 

と言う人物が、「公家」から見れば身

 

分が低く、されど「武士」であったと

 

言う事こそが、「江戸時代」になって

 

「社会の中心」が、完全に「公家」か

 

ら「武士」となった「歴史の必然」を

 

表現しているものと推察される訳なの

 

です。

 

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3.小沢蘆庵(おざわろあん)

 

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大阪市立大学の研究グループが、大豆

 

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