【食育クイズ:Vol.1551】「京都府」の「近松門左衛門の人形浄瑠璃、姦通物」おさらいクイズ! 「堀川波の鼓」で歌われる京都の南北の通りで一つだけ抜けているのは?

 

【食育クイズ:Vol.1551】

 

本日も、「関西地方(三重県、滋賀県、

 

和歌山県、奈良県、兵庫県、京都府、

 

大阪府)」の「食文化」や「郷土文化」

 

をテーマとした地域社会の在り方や、

 

昔から先人たちが培ってきた、「文化」、

 

「伝統」、「歴史」等の素晴らしさを、

 

クイズを楽しみながら知見を高め、あ

 

らためて「日本」や「日本人」が培っ

 

てきた「良きところ」を共有化し、次

 

代に継承して参りましょう!

 

さて、本日は、「京都府」の「近松門左

 

衛門」にまつわる「三大姦通もの」の一

 

つとして知られる「堀川波の鼓」につい

 

て、おさらいクイズ(Vol.753)にチャ

 

レンジ致しましょう!

 

 

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「江戸時代前期」に活躍した、「江戸時

 

代」の「偉大な劇作家」の一人として知

 

られる「近松門左衛門」は、「世話物」

 

の「人形浄瑠璃」を通して、「江戸時

 

代」に定められたルールの中で、ひょん

 

な事から人間関係にほころびが生まれ、

 

最後には大罪となってしまうと言う、人

 

間社会や人生の悲哀をテーマに、実話

 

等、極めて現実的なものとして描いた人

 

物として知られ、当時の日本社会を生き

 

る「衆生」達から、爆発的な支持を受け

 

た事で知られている人物なのです。

 

 

「江戸時代」のルールでは、「不倫(姦

 

通)」は単なる「色恋沙汰」と言う扱い

 

では無く、「死罪」や「畜生道」に堕ち

 

る事を覚悟しなければならないと言うレ

 

ベルの「大罪」としての扱いだったそう

 

で、「近松」は当時の日本社会で起き

 

た、違和感の無い現実的な題材として

 

「姦通事件」を取り上げ、極めて「リア

 

ルティ感」溢れる演劇として「表現」し

 

た訳なのだそうです。

さて、本日は、近松の「三大姦通物」の

 

一つとして知られる「堀川波の鼓(つづ

 

み)」について、おさらいクイズにチャ

 

レンジ致しましょう!

 

 

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「近松」が描いた「人形浄瑠璃、世話

 

物」の「堀川波の鼓」の初演は、「大

 

阪、竹本座」だったそうで、その「あら

 

すじ」は、以下の通りだそうです。

~「鳥取藩士、小倉彦九郎」の「妻・お

 

種(たね)」は、「参勤交代」の役目によ

 

り、1年毎に「江戸勤番務め」を果たす

 

「夫」の留守中に、「お種」の「実弟、

 

文六」を「養子」扱いとし、教養をつけ

 

させる手段の一つとして「鼓」を習わせ

 

ていたのが、ある日その「師匠」を饗す

 

「酒席」を設けた時に、勧められるうち

 

に、種々の理由もあって飲み過ぎてしま

 

い、そのはずみで「不倫」を犯してしま

 

い、更に子供まで「身籠る」に至ってし

 

まった。

 

その後、「江戸詰め」から「国許」に帰

 

国した「彦九郎」は、妊娠してしまうに

 

至った「お種」の不倫の噂が家中に広ま

 

っている事を知り、「お種」の「妹、お

 

藤(ふぢ)」の協力を仰ぎつつ、何とか

 

して「お種」が死罪にならないよう、事

 

を穏便に済まそうと画策した。

 

ところが、嫁いだばかりの「彦九郎」の

 

「妹、ゆら」が、「お種」の「不倫」の

 

噂を聞いてしまった「嫁ぎ先」から、

 

「不義者の身内」扱いとされ、「離縁」

 

されてしまうに至った為、「お種」への

 

「不倫」の疑いは、「世間」に隠し切れ

 

なくなってしまった。

 

諸般の事情があったとは言え、一度犯し

 

てしまった過ちによって「四面楚歌」状

 

態となり、「死罪」となる事を覚悟した

 

「お種」は、自決する前に「夫」への

 

「忠節と愛情」を示す為、「陰腹(かげ

 

