【食育クイズ:Vol.1108】「京都府」の「六勝寺」おさらいクイズ! 「白河天皇」により創建された八角九重の塔があった京都の寺院とは?

 

【食育クイズ:Vol.1108】

 

本日も、「関西地方(三重県、滋賀県、

 

和歌山県、奈良県、兵庫県、京都府、

 

大阪府)」の「食文化」や「郷土文化」

 

をテーマとした地域社会の在り方や、

 

昔から先人たちが培ってきた、「文化」、

 

「伝統」、「歴史」等の素晴らしさを、

 

クイズを楽しみながら知見を高め、あ

 

らためて「日本」や「日本人」が培っ

 

てきた「良きところ」を共有化し、次

 

代に継承して参りましょう!

 

さて、本日は、「京都府」の「院政」

 

を開始した「白河天皇」にまつわる

 

「寺院」について、おさらいクイズ

 

(Vol.312)にチャレンジ致しまし

 

ょう!

 

 

∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

 

「平安時代」の「1086年」に、「第

 

72代、白河天皇」は、実子である8

 

才の幼帝「第73代、堀河天皇」に譲

 

位し、「太上天皇(上皇)」となった

 

「白河上皇」は、「幼帝」を後見する

 

ために自ら政務を執るようになったと

 

言う経緯があります。

 

 

 

「日本史」上で言えば、その時が、い

 

わゆる「日本の院政」が出現した時と

 

言われていて、以降、「源義経」によ

 

って「平家」が滅亡した「1185年」

 

までの約100年間を、日本史上では、

 

「院政時代」と呼ぶようになったと言

 

う経緯があります。

 

 

この「院政」と言う言葉そのものは、

 

「江戸時代後期」に登場した「歴史家」

 

の、「頼山陽(らいさんよう)」が著し

 

た「日本外史」の中で、こうした政治

 

形態を「政在上皇」として「院政」と

 

表現した事で登場したと言う経緯があ

 

り、この著書は、当時のベストセラー

 

となったそうで、「幕末」の「尊皇攘

 

夷運動」に大きな影響を与えたと言わ

 

れています。

 

 

その後、「明治維新」となり、「明治政

 

府」によって編纂された、「国史眼

 

(神代から 1889年の大日本帝国憲

 

法発布に至る迄の日本通史の本)」の

 

中で、この江戸時代の「頼山陽の日本

 

外史」を参照にして、「院政」と言う

 

表現が使用された事で、広く一般的な

 

言葉となっていったと言う経緯になる

 

そうです。

 

また、「平安時代末期」迄の100年

 

間に及び、「院政」を執り行った「上

 

皇」の事を、「治天の君(事実上の君

 

主の事)」と呼ぶようにもなったと言

 

われています。

 

 

こうして「白河天皇」が始めた「院政」

 

が何故定着したのかと言う理由を紐解

 

くと、そもそも「白河天皇」に、「摂

 

関政治の勢力層」を弱め、かつての

 

「朝廷」による「専制的な統治」を再

 

び取り戻したい、と言う強い意志があ

 

った事を始めとして、従前の「律令制

 

政治」の基本理念が「公地公民制」で

 

あり、当時「荘園を持つ勢力」が増大

 

し、実質上はこの制度は崩壊していた

 

とは言え、「法制上」は、「律令国家の

 

長」である「天皇」は、「荘園」を私

 

有する事が出来なかった為、寄進によ

 

って「皇室領」となった「荘園」を、

 

「上皇」と言う立場を設置して、「所

 

有・管理」する事にして、朝廷の持つ

 

「経済的財政」を支えると言う「思惑

 

(おもわく)」があったと言われてい

 

る訳なのです。

 

しかしながら、手持ちの「荘園」を増

 

やし、「僧兵」まで養うようになって

 

いた「寺社仏閣」同士の争い事が度々

 

発生するようになり、「朝廷」への武

 

力による「強訴」も頻繁に発生した事

 

から、それらの驚異から「朝廷」を守

 

る為に、「上皇」独自の「直轄軍事組

 

織」を持つ事が必要になったとして、

 

「白河上皇」は、居住する「院御所」

 

の北側に、「北面武士(ほくめんのぶ

 

し)」を置き、「近衛兵」を詰めさせる

 

事によって、警備にあたらせるように

 

なったと言う経緯があり、これがやが

 

て「平氏」の武士勢力となり、急増大

 

し、その後の「武家統治社会」を生み

 

出すきっかけとなったと言う経緯があ

 

る訳なのです。

 

 

こうして、「白河天皇」は、「嘉保3

 

年(1096年)」に、鍾愛していた

 

「皇女、媞子内親王」の病死を機に出

 

家し、「法皇」となり、上述の「上皇」

 

が直接管理すると言う「寺院」を造っ

 

たと言う事になる訳なのです。

 

「朝廷」が直営する「寺院」は、「荘

 

園経営的」な「受領」をもたらした訳

 

なのですが、その一方で、「成功(じ

 

ょうごう)」と呼ばれる「売官制度」

 

が、より一層横行するようになってし

 

まい、この「売官制度」こそが、その

 

後の「武士の台頭」を促すきっかけと

 

なったと言われています。

 

ちなみに、「成功(じょうごう)制度」

 

とは、このように「朝廷」の寺院を創

 

建する時や、「朝廷」の行事等を執り

 

行う時に、本来は、その費用を「朝廷」

 

の公費で負担すべきなのですが、「白

 

河天皇」は、「任官希望者」を募って

 

「任料」を納めさせて、その費用に充

 

てる見返りとして、「位」を授ける事

 

や、また、それぞれの自己負担でそれ

 

らの事業を行わせた後、その「功」の

 

見返りとして「官職に叙任」すると言

 

う、いわゆる「売官制度」の事を言い

 

ます。

 

これによって、経済力のある勢力が、

 

「位」を持つようになり、結果として

 

「平氏」等を始めとする「武士」の台

 

頭を助長するようになったと言う経緯

 

になる訳なのです。

 

さて、本日は、再び「朝廷」による

 

「専制国家体制」を取り戻そうとした

 

「院政」の誕生で、「京都」には「天

 

皇や皇族」が造営した「勝」の名がつ

 

いた「寺院」が六つ誕生した訳であり、

 

この「六勝寺」について、おさらいク

 

イズにチャレンジ致しましょう!

