【食育クイズーVol.81】

【食育クイズーVol.81】

 

 

 

最近の遺跡やDNA調査で、日本人は縄文時

 

 

 

代からコメや大豆を育てて食べていたことが

 

 

 

明らかになっています。その後BC660年

 

 

 

以降になると、日本最古の歴史書「古事記」

 

 

 

には、日本が「豊葦原(とよあしはら)実る

 

 

 

瑞穂(みずほ)の国」であることが記載され

 

 

 

ています。このように私たち日本人とコメは

 

 

 

かけがえの無い基本中の基本の食べ物であり、

 

 

 

私たち日本人一人ひとりのDNAに刻み込ま

 

 

 

れた世界に誇る日本の食文化なのです。最近

 

 

 

は圧力釜の普及によって、栄養成分の豊富な

 

 

 

「玄米」を食べる人も増えてきましたが、ほ

 

 

 

とんどの日本人は精米機にかけて玄米から

 

 

 

「ぬか(種皮,胚芽など)」を除いた「白米」

 

 

 

を食べています。

 

 

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

 

 

さて、日本人が白いごはんを一般的に広く食

 

 

 

べるようになったのはいつ頃からでしょうか?

 

 

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

 

 

1.縄文時代の後期から

 

 

 

2.弥生時代の中期から

 

 

 

3.奈良時代の中期から

 

 

 

4.江戸時代の中頃から

 

 

 

 

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【解説】稲作は縄文時代から始まっていまし

 

 

 

たが、「もみがら」と、「米ヌカ」を取り除

 

 

 

いた「精製米」が食べられるようになった形

 

 

 

跡が確認できるのは弥生時代の次の大和朝廷

 

 

 

の時代となります。この頃に栽培されていた

 

 

 

稲の多くは「古代米」と呼ばれる、稲の原種

 

 

 

に近い自然に赤や紫などの色素を含んだ米で

 

 

 

した。臼に杵で精米した米は「舂米」(しょ

 

 

 

うまい/つきしね/つきよね)と呼ばれてい

 

 

 

て、宮廷で働く人の給料だったようです。

 

 

 

米の品種が現在のような「白米」になったの

 

 

 

は奈良時代頃になってからです。この時代の

 

 

 

「白米」は「しらげのよね」と読み、貴族階

 

 

 

級の人が口にするものだったようです。この

 

 

 

当時の精米はかなりの重労働となるため、庶

 

 

 

民はそこまで手をかけられなかったことなど

 

 

 

が理由として考えられています。

 

 

 

「白米」が貴族の食べ物であるなら、庶民は

 

 

 

玄米を食べていたのかなと想像しますが、稲

 

 

 

作が伝来していた当初を除けば、米は精米し

 

 

 

て食べるのが一般的だったようです。玄米の

 

 

 

炊飯には時間と燃料がかかり過ぎたので、現

 

 

 

在の「白米」ほどしっかりとした精製はでき

 

 

 

ませんでしたが、現代で言うヌカが残る「~

 

 

 

~分づき」米を通称「黒米」と呼び、それに

 

 

 

ヒエやアワなどの雑穀を混ぜて食べていたよ

 

 

 

うです。

 

 

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

 

 

米は日本では「税として納めるもの」であり、

 

 

 

貴重品でもあったので、ヌカを完全に取り除

 

 

 

いた米を食べる行為は大変な贅沢だったので

 

 

 

す。江戸時代頃になると「黒米」は玄米を指

 

 

 

すようになりますが、明治時代までの精米方

 

 

 

法は臼と杵でつくという点に代わりはなく、

 

 

 

現代で使われている精米機のようにもみがら

 

 

 

をきれいに取り除いた完全な玄米はできなか

 

 

 

ったので、現代で言う「1分づき米」と呼

 

 

 

ばれる状態であったと考えられます。

 

 

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

 

 

江戸時代になると政治が安定したことで、コ

 

 

 

メの生産量が増してきます。江戸中期には、

 

 

 

「米将軍」と呼ばれた八代将軍の徳川吉宗が

 