ばら:夫の見えないところで切腹する

 

事)」を割り、非を詫びながら夫の手で

 

介錯してもらい、絶命するに至った。

 

愛する「妻」の自決を見届けた「彦次

 

郎」は、「お種」の「妻仇」となった

 

「鼓の師匠、宮地源右衛門」を討つべ

 

く、二人の「妹」達を連れて、「京都、

 

堀川」にある「宮地宅」へ討ち入り、

 

「本懐(女敵討ち:めがたきうち)」を

 

果たすに至ったのであった。~

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「彦次郎」と「お種」とは、そもそも

 

「幼馴染」同士であり、武士ともなれば

 

「家同士」の結婚が当たり前の風潮の時

 

代には珍しく「恋愛結婚」を成就した

 

「仲睦まじい夫婦」だったそうです。

 

「彦次郎一途」であった「お種」が、

 

「不倫」と言う「大罪」を犯してしまっ

 

た経緯を、「近松」は巧みに演出して描

 

いた訳なのです。

「近松」の演出を紐解くと、「お種」の

 

「夫」の「彦次郎」は、黙々と務めを果

 

たす真面目な人物として描かれていて、

 

隔年ごとに「江戸詰め」があり、せっか

 

く「国許」に戻ってきても、毎日「お城

 

詰め」があり、月のうち10日は「宿直

 

勤務」があると言う、極めてハードな勤

 

め方が要求されている「出世」とは縁遠

 

い、「下級武士」と言う描き方をしてい

 

て、その「妻」となった「お種」は、恋

 

愛を成就すると言う念願を果たした「幸

 

福」と引き換えに、「下級武士」の

 

「家」に嫁いだ「嫁」として、過重な務

 

めに縛られる「夫」の姿を容認しなが

 

ら、その一方では「武家」の「作法やし

 

きたり」に縛られ、且つ、世間から見ら

 

れる「監視社会的な目」に、完全に縛ら

 

れると言う、極めて窮屈な生活を余儀な

 

くされてしまった訳なのです。

こうして、恋する夫とゆっくり過ごす事

 

が出来ないと言う制約に縛られる日々を

 

送っているうちに、生来の情熱的な性格

 

を持つ「お種」は、「欲求不満」が募る

 

ばかりの状況に陥ってしまった訳なので

 

す。

 

そんな背景の中で、「近松」の演出は、

 

「彦九郎」の「同僚武士」である「床右

 

衛門」を登場させるに至る訳なのです。

「出世」はしないものの、体制に逆らわ

 

ず、ルールを忠実に守り、真面目に勤め

 

を果たす「彦九郎」に比して、「床右衛

 

門」は、体制に対して反旗を翻す真逆な

 

タイプの人間として登場し、「死罪」と

 

言う「大罪」になる事を恐れず、ルール

 

よりも自己の欲求を優先して、「お種」

 

に対して「横恋慕」して「迫る」と言う

 

場面を演出した訳なのです。

「近松」は「お種」が「不倫」に至る

 

「必然性」を演出する為、「逢引」を迫

 

る「床右衛門」と「お種」とのやりとり

 

の場面を設定し、更に、「養子」とした

 

「お種の実弟、文六」の「鼓の師匠」で

 

ある「宮地源右衛門」に、そのやり取り

 

を聞かれてしまうと言う演出をした訳な

 

のです。

こうして「逢引」のやり取りをしてしま

 

った「お種」は、「源右衛門」に「口止

 

め」を要求する為に、「酒席」で饗すと

 

言う状況になり、「源右衛門」から勧め

 

られるままに、「お種」は「酒」を飲み

 

 過ぎてしまった後に、好きでも無い「源

 

右衛門」と「不倫」を犯してしまうと言

 

う経緯となった訳なのです。

 

さて、本日は、「京都」の「祇園祭」の

 

最中に、「京都、堀川」の地において、

 

「小倉彦九郎」が、「妻敵」として「鼓

 

の師匠、宮地源右衛門」を討ち取った場

 

面について、おさらいクイズにチャレン

 

ジ致しましょう!