 

 

∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

 

問題:「平安時代」、「白河天皇」によ

 

って始められたとされる「院政」が

 

登場すると、「天皇や皇族」が直接

 

「管理・運営」する「勝」の字が付い

 

た「寺院」が、「京都、左京区、岡崎」

 

の地に、6つ造営されたと言われてい

 

て、それらの寺院の事を、「六勝寺」

 

と呼んでいたそうです。

 

 

当時の日本の国政では、「朝廷」が直

 

接「寺院」を持つ事によって、「荘園

 

的管理」をして、経済的基盤を確保す

 

ると言う必要があったと言う事が伺い

 

知れる訳なのです。

 

さて、それでは、この「六勝寺」の中

 

で、初めて「院政」をしたとされる

 

「白河天皇(法皇)」の発願により創

 

建され、現存はしていませんが、「八

 

角九重の塔」があった事で、当時の

 

「京都」の「ランドマークタワー」的

 

存在であった事で知られている「寺院」

 

とはどれでしょうか?

 

次のうちから選んで下さい。

 

1.尊勝寺(そんしょうじ)

 

2.法勝寺(ほっしょうじ)

 

3.最勝寺(さいしょうじ)

 

4.円勝寺(えんしょうじ)

 

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【解説】

 

「六勝寺」は、「平安時代後期」から

 

「室町時代」にかけて、「洛外、白河

 

街区」に位置した、法号に「勝」の字

 

をもつ六山の「勅願寺(天皇による祈

 

願寺の事)」の事を言い、「白河天皇」

 

に続く100年あまり続いた「院政」

 

の中枢部であり、経済的基盤として、

 

大いに栄えたそうです

 

 

しかしながら、やがて「武士の台頭」

 

と共に、維持管理が停滞し、「応仁の

 

乱」以降はほぼ廃絶してしまったと言

 

う経緯となってしまったそうで、現在

 

では、「石碑」や「町名」等に面影だ

 

けを残す程度で、寺域や伽藍配置等に

 

おいては不明な点が多く、発掘による

 

考古学的調査および復元作業が進めら

 

れているのが、現状だそうです。

 

その中でも、「院政」を始めた「白河

 

天皇」が、最初に造営したと言われて

 

いる「法勝寺(ほっしょうじ)」は、

 

その「落慶」が「承暦元年(1077

 

年)」だったそうで、当時の「左大臣、

 

藤原師実」の寄進と、「白河天皇」の

 

御願によって造営されたと言われてい

 

るそうです。

 

 

こうして「法勝寺」は、「京都、白河

 

の地」において、「上皇」の「御願寺」

 

として最初に創建された「寺院」だっ

 

たと言う事になり、後にこの地区に

 

次々と合計6つの寺院が造営されてい

 

き、「六勝寺」となったそうで、「法勝

 

寺」は、「六つの寺院」の「筆頭寺院」

 

として、最大の規模を誇っていたと言

 

われているそうです。

 

特に南庭には、高さ80mに達する巨

 

大な「八角九重塔」が聳え立っていた

 

と言われ、当時、「東海道」から「京」

 

に入る旅人達に対して、「京の権勢」

 

を誇示していたと言われている訳なの

 

です。

 

 

 

しかし、他の5つの「寺院」も同様に、

 

その後に生じた相次ぐ「災害」や、

 

「院政」そのものの衰退と、「武士の

 

台頭」により、「応仁の乱」以後には、

 

その全てが廃絶してしまったと言う経

 

緯になっている訳なのです。

 

現在、「法勝寺」のあった場所は、「京

 

都市動物園」となっているそうで、そ

 

の「伽藍」のほぼ「南半分」にあたる

 

規模と考えられていて、「2010年」

 

に、「八角九重塔」は、現在の「動物

 

園」の観覧車のある場所と、ほぼ同じ

 

位置にあったと言う事が検証されたそ

 

うですが、残念な事に、現在では「模

 

型」でしか見る事ができないと言う事

 

になる訳なのです。

 

ちなみに、その他の「六勝寺」とその

 

「発願の皇族名」は下記の通りです。

 

「尊勝寺(そんしょうじ:堀河天皇)」、

 

「最勝寺(さいしょうじ:鳥羽天皇)」、

 

「円勝寺(えんしょうじ:待賢門院

 

(藤原璋子)」、

 

「成勝寺(じょうしょうじ:崇徳天

 

皇)」、

 

「延勝寺(えんしょうじ:近衛天皇)」、

 

以上の五つの「寺院」だそうでが、

 

「法勝寺(ほっしょうじ:白河天皇)」

 

同様に、残念ながら現存しているもの

 

は無いと言う事になります。

 

 

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2.法勝寺(ほっしょうじ)

 

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