【食育クイズ:Vol.1347】「京都府」の「秀吉の京都復興」おさらいクイズ! 「秀吉」ゆかりの「正面通」命名の由縁とは?

 

【食育クイズ:Vol.1347】

 

本日も、「関西地方(三重県、滋賀県、

 

和歌山県、奈良県、兵庫県、京都府、

 

大阪府)」の「食文化」や「郷土文化」

 

をテーマとした地域社会の在り方や、

 

昔から先人たちが培ってきた、「文化」、

 

「伝統」、「歴史」等の素晴らしさを、

 

クイズを楽しみながら知見を高め、あ

 

らためて「日本」や「日本人」が培っ

 

てきた「良きところ」を共有化し、次

 

代に継承して参りましょう!

 

さて、本日は、「京都府」の「豊臣秀吉」

 

による「京都復興」にまつわる「通り名」

 

について、おさらいクイズ(Vol.550)

 

にチャレンジ致しましょう!

 

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

「天下統一」を成し遂げた「豊臣秀吉」

 

は、「朝廷や公家」を厚遇した事によっ

 

て「関白」となり、住まいを「大阪城」

 

から「京都」に移し、「室町時代」に勃

 

発した「応仁の乱」から「戦国時代」を

 

経て荒廃してしまった「京都」の「都市

 

改造」を実行し、現在の「京都」の基盤

 

を築くレベルの「復興」を実現させた事

 

で知られています。

 

 

「秀吉」の行った事業の主な内容は下記

 

の通りです。

1.「1586年」:「平安京、大内裏跡地」

 

に「天守閣」を持つ壮大な屋敷を創建し、

 

「大阪城」から移り住み、「聚楽第」と

 

命名し、「政庁」とした。

ちなみに、「聚楽第」の敷地は広大で、

 

北は「一条通」、南は「丸太通」、東は

 

「堀川通」、西は「千本通」で囲まれ、

 

建物の至る処に「金箔」が貼られた「豪

 

華絢爛」な仕様で、周囲を「堀」が巡ら

 

された「城郭仕様」だったそうです。

 

 

2.「聚楽第」の周辺に「大名屋敷」を

 

造った。

3.「内裏」が修復され、その周辺に

 

「皇族」や「公家」達の住む町を造った。

4.「方広寺」に「奈良、東大寺、大仏」

 

以上の「大きさ(18m)」の「大仏」と

 

「大仏殿」を造った。

 

 

 

 

5.「1590年」:「三条大橋」を架設し、

 

「東海道」の「玄関口(粟田口)」を造

 

った。

 

 

6.「寺町通」を造り、散在していた

 

「寺院」を強制的に集め「寺町」を造っ

 

た事により、「寺町」では各寺院の「境

 

内」で「縁日」や「見世物」等が催され

 

るようになり、「寺町通」の周辺には、

 

「仏師、石塔屋、位牌屋、数珠屋、筆屋、

 

扇屋、紙表具屋、白粉屋、人形屋」等々

 

…の「店舗」が立ち並び、数多くの人々

 

が集まり、平和と繁栄を享受するように

 

なった。

7.「戦国時代」で荒廃し、「平安京」の

 

「上京」と「下京」との間に大きな「隙

 

間」を生じてしまっていたのを修復する

 

為、「南北」に貫く新しい「道路」を何

 

本も貫通させた。また、「平安京、条坊」

 

の「各一町」ごとの間にも、「南北」に

 

貫く「道路」を通して「短冊形」の「町

 

割り」を造り、「土地の有効活用」と、

 

「人の行き来」をスムーズにした。

 

 

8.「1591年」:「大阪、天満」にあっ

 

た「本願寺」を、現在ある「寺地」に移

 

転させ、「京都本願寺」とし、「御影堂」

 

や「阿弥陀堂」を完成させた。

 

 

 

9.東は「鴨川」、北は「鷹ヶ峯」、西

は「紙屋川」、南は「九条」に沿った形

 