 

 

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問題:「近松門左衛門」の描いた「人形

 

浄瑠璃、世話物」の中で最初の「姦通

 

物」として知られる「堀川波の鼓」の最

 

後の場面は、「妻敵」となった「京都」

 

の「鼓の師匠」を、「女敵討(めがたきう

 

ち)」をして本懐を遂げると言うストー

 

リー展開となっている事で知られていま

 

す。

 

 

この「演目」の場面となった「京都、堀

 

川通」は、「京都」の「南北」を走る

 

「通り」のうちの一つであり、「近松」

 

の「演目」では、「南北」を走る「通り

 

名」が、「わらべ歌」となって登場した

 

事で知られているそうです。

 

 

さて、それでは、「近松門左衛門」が描

 

いた、「浄瑠璃、堀川波の鼓」の舞台で

 

歌われた「南北を走る通り名」の「わら

 

べ歌」の脚本を見ると、現在の「京都」

 

の「通り名」と比較すると、一つだけ抜

 

け落ちている「通り」がある事が分かり

 

ますが、その「通り」とは、どれでしょ

 

うか?

 

 

次のうちから選んで下さい。

1.御幸町通

 

 

2.高倉通

 

 

3.衣棚通

 

 

4.小川通

 

 

↓↓↓↓↓答えはここから↓↓↓↓↓   

 

 

【解説】

 

「江戸時代前期」の「1708年(宝永5

 

年)」に初演されたとされている、「近

 

松門左衛門」の「堀川波の鼓」で歌われ

 

た「わらべ歌」とは、下記のようなもの

 

だったそうです。

『~「寺・御幸(ごこ)・麩屋(ふや)・

 

富・柳・堺町」~

 

~「相(間)の東は玉敷きの(あい(あ

 

い)のひがしはたましきの)」~

~「御垣(みがき)に囲う五つの緒

 

(お)の」~

~「車、烏丸(からすま)、両替、室、

 

衣(ころも)」~

~「新、釜、西、小川、油」~

 

~「醒ヶ井、堀川の」~

~「岸の平砂(へいさ)を白波に」~

~照らせば今も夏の夜の… ~』

以上のような歌詞だったそうです。

それに比して、現在の「京都」の「南北

 

を走る、通り名」の「わらべ歌」は、下

 

記の通りです。

「てら、ごこ、ふや、とみ、やなぎ、さ

 

かい」 

 

⇒ 「寺町通、御幸町(ごこまち)通、

 

麩屋町(ふやちょう)通、富小路通、柳

 

馬場(やなぎのばんば)通)、堺町通」

 

「たか、あい、ひがし、くるまやちょ

 

う」 

 

⇒ 「高倉通、間之町(あいのまち)

 

通、東洞院(ひがしのとういん)通、車

 

屋町通」

 

「からす、りょうがえ、むろ、ころも」

 

⇒ 「烏丸(からすま)通、両替町通、

 

室町通、衣棚(ころものたな)通」

 

「しんまち、かまんざ、にし、おがわ」

 

⇒ 「新町通、釜座(かまんざ)通、西

 

洞院(にしのとういん)通、小川通」

 

「あぶら、さめがいで、ほりかわのみ

 

ず」 

 

⇒ 「油小路通、醒ヶ井(さめがい)

 

通、堀川通」

 

「よしや、いの、くろ、おおみやへ」

 

⇒ 「葭屋町(よしやまち)通、猪熊

 

(いのくま)通、黒門通、大宮通」

 

「まつ、ひぐらしに、ちえこういん」 

 

⇒ 「松屋町通、日暮(ひぐらし)通、

 

智恵光院(ちえこういん)通」

 

「じょうふく、せんぼん、さてはにしじ

 

ん」 

 

⇒ 「浄福寺(じょうふくじ)通、千本

 

通」(※西陣は通り名ではありません)

 

以上のような内容になっています。

 

従って、「堺町通」と「間之町通」との

 

間にある「高倉通」が抜けている訳にな

 

るのですが、何故「近松」が抜いたの

 

か、それが「意図的」なものだったのか

 

どうかについては、不明なのだそうで

 

す。

 

 

 

↓↓↓↓↓↓↓答え↓↓↓↓↓↓↓

2.高倉通

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食育&6次産業化推進センターは、食の国家的安全保障をめざし、日本人の命と健康を守るため、真の食の安心・安全とは何かというテーマを、食育活動や6次産業化推進活動をベースに追求する国家戦略プロフェッショナルの仕事をしています。