 

 

行った享保の改革はコメの生産量拡大に拍車

 

 

 

をかけました。今でも日本各地に「~~新田」

 

 

 

という名称が残っていますが、吉宗がコメの

 

 

 

生産拡大に尽力した証拠です。コメの生産量

 

 

 

が劇的に増えたので、庶民や農民も白米を口

 

 

 

にできるようになりました。また、火事が天

 

 

 

敵である江戸では、火災への対策として、一

 

 

 

日分のご飯を一度にまとめて炊くようになり、

 

 

 

保存性の悪い玄米や雑穀米を避けて白米を食

 

 

 

べることが一般化していきました。ちなみに

 

 

 

当時の食生活はとにかく多量のごはんを食べ

 

 

 

て、おかずは汁と漬物程度だったようです。

 

 

 

白米にはヌカに含まれるビタミンB1が取り

 

 

 

除かれてしまっていることで、欠乏症である

 

 

 

「脚気(かっけ)」になる人が増え「江戸患

 

 

 

い」などと呼ばれる社会現象が記録されてい

 

 

 

ます。地方では玄米に近い分付き米に雑穀な

 

 

 

どを混ぜて食べるのが主流のままでしたので、

 

 

 

「脚気」はその当時の「都市特有の病気」だ

 

 

 

ったのです。

 

 

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

 

 

コメの生産量が劇的に増えた江戸時代の間に

 

 

 

は、精米技術も向上しました。重労働である

 

 

 

精米を専門に扱う店が現れて、従来の杵と臼

 

 

 

でつくスタイルだけでなく、中国から伝わっ

 

 

 

た足踏み式の「唐臼」を使用したり、今まで

 

 

 

の「木の臼」から「石の臼」を使用したこと

 

 

 

もあって、作業効率が飛躍的に伸びました。

 

 

 

更に江戸時代中期以降になると、「唐臼」が

 

 

 

更に改良されて、足踏み式から水車を動力に

 

 

 

した大型化にも成功しました。その後昭和に

 

 

 

なって(1954年:昭和29年)に、「佐竹

 

 

 

利市」が動力式精米機を開発し、水車式から

 

 

 

現在の電力による精米機へと繋がっていきま

 

 

 

した。

 

 

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

 

 

稲作を始めたころの日本人は、不完全な脱穀

 

 

 

精米の状態の米を、土器で煮て食べたと考え

 

 

 

られています。しかし、熱効率の悪さから煮

 

 

 

る方法では時間がかかりすぎるので、ある程

 

 

 

度精製した米を、蒸気で過熱しながら水を打

 

 

 

つという蒸し調理の方が短時間で上手く炊け

 

 

 

るので、「蒸す」技術が普及していきます。

 

 

 

それでもこうしてできたごはんは固めの仕上

 

 

 

がりとなるため「強飯(こわいい)」と呼ば

 

 

 

れています。消化が悪い「強飯」は僧侶の食

 

 

 

事や病人に対する施しのために「お粥」も作

 

 

 

られるようになります。更に平安末期頃から

 

 

 

「鉄鍋」が普及し始めると、水気の少なめの

 

 

 

お粥も作られるようになり、こちらは柔らか

 

 

 

いので「姫飯(ひめいい)」という呼び方が

 

 

 

広まっていきました。その後、一度茹でたお

 

 

 

米を蒸して仕上げる「湯取り法」が広まりま

 

 

 

す。この調理法は米の粘り気がなくなるので

 

 

 

味は落ちてしまうのですが、手っ取り早く調

 

 

 

理できて、傷みにくいという利便性から重宝

 

 

 

されたようです。この後、かまどや羽釜が使

 

 

 

われるようになり、現在の白米の炊き方であ

 

 

 

る「うるち米」を使った「炊き干し法」が一

 

 

 

般的になっていったのです。

 

 

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

 

 

白米を食べることが広く日本中で一般化した

 

 

 

のは江戸時代中頃から明治以降にかけてとい

 

 

 