で「京都」を「土手」と「石垣」で取り

 

囲み、「都」の「防備」と「鴨川の氾濫」

 

を行った。こうして整備された「土塁」

 

は、「御土居(おどい)」と呼ばれ、その

 

高さは「3.6m~5.4m」、奥行きは

 

「18m~20m」で、周囲約23Km規

 

模であり、以降「平安京」は、「洛中」

 

と「洛外」とに分けられ、「洛中」から

 

「各街道」に繋がる「出入口」として

 

「京の七口」が設けらた。

 

 

 

以上のような「秀吉」の「都市改造事業」

 

は、「近世日本」の「都市」の「有り方」

 

の象徴的なものとなり、「日本各地」の

 

「領主」達の「都市運営」に大きく影響

 

をもたらす事になり、「江戸時代前期」

 

における全国的な都市の発達に結びつい

 

たと言う事になった訳なのです。

さて、本日は、「秀吉」の「京都改造事

 

業」にまつわる「通り」と「寺院」との

 

関係について、おさらいクイズにチャレ

 

ンジ致しましょう!

 

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

問題:「豊臣秀吉」ゆかりの「寺社仏閣」

 

が立ち並ぶ「正面通」は、「大和大路通」

 

から「千本通」までの「東西」に連なる

 

比較的短い距離の「通り名」の事を言い

 

ます。

さて、それでは、この「通り」命名の

 

由来となった、「正面通」の「正面」に

 

位置する「寺院」とは何でしょうか?

 

次のうちから選んで下さい。

 

1.西本願寺

 

 

2.東本願寺

 

 

3.方広寺

 

 

4.清水寺

 

 

↓↓↓↓↓答えはここから↓↓↓↓↓

【解説】

「正面通」は、「京都、東山」にある

 

「方広寺(大和大路)」を起点として

 

「東」から「西」へと通る全長1.6km

 

の短い「道」の事を言います。

 

「正面通」の「東」の起点は、「秀吉」

 

ゆかりの「大仏建立」で有名な「方広寺」

 

と、その「南隣」にある「秀吉」を「豊

 

国大明神」としてを祀っている「豊国神

 

社」があり、「大仏様」が向かって正面

 

にある「道」であり、且つ「神様(秀

 

吉大明神)」が向かって正面にある「道」

 

である事から、「正面通」と命名された

 

と言う経緯になった訳なのだそうです。

 

 

 

 

「方広寺」は、「歴史的エピソード」が

 

凝集されていると言われている「寺院」

 

であり、「秀吉」は、「戦国時代」に「大

 

和国の大名、松永秀久」の焼き討ちによ

 

り損傷してしまった「奈良、東大寺」の

 

「大仏」に代わる新たな「大仏」を「京

 

都」に造立する事を発願し、「1595年」

 

に完成させたそうですが、「開眼供養」

 

前に「地震」によって損傷してしまい、

 

「秀吉」の逆鱗に触れてしまったそうで

 

す。

 

 

 

その後「大仏」は3回、「大仏殿」は2

 

回に渡り修復されるに至ったそうです

 

が、「江戸時代」の「1709年~1798

 

年」までは、「京都、方広寺」と「奈良、

 

東大寺」の2か所に「大仏と大仏殿」

 

が双立していた事が分かっている訳にな

 

るそうです。

 

しかし「方広寺」の「大仏」は、1978

 

年、「落雷」による「火災」の発生で、

 

2日間に渡り燃え続け、「2代目大仏殿」

 

と「3代目大仏」は、「灰燼(かいじん)」

 

に帰してしまうと言う経緯になってしま

 

ったそうです。

 

この焼失の様子は、「江戸時代」の「絵

 

師、長沢芦雪」の「大仏殿炎上図」に抽

 

象的な絵として描かれ、残されているそ

 

うです。

 

 

またもう一つ「秀吉」ゆかりの「方広寺」

 

