【食育クイズ:Vol.1180】
本日も、「関西地方(三重県、滋賀県、
和歌山県、奈良県、兵庫県、京都府、
大阪府)」の「食文化」や「郷土文化」
をテーマとした地域社会の在り方や、
昔から先人たちが培ってきた、「文化」、
「伝統」、「歴史」等の素晴らしさを、
クイズを楽しみながら知見を高め、あ
らためて「日本」や「日本人」が培っ
てきた「良きところ」を共有化し、次
代に継承して参りましょう!
さて、本日は、「京都府」の「東山」
にまつわる「俳諧文化」について、お
さらいクイズ(Vol.384)にチャレ
ンジ致しましょう!
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「松尾芭蕉(まつおばしょう)」は、
「江戸時代前期」に登場した「俳諧師」
で、当時の「俳諧」文化は、「和歌」
の余興であった「言捨ての滑稽」から
始まり、「滑稽や諧謔(かいぎゃく)」
を主としていたものだったのを、「蕉
風」と呼ばれる迄のレベルの、極めて
芸術性の高い「句風」として確立した
人物であり、後世には「俳聖」と呼ば
れるようになり、日本史上最高の「俳
諧師」として数多くの人達から愛され、
世界的にも知られる人物としてその名
を馳せています。
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この「松尾芭蕉」の「俳諧」に賛同し、
弟子となった「俳人」の一派は「蕉門」
と呼ばれ、その中でも特に優れた「高
弟」10人を表す言葉として「蕉門十
哲」と言うようになったそうで、その
メンバーとして挙げられる人物は、
「各務支考(かがみしこう)」、「森川
許六(もりかわきょりく)」、「向井去
来(むかいきょらい)」、「服部嵐雪
(はっとりらんせつ)」、「宝井其角
(たからいきかく)」、「内藤丈草(な
いとうじょうそう)」、「杉山杉風(す
ぎやまさんぷう)」、「立花北枝(たち
ばなほくし)」、「志太野坡(しだや
ば)」、「越智越人(おちえつじん)」等
の10名が挙げられますが、その他に
も、「芭蕉」の「奥の細道行脚」に同
行した「河合曾良(かわいそら)」を
始め、他に「三上 千那(みかみせん
な)」等々…、誰がその10名に当た
るかは諸説あると言われているそうで
す。
さて、本日は、この「松尾芭蕉」の弟
子の中でも特に優れた高弟とされる
「蕉門十哲」の人物と、「京都、東山」
にまつわる「句」について、おさら
いクイズにチャレンジ致しましょう!
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/300-225俳諧、東山1.jpg)
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問題:「京都、東山、三十六峰」の
「山々」は、その景観が、「穏やか」
で「たおやかな」な姿である事で知ら
れています。
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![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/420-東山36.jpg)
さて、それでは、「江戸時前期」にお
いて、「松尾芭蕉」の弟子のうち、「蕉
門(しょうもん)10哲」に数えられ
ている「高弟」の一人で、「京都、東
山」の「穏やか」で「たおやかな山々」
を見て、
~「蒲団着て寝たる姿や東山(ふとん
きてねたるすがたやひがしやま」~
と詠んだ「俳人」とは誰でしょうか?
次のうちから選んで下さい。
1.各務支考(かがみしこう)
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2.森川許六(もりかわきょりく)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/300-430森川許六.jpg)
3.向井去来(むかいきょらい)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/300-420向井去来.jpg)
4.服部嵐雪(はっとりらんせつ)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/300-420服部嵐雪.jpg)
↓↓↓↓↓答えはここから↓↓↓↓↓
【解説】
「松尾芭蕉」の弟子の中で、特に優れ
た「高弟」10人を表す言葉として
「蕉門十哲(しょうもんじってつ)」
と言う言葉がありますが、出題の4名
は全てこの中に含まれています。
正解の「服部嵐雪(はっとりらんせ
つ)」は、「承応3年(1654年)」生
まれの「江戸時代前期」の俳諧師とし
て、その名を馳せている人物です。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/300-420服部嵐雪.jpg)
20歳前後で「松尾芭蕉」に弟子入り
したとされ、その後「芭蕉」からその
才能を高く評価され、「元禄5年
(1692年)」の「桃の節句」に、「草
庵に桃桜あり。門人に其角嵐雪あり」
とも称えられたとの記録があり、「蕉
門十哲」に中に入る「高弟」の一人で
あった事が裏付けされている人物であ
った事が伺い知れる訳なのです。
~「蒲団着て寝たる姿や東山」~
と言う句は、
~「京都の東山連峰の山々は、人が蒲
団をかぶって寝ている姿のように見え
る」~
と言う内容であり、一見何でも無く、
単純な表現に感じる「句」ではあるも
のの、「嵐雪」の句の中ではもっとも
知られている「句」と言われているそ
うです。
ちなみに、~「布団着て寝たる姿」~
とは、「鴨川」に架かる「賀茂大橋」
から眺めて、左側にある「比叡山」を
枕にして、左から右へとなだらかに流
れていく「斜面」の様を描いた姿を、
言葉に模したものだと言われている訳
なのです。
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![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/300-180比叡山と大文字山.jpg)
「京都、東山」と言う場所は、「歴史
的」に数多くの「逸話」が残されてき
た地であり、「織田信長」によって焼
き打ちされた「比叡山、延暦寺」を始
めとして、「東山、鹿ケ谷」は、「平家
打倒の謀議」があった場所であり、
「東山、粟田口」は「京の七口」の一
つであり、しばしば「戦場」になった
場所として知られ、「東山、鳥辺山」
は、「京都の葬送地」として知られ、
また、「東山、清水寺」は、遥か昔か
ら「観音信仰」の場所として、数多く
の参詣者で賑わってきた場所である事
等々…、「京都」の悠久の歴史の中で、
様々な「歴史的背景」や「文化的背景」
に影響があった事で知られている「地
域」であった訳なのです。
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/300-180比叡山焼き打ち1.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/300-200鹿ヶ谷の陰謀1.jpg)
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![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/300-217鳥辺野3333.jpg)
![](http://syokuiku6jika.jp/wp-content/uploads/2023/02/300-200清水寺本堂1.jpg)
ちなみに、「服部嵐雪」は、若かりし
頃、かなりの不良青年だったそうで、
「悪所(遊里や芝居町)通い」は日常
茶飯事であったと言われていて、従っ
て「布団着て寝たる姿」と言う表現は、
通い詰めた「祇園の茶屋」のイメージ
があったのではないとも言われている
訳なのだそうです。
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↓↓↓↓↓↓↓答え↓↓↓↓↓↓↓
4.服部嵐雪(はっとりらんせつ)