うことになり、日本の白米食の文化はせいぜ

 

 

 

い100年を超えた程度ということが言えるの

 

 

 

でしょう。白米は特権階級の食べ物から始まり、

 

 

 

庶民にとってはあこがれの食べもの「ハレ」の

 

 

 

日のご馳走としてスタートしていったのです。

 

 

 

そもそも「瑞穂の国の日本人」は、稲作の栽

 

 

 

培技術が今ほど発達していなかった時代でも、

 

 

 

一本の稲穂に一粒でも多くのもみを実らせる

 

 

 

という努力を重ねてきました。吉宗の改革が、

 

 

 

米の生産効率と保存性の高さがどれほど日本

 

 

 

の経済や日本人の健康にとって安定をもたら

 

 

 

してくれたかという、史実が物語っています。

 

 

 

私たち日本人は縄文時代からコメを大切にし

 

 

 

てきたという歴史を振り返りましょう。

 

 

 

より美味しく食べたい!より生産性を高めた

 

 

 

い!古代から日本の先人はたゆまぬ努力を重

 

 

 

ね、技術を進歩させてきた史実があります。

 

 

 

先人の願いが米の生産量を上げ、精米に関わ

 

 

 

る技術や調理法を進歩させたお陰様で、今私

 

 

 

たちは当たり前に美味しい白米を食べる生活

 

 

 

を営んでいます。かつて白米は「銀シャリ」

 

 

 

と呼ばれていました。先人の思いがこもって

 

 

 

いるこの言葉を噛み締めながら白いごはんを

 

 

 

食べると、さらに味わい深く感じられるでし

 

 

 

ょう。

 

 

 

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4. 江戸時代の中頃から

 

 

 

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戦後の日本は、大きく食文化スタイルが変わ

 

 

 

りました!戦争に負けるまでは、縄文時代か

 

 

 

ら日本人は農耕民族で、「瑞穂(五穀)の国」

 

 

 

であり、「ごはんと味噌汁」が日本人の命と

 

 

 

健康を支えてきました。

 

 

 

でも戦争によるアメリカの無差別爆撃によっ

 

 

 

て美しい焦土化してしまった国土では国内生

 

 

 

産だけでは食料をまかないきれず、日本人は

 

 

 

飢えに苦しみました。

 

 

 

そこに、もともと食料資源大国であり、日本

 

 

 

を有力な食料輸出先として狙っていたアメリ

 

 

 

カは、ここぞとばかりに小麦、大豆、とうも

 

 

 

ろこしなどの主要穀物を日本に大量に送り込

 

 

 

み、特に子どもたちへの食育戦略で学校給食

 

 

 

をパン食主体に変化させました。以来、アメ

 

 

 

リカの食育による洗脳戦略によって育った子

 

 

 

どもたちを始め、終戦直後アメリカから入っ

 

 

 

てきた小麦粉で飢えを凌いできた多くの日本

 

 

 

人の食生活は、「ご飯と味噌汁」文化から圧

 

 

 

倒的に「パン食」、「肉食」主体の食文化ス

 

 

 

タイルに変わってきた経緯があります。戦後

 

 

 

80年になろうとする現代でもパン食は日本

 

 

 

当然のように日本中に根づいていて、日本人

 

 

 

の食の安全保障は防衛の安全保障と同様にア

 

 

 

メリカに握られている状態です。

 

 

 

「食料」、「防衛」、「エネルギー」と日本

 

 

 

人の命と健康を守る重用な「国家安全保障」

 

 

 

の要のところがすべてアメリカ依存、海外依

 

 

 

存となってしまっている日本が未だに完全独

 

 

 

立できる訳も無く、アメリカの圧力に政財界

 

 

 

行政ともに屈し続けている理由はそこにある

 

 

 

のです。

 

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

食育&6次産業化推進センターは、食の国家的安全保障をめざし、日本人の命と健康を守るため、真の食の安心・安全とは何かというテーマを、食育活動や6次産業化推進活動をベースに追求する国家戦略プロフェッショナルの仕事をしています。