の「逸話」があり、その内容は、「秀吉」

 

の死後、息子の「秀頼」が、「地震」で

 

荒廃した「方広寺」を再建したのですが、

 

その時設営した「釣り鐘」に刻まれた文

 

字の中に「国家安康 君臣豊楽」の8

 

つ文字があった事に「家康」が反応し、

 

「国家安康」と言う表現は「家康」の名

 

前を分断し、呪い殺そうとするものであ

 

り、「君臣豊楽」と言う表現は「豊臣」

 

を主君として楽しむものであるとされて

 

しまうと言う、「超絶、強引」なこじつ

 

けで文句を付けられてしまい、結果とし

 

て「大坂の陣」と言う戦争を仕掛けられ

 

てしまい、「豊臣家」は滅亡に追い込ま

 

れてしまうと言う経緯になった訳なので

 

す。

 

 

 

以上のように、「方広寺」は、「秀吉」と

 

「家康」双方に、深い「関わり」が」あ

 

った「寺院」として知られていると言う

 

事になるのです。

 

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

「正面通」は、「方広寺、豊国神社」か

 

ら出発して「西」に向かっていき、「鴨

 

川」を渡ると、「名勝」として知られる

 

「渉成園(枳殻邸)」で一旦「行き止ま

 

り」になります。

 

 

 

ちなみに「渉成園(しょうせいえん)」

 

とは、「平安時代初期」の頃、「源氏物語」

 

の主人公「光源氏」のモデルと言われる

 

「源融(みなもととおる)」の別荘だっ

 

た場所と言われ、「枳殻(からたち)」の

 

木が「生垣」として植えられていた事か

 

ら「枳殻邸(きこくてい)」と言う通称

 

で呼ばれ、「東本願寺」から少し離れた

 

「飛地境内」にある「別荘」の事を言い

 

ます。

 

 

 

この「枳殻邸」を出て、「西側」にある

 

「東本願寺」へ向かう、そもそも「境内」

 

内にあるとも言える「道」は、3本に分

 

かれていて、真ん中の道は「中数珠屋町

 

通」と呼ばれ、「北側」は「上数珠屋町

 

通」、「南側」は「下数珠屋町通」と別々

 

の呼称が付けられていて、この「3本」

 

の通りをまとめて「東本願寺前三筋」と

 

呼ばれているそうです。

 

 

この道は、「東本願寺」の「境内(一部)」

 

としての位置付けだったと思われ、その

 

名の通り「数珠屋」さんや「法衣店」が

 

立ち並ぶ「門前通り」としての風情を、

 

現在にまで残している「通り」である訳

 

なのです。

 

更に「東本願寺」を出て、「正面通」を

 

「西」へと進むと、「西本願寺」に辿り

 

着く訳であり、「正面通」は、「西本願寺」

 

を出て「京都市中央卸売市場」までの、

 

全長2.3kmの「道」の事を言う訳にな

 

るそうです。

ちなみに、「東本願寺」から「西本願寺」

 

へと至る道は、「本願寺」への敬意を示

 

す表れとして、「御前通」と言う別称も

 

あるそうです。

こうして、その起点が「神様(豊国神

 

社)」と「仏様(方広寺)」と「正面」か

 

ら向き合うと言う「正面通」には、「豊

 

臣家」を始めとして、「徳川家(方広寺

 

の釣り鐘事件)」、「光源氏」、「大仏殿」

 

に「枳殻邸」、「本願寺」等々…と、多彩

 

な「歴史」に彩られた「建造物」が凝縮

 

していると言う事になり、まさに「京都」

 

らしい「歴史観」溢れる風情を満喫でき

 

る「通り」であると言う事になる訳なの

 

です。

 

 

↓↓↓↓↓↓↓答え↓↓↓↓↓↓↓

3.方広寺

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

大阪市立大学の研究グループが、大豆

 

などに含まれるイソフラボンが肺気腫

 

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